
矢沢永吉、南佳孝、ミッシェル・ポルナレフ……どこにもない音楽を目指し、輝きを倍増させたアーティスト達との記録

風雲レコードディレクター回想録 髙久光雄
矢沢永吉、南佳孝、ミッシェル・ポルナレフ、アンドレ・ギャニオン、クライズラー&カンパニー……どこにもない音楽を目指し、輝きを倍増させたアーティスト達との記録
2024年5月28日に亡くなられた音楽プロデューサー高久光雄氏がミュージック・リポートで連載されていた自伝「あの日、あの頃」を元に再構成。生前交流のあった関係諸氏にも取材を行ない、個性あふれる音楽プロデュース・ヒストリーの一冊に仕上がった。
【目次】
第1章 はじまり
親父の才能を一番受け継いだ末っ子!?/家族に恵まれ音楽三昧の学生時代/憧れのコロムビアに就職。でも内示は…/
あの頃のこと①大塚壮一郎
第2章 日本コロムビア
恐れ知らずの新人、泉さんを激励/若き帝王·泉明良さんに可愛がられ/ヒット作りにあの手この手/それはTBSでの出会いだった/創立3年目のCBS·ソニーへ移籍
あの頃のこと②清水美樹夫
第3章 CBS・ソニー洋楽
100回聴いたら見えてきた風景/ポルナレフ成功の理由とは/アルディが売れた。部長どうします?/日本独自企画でヒット作り/「ミツオを探せ!」パリ捜査網/日本のヒットがABBAを生んだ?
あの頃のこと③喜久野俊和
第4章 CBS・ソニー邦楽
矢沢永吉にプレゼンテーション/チーム矢沢、一歩ずつ完成/ライヴ盤ヒットも、そして終演へ/“下北のジャニス”金子マリ/南佳孝はシティミュージックだ/南佳孝の成功は鈴木茂のおかげ/代表曲「モンロー·ウォーク」誕生、そしてニューヨーク/今も色褪せないラジの歌声。サディスティックスとティン・パン・アレーが合体。坂本龍一も合流/筒美京平さんと1曲だけの仕事/78年、79年は怒濤のリリース攻勢/小澤案件が降ってきた/ハウンド・ドッグには先生がいた/ディレクターは原石を欲している/SDで次世代ディレクターも育成/印象深いアーティストたち/著書「ディレクターは個性がキメ手だ」
あの頃のこと④南佳孝
あの頃のこと⑤鈴木茂
あの頃のこと⑥原田公一
あの頃のこと⑦S-KEN
第5章 EPIC・ソニー
スランプに陥りEPICへ異動/やったことのないジャンルに挑戦/クラシックに役立った欧州見聞/クラシックレーベル立ち上げ/EPIC制作3部の挑戦/アンドレ·ギャニオンは人を惹き付ける/アンドレの才能と支えた人々
あの頃のこと⑧丸山茂雄
あの頃のこと⑨岸健二郎
第6章 キティ・エンタープライズ
石坂敬一に誘われポリグラムへ/キティの構造改革に着手/人材抜擢、事業整理と改革続く/スガ シカオ、アンドレなどヒット続く/思い出のアーティストたち/マグマのようなディレクターが必要なんだ
あの頃のこと⑩軽部重信
第7章 ユニバーサル インターナショナル
洋楽の№1カンパニーに/業績好調、でも僕は退社へ
第8章 ユーズミュージック
ユーズミュージックでも最初は経営改善/インディーズのミリオンを体験
第9章 ドリーミュージック
ファンモンに選択と集中/アンドレ作品が平原綾香の代表曲に/今も忘れられない東日本大震災/温かい応援受け社長復帰、そして退社
第10章 それから
音楽という記録を残せた。それが財産
あとがき 文・今井智子
高久光雄[Mitsuo Takaku]
1946年3月31日生まれ。1968年に日本コロムビア(株)入社、1971年(株)CBS・ソニーに移り、1979年からは(株)EPIC・ソニーへ異動、その後はポリグラム・グループの(株)キティ・エンタープライズ代表取締役社長、ユニバーサルインターナショナル社長をへて2001年より(株)ユーズミュージックの顧問、取締役副社長を歴任。2006年6月には(株)ドリーミュージックへ代表取締役社長兼CEOとして入社、2011年10月より取締役相談役、取締役エグゼクティブプロデューサーを経て、2015年1月に社長復帰。翌年5月まで務めたのち2017年3月に退社。2024年5月28日に逝去。
風雲レコードディレクター回想録 髙久光雄
四六判/256ページ/¥2,000(税込)
