最低で最高のロックンロール・ライフ
最終回
“南部の血” を歌い続けたオールマン・ブラザーズ・バンドとの半世紀
そして今回のテーマはオールマン・ブラザーズ・バンド。デュアンには間に合わず、グレッグには会えないまま。しかし地元メイコンを訪れ、墓前には花を供え、あるじ不在の自宅にも訪問。バンド停滞期を経て21世紀に入ってもその後を追い続けた、愛してやまないグループとの約半世紀を振り返ります。
“南部の血” を歌い続けたオールマン・ブラザーズ・バンドとの半世紀
1975年、メイコンでのキャプリコーン・パーティーにて。左から故・福田一郎氏、
フランク・フェンター(アメリカの音楽ビジネス界でレッド・ツェッペリンを成功に導いた人物)、ディッキー・ベッツ、筆者。
「センムさん、ボブ・ディランが8年ぶりにコンサートをします。アメリカまで取材に行かせてください!」
「ダメ! ボブ・ディランを載せても雑誌は売れないから」(注1)
予想通りの答えだった。1973年当時、ボブ・ディランは一フォーク・ロック歌手に過ぎず、雑誌を売ってなんぼの仕事をしている出版社にとっては、ビッグ・スターでもアイドルでもないミュージシャンの取材は無意味だ。当時『プラス・ワン』という雑誌を編集していた私は26歳で、社会の仕組みと言うものがやっとわかる年齢になり、センムさんへの陳情は到底、快諾を得られるものではなかった。すごすごとひきさがる私に、神の声が聞こえた。「水上さん、そんなに行きたいのなら行きなさい。その代わり年末のボーナスは出せない。それでもいいのなら」。翌年のニューヨーク遊学といい、ディラン公演取材といい、私の我儘なお願いをまるで《先行投資》をするかのように受け入れてくれたセンムさん。水上はるこの水上は〇〇まではセンムさんのおかげで出来ている。
注2:ジョン・メイオール、サヴォイ・ブラウン、フリートウッド・マック等。
注3:メンフィスにあったレコード会社で、オーティス・レディング、サム&デイヴ、ブッカー・T&MGsなどが所属していた。
注4:アトランティック・レコードの別会社で、アーサー・コンレー、ベン・E・キング、バッファロー・スプリンフィールドなどが所属していた。
* * * * *
大晦日の夕方、《カウパレス》という空港近くの巨大アリーナに、カメラマンも兼ねた友人とレンタカーで行った。ビル・グラハムが子供を肩車して現れ、1973年に別れを告げる特別な夜だということを印象付ける。《カウパレス》は名前からして、牛のオークション場、というイメージもあるが、主にバスケット・ボールなどのスポーツが催され、政治集会や新日本プロレスも興行をする15,000人収容の会場だ。「カリ(カリフォルニア)・パレス」が訛って「カウパレス」になった、という説もあるが、グレッグ・オールマンは自伝『My Cross To Bear』で、「そこには牛のクソの臭いが染みついていた」と述懐しているから、やはり牛が関係しているのだろう。
前座はマーシャル・タッカー・バンドで、エレクトリック・フルートが美しいメロディを奏でる。オールマン・ブラザーズ・バンドがステージに現れたのは午後10時過ぎ。それまで写真で知っていた彼らはダンガリーのシャツにジーンズという格好だが、この夜はグレッグもディッキー・ベッツも白いスーツ姿。現在はローリング・ストーンズのサポート・キーボード奏者としても知られるチャック・リーヴェルも在籍していた時期のラインナップで、オープニングは「むなしいことば(Wasted Words)」。グレッグは3曲ほどギターを弾いたあとハモンドの前に座った。
ツイン・ドラムスという構成のバンドは初めて聴いたが、ラマー・ウィリアムスのベースとテンポよく混ざり合い、当時のロック界でもトップ・クラスの音響で延々と続くジャム・セッションも退屈させない。午前0時のカウントダウン・イベントをはさんでも演奏が続き、途中でジェリー・ガルシアとボズ・スキャッグスが乱入。ボズがキーボードの前に座るとグレッグはさっさと引っ込み、それっきり姿を現さなかった。それから30分以上も続く「マウンテン・ジャム」が始まり、もうそれは極上のニュー・イヤーズ・コンサートで、追い出し曲の「リトル・マーサ」のレコードが流れる中、8時間、立ちっぱなしの会場をあとにした時には太陽が昇っていた。
多分、メンバーたちも演奏と酒に酔ったのだろう、翌1月1日はエルヴィン・ビショップをゲストに迎えていたが、前夜ほどの快演とはいかなかった。これが私とオールマン・ブラザーズ・バンドとの最初の出会いだった。デュアン在籍時には間に合わなかったが、かなり早い時期に最高のコンディションの演奏を見られてボブ・ディランに感謝、いいえ、センムさんに感謝あるのみ。このコンサートはKSANという地元のラジオ局がリアルタイムで中継し、すぐに海賊盤になったが、後年、改めて公式盤が発売されている。73年10月にグレッグは『レイド・バック』というソロ・アルバムを発表し、バンド内でも軋みがあるかのような噂もあったが、コンサートでは一切妥協せず、プロとしての矜持を十分に感じさせた。
『My Cross To Bear』によれば、この直後、グレッグはシェールと恋仲になる。シェールは当時、デヴィッド・ゲフィンの恋人だったが、1975年6月30日にグレッグとシェールは結婚した。かくして南部の田舎育ちの青年は、パパラッチに追われるビヴァリー・ヒルズ住まいのスターとなったのだ。1977年、《最悪の来日コンサートのひとつ》とも言われる日本公演が実現するが、確かに記憶にさえ残っていないコンサートだった。シェール同伴のいわば新婚旅行の続きのような来日で、マスコミを完全にシャットアウトし、取材はかろうじてレセプションにふたりが現れた時のみだった。
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グレッグ・オールマンはシェールと共に1977年6月に初来日。最初の4枚はその記者会見の様子、個別取材はなし。続くカラーの4枚は東京・武道館公演、最後モノクロの4枚は大阪・厚生年金会館公演より。このあと1991年にオールマン・ブラザーズ・バンドとして初来日公演が実現。翌年、そして1998年にも来日した。
グレッグとシェールがマスコミに追いかけられていた1975年7月23日と24日、ジョージア州のメイコンで、第4回キャプリコーン・パーティーが催され、当時の日本の発売会社、ビクター・レコードのディレクター、K氏、音楽評論家の福田一郎氏(故人)、ニューヨークから合流したカメラマンのデヴィッド・タン氏とパーティーに参加した。グレッグは姿を現さなかったが、ディッキー・ベッツ、チャック・リーヴェル、ボビー・ウィットロック(デレク&ザ・ドミノス)、デラニー・ブラムレットなどの姿が見られた。キャプリコーン・レコードの創設者、フィル・ウォルデン、副社長のフランク・フェンター(注5)も顔を見せ、私たちと一緒に記念写真におさまった(本ページ・トップの写真)。私は背中にピーチの刺繍をしたダンガリーのシャツを着ており、ディッキーがそこにサインをしてくれ(写真)、その時の写真にまたサインをしてもらっている。ということは、どこかでディッキーに会っているのだが、実はどこで再度サインをもらったかは不明。
メイコン訪問のもうひとつのハイライトは(当時はまだ宗教用語だった表現)「聖地巡礼」で、デュアンとベリー・オークリーの眠る墓地を訪れることだった。21世紀になって、数多くの日本人ファンもメイコンの地を訪れるようになったが、現在は鉄のフェンスで囲われているデュアンとベリーの墓地は、その時は誰でも墓に触れられるようにフェンスがなかった。ローズヒル墓地のかなり奥の方にふたりの墓石があった。事前に花屋に寄って花束を買い、真っ白な大理石の上にマグノリアの花を置いた。今でも思い出すたびに涙ぐむ時間だ。仕事で来ているとはいえ、「空駆ける犬(Sky Dog)」と呼ばれ、エリック・クラプトンやボズ・スキャッグスとも共演し、わずか24歳で他界した天才の魂がここに眠っているのかと思うと、感慨はひとしおだ。
30分ばかりそこで静かに過ごし、私たちは今度はグレッグの家を訪れた。もちろん主の姿はなく、留守をしていたローディーが内部を案内してくれた。現在でこそネットに聖地巡礼をしたファンが書いた情報があふれてあるが、私たちが行った時は「H&H」(バンドが好んで行ったレストラン)のことは知らず、「ビッグハウス(オールマン・ブラザーズ・ミュージアム)」もまだなかった。そのあと、オーティス・レディングの未亡人が経営している「ビッグ・オー・ランチ(牧場)」に行った。
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キャプリコーン・パーティで訪れたメイコンにて、最初はグレッグ・オールマン当時の自宅。本人は留守中ながら案内してもらった際に撮影した居間。会場内にはディッキー・ベッツらメンバーも。そして福田氏と共に記念写真。最後の2枚は、オールマン・ファンとして訪れた聖地巡礼の場所、デュアン・オールマンとベリー・オークリーが眠る墓所。
2002年から2009年までアメリカに住んでいた時期、オールマン関連のミュージシャンを見ない年はなかった。オールマン・ブラザーズ・バンドはワシントンDCのアリーナで、グレイトフル・デッドとのダブル・ヘッドライナーで毎夏、演奏した。グレッグのソロ・ツアーもほぼ毎年あった。これは500人程度の劇場で、アコースティック・ヴァージョンの「Midnight Rider」や「Will The Circle be Unbroken」「These Days」などを演奏していた。ディッキー・ベッツもやって来た。デレク・トラックスとスーザン・テデスキのギグも見た。ジャズやフュージョンに興味をもっているようだし、スーザンのヴォーカルもすばらしかった。エリック・クラプトン・バンドでスライド・ギターを弾きこなすデレクも見た。しかし、2009年のビーコン・シアターを語らずしてオールマン・ブラザーズ・バンドの物語は終わらない。
注6:グレッグがドラッグ所持で逮捕された折り、司法取引に応じてドラッグの調達役だったロード・クルーのスクーター・ヘリングの名前を出し、ヘリングは懲役刑を受けた。グレッグは仲間を売ったと非難された。
水上はるこ著『最低で最高のロックンロール・ライフ(仮)』書籍化が決定!
水上はるこ執筆『最低で最高のロックンロール・ライフ』は、本連載の10回分に加え多数の書き下ろしと共に単行本化、2021年冬発売予定です。詳細は決まり次第MUSIC LIFE CLUBでお知らせしますので、ご期待ください!
みなかみはるこ。元『ミュージック・ライフ』『jam』編集長。79年にフリーとなる。80年代の夏、ロック・フェスティバルを追いかけながら欧州を放浪。パリ、ブリュッセル、ロンドン、モスクワ、サンフランシスコ、ニューヨークなどに居住。19冊の本を出版。20冊目はロック小説『レモンソング・金色のレスポールを弾く男』(東京図書出版)。
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