最低で最高のロックンロール・ライフ

連載 水上はるこ・元ML編集長書き下ろし


第8回
2021年でデビュー40周年を迎える世界のラウドネス
──二井原さんまでの0.5秒

水上はるこさん書き下ろしの「最低で最高のロックンロール・ライフ」ももう第8回。『ミュージック・ライフ』世代の方に向け、主に70〜80年代──編集部/編集長〜フリーランス時代に「じかにその目で見た」「経験した」記憶・体験をお書きいただいているこの連載、今回取り上げるのはラウドネス。

ラウドネスは1981年に結成された日本のへヴィ・メタル・バンド。80年代の半ばに海外進出し、モトリー・クルーやAC/DCとのツアーでアメリカでも認知度を高め、85年のアルバム『THUNDER IN THE EAST』はビルボードで75位を記録した。メンバー・チェンジを重ねつつ現在も最前線で活動中。そんなラウドネスと元編集者・水上さんとのご関係とは……?

2021年でデビュー40周年を迎える世界のラウドネス──二井原さんまでの0.5秒

高崎晃(g)、筆者、樋口宗孝(ds)(☆)
文/写真◉水上はるこ(☆) 協力◉カタナミュージック loudnessjp.com
 

私は80年代のヨーロッパの夏が大好きだった。野外フェスティヴァルやコンサートの最盛期であり、ヨーロッパのみならず、アメリカやオーストラリアからもバックパッカーたちが集まり、情報交換をしながらグループが形成されフェスを追いかける。日本男児もいたかもしれないが、《サマー・マッドネス》に浮かれて、ドイツ、オランダ、イギリス、スコットランド、ベルギー、フランス、スウェーデンなどを駆け回った日本人女性は多くなかったと思う。そんな会場で幾度となく熱心なファンに訊かれた。「日本人ならラウドネスを知っているだろ?」「ラウドネスを見たことがあるか?」「アキラはどうしてあんなにすごいんだ?」。これほど嬉しかったことはない。語るべき自国のメタル・バンドがなく沈黙するフランス人やイタリア人をよそに、私はあまり知りもしないラウドネスのことを滔々(とうとう)と語ったものだ。
*     *     *

私とラウドネスのかかわりは前身の「レイジー」にまで溯る。フジテレビの『ラブラブショー』という、(白状するが)見たこともない番組にひっぱりだされ、レイジーの影山ヒロノブさんと美しい女性についてコメントしたことがあった。そのとき聴いたレイジーのレコードは、これはプロデューサー次第でビッグになる、という予感があった。しかしアイドル・バンドだったレイジーへの興味はそこで終わっている。

そして満を持して『ラウドネス』というか、こちらの方がしっくりとくる『LOUDNESS』が1981年に結成された。『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜』のレコードを目にしたとき、ジャケット・デザインを見て「うぁー、来た!」と思った。ジャーマン・メタルやNWOBHMの群れに入っても遜色のない紛うことなきメタル・バンドで、ロゴ・デザインがしっかりとバンドの立ち位置を語っていたからだ。いきなりリッチー・ブラックモアかマイケル・シェンカーかと思うようなギターが躍動し、しかも「We’re the Loudness」という自己紹介曲で始まる。私は洋楽のライターではあったが、できるだけ早い時期に見たいというはやる気持ちを抑えられなかった。
二井原実(vo)、高崎晃(g)、樋口宗孝(ds)、山下昌良(b)
1986年、ロンドンに滞在していたとき、サクソンのオープニング・アクトとしてハマースミス・オデオンでラウドネスが公演するのを知った私は、チケット・ビューローに走った。サクソンは当時、アイアン・メイデンらと肩を並べるNWOBHMのバンドで(残念ながら90年代に入って尻すぼみとなったが)、会場は超満員。驚いたことに《有名Tシャツ》を着た若者を何人か見かけた。すでに『Kerrang!』や『Metal Hammer』には記事やレヴュー、写真などが載っていたから、サクソンよりもラウドネス目当てのファンもいたようだ。

私の隣に座ったのはチリの軍事政権から家族と逃れてきた亡命者で、まだ片言の英語しか話せない20歳の青年だった。後年『ロック・イン・リオ』という大きな催しが行なわれていることでもわかるが、彼は「南米ではヘヴィメタルがとても人気があるけれど、80年代は政情が不安定で、興行システムが未熟なこともあり、ロック・コンサートは少ない、だから、ラウドネスを見られてとてもハッピーだ」と、知っている限りの英語で熱く語った。

ハマースミス・オデオンは3,000人ほど収容の会場だがセキュリティーは比較的甘く、ファンはほぼフリーダムに前に押し寄せる。初めて見る、しかもハマースミス・オデオンという聖地で見るラウドネス。まず派手なヴィジュアルに驚かされ、全員、長身ではないがステージでのパフォーマンス際立ってワイルドで、高崎晃さんが高速でフレーズを弾くたび、二井原さんが髪を振り乱してハイトーンでシャウトするたびに観客はどよめいた。前座だったので50分ほどのセットだったが、硬軟とりまぜた作曲能力にもたけ、樋口さんのドラムは同時期に出現するメタリカのラーズ・ウルリッヒを彷彿とさせた。物販コーナーでは《有名Tシャツ》が飛ぶように売れていた。
そのあと、私はまんまと楽屋に忍び込むのに成功し(笑)、彼らも私の名前くらいは知っていたのだろう、そのあとのお楽しみ、打ち上げにも混ぜてもらう幸運にも恵まれた。写真は、多分、このときに撮影されたのではないか。樋口さんがお茶目なポーズをとってくれている。どこで知ったのかファンがホテルのバーからはみ出てロビーまで溢れ、ざっと50人はいた。もちろん《その種》のかわいい女の子も大勢いる。だが、どちらかと言えば、生まれて初めて見たニッポンのメタル・バンドに会いたいという野郎の方が多かった。

メンバーたちは耳の肥えた英国の観客の反応に手ごたえを感じたようで、心地よく酔っていた。ファンとの話が一段落し、真夜中をまわって私と二井原さんがごく自然に落ち着いて話し始めた。最初は「外国の観客ってすごいね、俺らそこそこ人気あるやん、女の子がワラワラ来るよ」、そんな他愛もないことから、好きなミュージシャンの話になり、その夜は連絡先を交換して別れた。そのとき、私自身が記事を書いて生計をたてている身だから、二井原さんに、そんなすごい経験を本にするといいわよ、程度のことを話した。まだインターネットもSNSもなく、ロックの本が売れていた時代である。

1ヵ月後、二井原さんから電話があった。「水上さ~ん。原稿書いたよ」。まあ、メモか日記みたいなものを書いたのなら見てみましょうと、軽い気持ちで待ち合わせの場所に行った。彼は本を読みながら待っていた。もともと読んだり書いたりするのが好きな性格のようだ。「はい、これでいい?」。彼がテーブルの上に置いたのは、お世辞にもきれいとは言えない文字で書かれた原稿用紙が400枚。ステージでの鬼気迫る形相の彼とは違う、文学青年の二井原実がそこにいた。あわてて読んで驚いた。ツアーでのハプニングやガールフレンドとの物語が、《リアル》な言葉で書かれていたのだ。「2週間で書き上げたんだ。楽しかったよ」。プロのライターも怖気づく400枚の原稿を書き上げた彼は、こともなげに言う。ラウドネスとしてデビューしてから5年間の経験を惜しみなく晒してあった。普通なら《ゴーストライター》が話を盛ってかっこよく書くのが自伝の常套手段だが、そこには料理されていない生の《ニイちゃん》の言葉があった。

私はすぐにその原稿を書籍にしてくれる出版元を探しにかかった。コーディネーターの役割を引き受けたのである。知り合いの小学館に持ち込んだら、このようなサブカル系はJICC出版(宝島社)がいいと紹介され、1987年秋、『ロックン・ロール・ジプシー~ぼくはロックで世界を見た』という日本のロッカーによる初の自伝となって発行され、革新的な内容の書籍として話題になった。それには婉曲な表現ながら、ロックのリアリティ、すなわち『セックス、ドラッグ&ロックン・ロール』が詰め込まれていたからだ。ドラッグで亡くなったミュージシャンたちへの想いや、会場がマリファナの煙に包まれていた、そんな内容だ。

二井原さんは2017年に2冊目となる自伝『真我Singer』を発売するが、『ロックン・ロール・ジプシー』は今でもネットの売買サイトでは人気があり、評価も高い書籍だ。この本はロック・シンガーの旅日記であると共に、ミッシェルというアメリカ人女性とのラヴ・ストーリーでもある。サンフランシスコで出会ったミッシェルと恋に落ち、長い遠距離恋愛の末、コミュニケーション・ブレイクダウンで悲しい結末を迎えるというエピソードで、ファンには「アレスの嘆き」にインスピレーションを与えたミューズ(女神)として知られている。
二井原 実・著
『ロックン・ロール・ジプシー〜ぼくはロックで世界を見た〜』

(宝島COLLECTION/JICC出版局・刊:1987年)
近年、私は偶然、このミッシェルとSNSでメッセージを交換するようになった。意図して彼女を探したわけではなく、まさに奇跡の出会いだった。

「ミノルの本を持っている? 私は持っていないのでもしあれば送って欲しいの」「最後の一冊があるわ。すぐに送る手配をするけれど、翻訳しましょうか?」「ありがとう。内容は友だちが翻訳してくれたので知っている。でも事実とはちょっと違う」。ミッシェルは『これが事実よ』と書いてきたが、35年前の愛の記憶に第三者が口出すつもりなどない。「ミノルとは連絡をとっているわ。2017年にシカゴで会う約束をしていたの。ところがそのときに限ってアメリカへの入国が許されなくて会えなかった」。確かに2017年にそんな騒動があった。今も美しく、ブルーの瞳をもつミッシェルは無名時代のラーズ・ウルリッヒと交際していたそうだ。

彼女が送ってきた短いメッセージには、二井原さんと過ごした数年間がいかにすばらしい体験だったか、お互いに熱い想いを抱きながらも日本とアメリカに引き裂かれて時には寂しいこともあった、しかし自分の人生の中でも忘れられない恋愛だった、と書いている。まだ若かったから、言葉も習慣も違う日本に住む自信がなかったことや、その後、大学で心理学を専攻し、現在は問題をかかえる子供たちを支える仕事をしているとも書かれていた。二井原さんも家庭人として落ち着き、《歌も上手なブロガー》として認識をされている。
二井原さんは一時期、解雇同然でラウドネスを去り、マイク・ヴェセーラが参加。私はこの時期、どの雑誌だったかは記憶にないが、ラウドネスのインタヴューをしている。日本人メンバーには日本語で質問し、マイクには英語で質問するという、とても複雑な取材をした記憶がある。80年代から90年代にかけて、来日したバンドの取材後、数人が「アキラ・タカサキを僕らのコンサートに呼ぶにはどうすればいいか?」「ラウドネスに会いたいが連絡先を知っているか?」と何度も質問された。デイヴ・ムステイン(メガデス)に、インタヴューの最後に訊かれた。「心配しなくても彼らはあなたのコンサートに必ず行くわよ」と答えた。そして一番熱心に訊いてきたのがカーク・ハメット(メタリカ)だった。すべてレコード会社を紹介しておいた。また、何回か出演したことのある『ラウドパーク』の会場で、ラウドネスが演奏中に、他の海外勢が目立たない場所に立ってじっとステージを見つめていたという証言もある。最近、高崎さんが初来日からずっとクイーンのコンサートに行っていることをSNSで知り、豊饒な音楽体験が彼の音楽の資質となっているのだと納得した。

1986年、代々木体育館で行なわれたラウドネスのコンサートに、アメリカMTVのスタッフと一緒に行った。このときのコンサートは二井原さん在籍の第1期最盛期で、MTVスタッフは何度も「amazing」を連発。私は仕事柄、洋楽のライヴには必ず行くが、ラウドネスはメンバー全員がバランスよく磨き抜かれたテクニックをもっており、80年代に日本のバンドがここまで到達していたことに素直に感動した。
1988年のある日、二井原さんから電話が入った。1988年と記憶しているのは、その年、ピンク・フロイドのコンサートを見に行ったからだ。「久しぶり。元気?」。そんな会話から始まった。公衆電話からかけていたのだろうか、私が知っているあのヴォーカリストの声ではない。「実は……妻としばらく別居することになった。急なことなので住むところがないんだ。水上さんの知人で、数週間、住まわせてくれる人はいないかな。物置きでも台所でもいいから」。切羽詰まった様子だ。「えっ、そうなの……大変ね。う~ん、なくはない。私が借りている仕事部屋ならすぐにでも住めるわよ」。自分のマンションから歩いて10分の場所に、大量のレコード、雑誌、書籍、資料などを置いてある仕事場を借りていた。「雑誌やレコードに埋もれているけど、かろうじて寝るスペースや風呂もあるわ。ただ、電話がひかれていないし、電気と水道はあるけれどガスがない。それでもいいのならいつでもどうぞ」。「すごい、ありがとう。そこに少しのあいだ居させてもらえる?」「いいわよ、鍵を取りに来てね」

数時間後、二井原さんは簡単な荷物を持って鍵を受け取りにやって来た。「布団も運び入れてあるから遠慮なく自由に使っていいわ。レコード聴き放題のおまけつき」。翌日、一緒にスーパーや食事ができる店やコインランドリーを案内した。ある店の店員が彼に気がついて、はっ、と顔を二度見した。「ニ、ニイハラさん、近くにお住まいですか?」。二井原さんはそんな場面には慣れているようで、青年の問いに冷静に対応した。今なら《文春砲》とでも言うのだろうか。人気バンドのヴォーカリストと10歳以上年上のロック・ライター。まさかね……(笑)。ともかく二井原さんは、次の住まいを見つけるまでの数週間、狭くて不便な部屋で過ごした。電話のない生活はさぞかし不便だったと察する。3週間後、「水上さん、マンションが見つかったから引っ越すことになった。助かったよ」と連絡が入り部屋の鍵を返しに来た。「じゃあね、ツアーがんばって。またコンサート見にいくわ」。鍵を受け取るとき、ほんの0.5秒、指が触れ合った。0.5秒、それが私と二井原さんとの距離であり時間であった。

2020年はすべてのバンドにとって、そしてファンにとっても困難な年だった。ラウドネスも国内外のツアーがすべてキャンセルされたり延期されたが、レコーディングは行なっているようだ。2021年の欧州公演が発表になり、リュブリャナ(スロヴェニア)やブダペスト(ブルガリア)でのギグがブッキングされているのが印象的だ。私は1980年にユーゴスラビア、ブルガリア、ポーランド、モスクワなど、当時の共産圏に旅をしたことがあるが、毒抜きされたポップ・ミュージックのみ認知されている国々の若者たちが、どんなにかメタルやプログレに飢えていたかを知っている。質の悪い海賊盤に大金をはたき、カセットテープにコピーして闇マーケットで売っていた。ほぼ30年前にソ連の統治から解放されたこれらの国々の若者たちが、欧州でもアメリカでもない、東洋の島国が育てたヒーロー、ラウドネスの完成形をどのように受け止めるだろうか。

この10年でヨーロッパの夏は劇的に変わった。安全が担保されなくなったからだ。しかし、ロックを求めて来年も、そして永遠にファンは美しい夏の旅を続ける。

(追記:樋口さんの訃報は私がアメリカに住んでいたとき、日本の友人からのメールで知った。すばらしいドラマーであり、この写真の中で永遠に力強いドラムを叩き続けている。偶然にも、12月24日は樋口さんの誕生日だそうだ)

水上はるこ プロフィール

みなかみはるこ。元『ミュージック・ライフ』『jam』編集長。79年にフリーとなる。80年代の夏、ロック・フェスティバルを追いかけながら欧州を放浪。パリ、ブリュッセル、ロンドン、モスクワ、サンフランシスコ、ニューヨークなどに居住。19冊の本を出版。20冊目はロック小説『レモンソング・金色のレスポールを弾く男』(東京図書出版)。
BURRN! 2021年2月号 特集:マイケル・シェンカー・グループ

BURRN! 2021年2月号 特集:マイケル・シェンカー・グループ


820円

■巻頭大特集:マイケル・シェンカー・グループ
■独占会見:デッド・デイジーズ/ アクセプト/ロイヤル・ハント/ウィグ・ワム 他
■国内ライヴ・リポート:LOUDNESS
■特別企画:●総括2020~HM/HRこの1年&2021年の展望~ ほか
BURRN! PRESENTS 炎 Vol.3

BURRN! PRESENTS 炎 Vol.3 エドワード・ヴァン・ヘイレン特集


1,320円

エドワード・ヴァン・ヘイレン特集
◎元VAN HALENのゲイリー・シェローン、エディに影響を受けた
エディを愛するミュージシャン達(ヌーノ・ベッテンコート、ポール・ギルバート、ビリー・シーン、ザック・ワイルド、ドゥイージル・ザッパ、スティーヴ・ルカサー、ニール・ショーン、and more!)への緊急インタビュー!
◎高崎 晃(LOUDNESS)、野村義男がエディを語る!
◎国内外のミュージシャンによる“私の好きなエディの5曲”アンケート ほか
この記事についてのコメントコメントを投稿

この記事へのコメントはまだありません

YOUNG GUITAR 2020年03月号

YOUNG GUITAR 2020年03月号 高崎 晃 / LOUDNESS

1,000円
BURRN! JAPAN Vol.10 高崎 晃

BURRN! JAPAN Vol.10 高崎 晃

1,650円
BURRN! JAPAN Vol.7  LOUDNESS

BURRN! JAPAN Vol.7 LOUDNESS

1,320円
THE DIG Presents ジャパニーズ・メタル Ⅱ featuring LOUDNESS

THE DIG Presents ジャパニーズ・メタル Ⅱ featuring LOUDNESS

1,760円

RELATED POSTS

関連記事

LATEST POSTS

最新記事

ページトップ