志磨遼平自叙伝『ぼくだけはブルー』発売記念イベント開催。9/21〜23・東京、福岡、大阪イベント・リポート
弊社刊、志磨遼平自叙伝『ぼくだけはブルー』の発売記念イベントが、9月21日〜23日に東京、福岡、大阪にて開催されました。

■東京:9月21日(土) 会場:紀伊國屋書店新宿本店
この日は志磨遼平サイン会と並行して、志磨遼平選書フェア、パネル展、ポップアップストアが開催された。当日は開店前から入口エスカレーター前に人が並び、開店と同時に二階入口近辺に人だかりができた。同所では志磨遼平等身大パネルが展示され、ここでしか手に入らない限定グッズ販売ポップアップストア、選書フェア・フリーペーパー(志磨直筆の各選書へのコメントがまとめて記載された紙)が配布された。
サイン会は午後から二回に分けて行われ400名にも及ぶファンが集まった。
「本を出版してくださって、ありがとうございます」「今晩徹夜で読みます」「引っ越したので、新しい本棚に入れる初めての本です」「大阪のサイン会にも行きます」──と直筆サインをする短い時間の隙間に様々な声がけがあった。もちろんこの後行なわれるツアーにも「○○へ行きます」「全部行きます」と嬉しい声がかかり。志磨さんもそれぞれに「ありがとうございます」と丁寧に言葉を返していた。
■福岡:9月22日(日) 六本松 蔦屋書店
この日は同店の7周年記念イベントのひとつとして、トーク・イベント&サイン会が行なわれた。同店館長の南原さんはメジャー・デビュー時毛皮のマリーズを激推しした一人。
志磨:毛皮のマリーズがメジャー・デビューした時の影の立役者……というか、南原さんのおかげで僕らは全国的に名前を知られるようになったという歴史があります。

2010年当時、レンタルCD のTSUTAYAで、南原さんは音楽誌『My Space From JP』2009年11月号の表紙で異彩を放っていた毛皮のマリーズに注目した。
南原:僕はどうしても荒々しい2010年型ロックンロール、野蛮なロックンロールを流行らせたいと思っていて、そういったバンドの代表にしたいと思ったんです。
志磨:まずその雑誌「My Space From JP」が僕らを取り上げてくれて、次にTSUTAYAがコーナーを作って僕らを大々的に取り上げてくれたんです。当時TSUTAYAといえばレンタルCDがメインで、地方在住の音楽ファンにとって重要な情報源だった。特に、お金のない若者はとにかくそこで知らないCDを借りて知識を
南原:僕はどうしても荒々しい2010年型ロックンロール、野蛮なロックンロールを流行らせたいと思っていて、そういったバンドの代表にしたいと思ったんです。
志磨:まずその雑誌「My Space From JP」が僕らを取り上げてくれて、次にTSUTAYAがコーナーを作って僕らを大々的に取り上げてくれたんです。当時TSUTAYAといえばレンタルCDがメインで、地方在住の音楽ファンにとって重要な情報源だった。特に、お金のない若者はとにかくそこで知らないCDを借りて知識を

得るしかなかったんです。そこに東京のライヴハウスでしか知られていなかった僕らのCDが全国規模で大々的に展開されたんですよ。本当にありえないくらいの大抜擢でした。
毛皮のマリーズのメジャー・デビュー・アルバムは、南原さんがオーダーした志磨さん直筆のメッセージ・コメントと共に1,400店舗に並んだ。
志磨:コメントには自分が影響を受けた音楽や漫画をびっしり羅列して、自己紹介の代わりとしました。はっぴいえんどのファースト・アルバムの裏(感謝の人名リスト)のオマージュというつもりもあったはずですね。
毛皮のマリーズのメジャー・デビュー・アルバムは、南原さんがオーダーした志磨さん直筆のメッセージ・コメントと共に1,400店舗に並んだ。
志磨:コメントには自分が影響を受けた音楽や漫画をびっしり羅列して、自己紹介の代わりとしました。はっぴいえんどのファースト・アルバムの裏(感謝の人名リスト)のオマージュというつもりもあったはずですね。
続いて南原さんが〈志磨遼平は策士じゃないか?〉と思う理由が、〈毛皮のマリーズ関連の日程に関した数字の秘密〉を元に解説された。
南原:これは薄々は感じていたことで、メジャー・デビューから解散の時まで色々あるんです。まず2003年2月2日。何の日かわかりますか?
志磨:僕が21歳、多分、毛皮のマリーズというバンド名をつけた日。
南原: 2月2日はシド・ヴィシャスの命日なんです。
志磨:えー! そうなんだ!? これは全くの偶然です。当時日記をつけていて、そこに「毛皮のマリーズというバンド名はどうだろう?」と書いてある。
南原:続いて2010年4月21日。
南原:これは薄々は感じていたことで、メジャー・デビューから解散の時まで色々あるんです。まず2003年2月2日。何の日かわかりますか?
志磨:僕が21歳、多分、毛皮のマリーズというバンド名をつけた日。
南原: 2月2日はシド・ヴィシャスの命日なんです。
志磨:えー! そうなんだ!? これは全くの偶然です。当時日記をつけていて、そこに「毛皮のマリーズというバンド名はどうだろう?」と書いてある。
南原:続いて2010年4月21日。

志磨:毛皮のマリーズ、メジャー・デビューの日。
南原:この日はイギー・ポップの誕生日なんです。
志磨:おお! すごいすごい。
廣瀬:これも何の狙いもなく?
志磨:もちろんですよ。CDの発売日は慣例で毎週水曜日と決まっていて、たまたまこの日にデビュー・アルバムが出ただけで……もちろん偶然です。
南原:と、恐ろしくなって次は、1年後の2011年4月23日。
志磨:『ティン・パン・アレイ』のツアーが終わるくらい?
南原:ツアー最終日、当時C.C.Lemonホールと呼ばれていた渋谷公会堂。
志磨:そのライヴが終わった後、メンバーとコロムビアの社員合同で行われた打ち上げで “さあ、次のアルバムはどうする? 志磨、次はなにやるか言え! ” って言われて、“次のアルバムで解散します!” って言ったら、水を打ったように静まりかえった。まぁ、コロムビアは本気にしなかったと思うんですけど、僕が本気だっていうのはメンバーにはわかる。だから初めて解散を口に出した日。
南原:この日はなんと、ジョニー・サンダースの命日。
志磨:確かに、ホントだ。
南原:策士目線で見てるんで、僕は過剰に反応しちゃいました。
志磨:どれもすべて偶然ですね。
ここから『ぼくだけはブルー』について、志磨さん、南原さんをよく知る同店の絵本コンシェルジュ廣瀬カナエさんも参加してのトークが展開された。その中でもコアなテーマとなる「ロックンロールとは?」に関しての部分を。
南原:結構究極な質問で何千何万回となくされてると思いますが、「ロックンロールとは」。
志磨:答えは人それぞれだし、僕にも明確な定義はありませんけども。
南原:またTSUTAYA話に戻りますが、2010年デビュー前の誌面インタヴューで、同様の質問をさせてもらってましたので、それを持ってきました。14年間でそれがどう変わったか。
志磨:28歳くらいの僕が答えてるわけですね。じゃあ14年前の答えを読みます。〈性別も年齢も思想も肌の色もやすやすと超えて、ただ愛と平和を望み、もちろん誰しもに平等な権利がありタブーもなく何も強制しない。ほぼ10年周期で起こる対立や抗争すら痛快で、決まってそれはいつも無血革命である。自由で高尚であると同時に、低俗野蛮プリミティヴ、つまりシンプルで使い勝手がいい。お布施も上納金もない。ただあなたの生活を豊かにする、生きる指針と進む勇気をもたらす。それ以上でも以下でもない。近代に於いて最も高性能な宗教(しかも多神教)と私は定義します〉、うん、なるほど。
廣瀬:こういう風に回答したのは覚えてらっしゃいますか?
志磨:いや、覚えてないですね。ま、でも、うんうんという感じ。
廣瀬:ここに関してはブレがないということですね。
志磨:そうですね、うんうん。
南原:14年間経って様々なバンドの経験も増え、今、ロックンロールの概念をどう捉えていらっしゃるか?
志磨:そうですね、いろんな観点から捉えられますけど、例えば音楽的に「ロックンロール」を捉えるならば、僕は「ロック」と「ロックンロール」は全く別物だと思っていて。「ロックンロール」は1950年代のアメリカでブルース、リズム&ブルースといった黒人音楽と、カントリー・ミュージックのような白人音楽、そこにラテン音楽といったさまざまな要素が混ざった混血の音楽である──と。これはつまり人類初の混血の文化である。だからすごく平和的なものであると思ってます。それまでは今ほど産業や交通網が発達しているわけではないので、やすやすと文化が国境を越えることがなかった。例えば日本の民謡みたいに、地域固有の文化として点在していた。それが奇しくも戦争で──それぞれの文化や音楽が国境を超えて混ざり合っていく。それが20世紀に入った最初くらいから。そして第二次世界大戦が終わって1950年代に世界中で若者によるカルチャーが同時多発的に生み出された。それまでは、若者が文化を先導して切り開いていく──という現象も意外となかったんです。若い奴らが大人に向かって、お前らジジイのいうことは聞かんぞ、俺らは俺らで時代を作るんや──というのも初めて。だから「ロックンロール」はまず、差別とかそういうものから一番遠くにある、何の分け隔てもない、階級も性別も、まさに国境も何も関係ない音楽。そして、反抗的な音楽である。学校、政治、国、大人、親、そういった旧体制に反抗するスタンスが「ロックンロール」と言えると思っています。なので、もちろん差別的な思想を含んでいる音楽は絶対「ロックンロール」ではないし、反抗的でない音楽も「ロックンロール」ではない。もしそういう保守的な音楽があるとすれば、それは「ロック」とか言えばいいんじゃないですか。
南原:志磨さんブレてないですね。「ロックンロール」の概念は変わらずに、〈デビュー後の展望〉というテーマでも今おっしゃっていることが当てはまります。
志磨:〈ロックンロールはあなたを幸せにします、我々の今後を見ていただければわかってもらえると思います〉って書いてますね。すごい。〈我々は少年少女に夢を与えるものでございます、どうぞご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします〉で締めくくられてますね。
南原:ロックンロールのロールをつけないと気持ち悪くて、この志磨さんのインタヴュー記事に影響を受けて、この原稿は残してたんだなと思ってます。
志磨:なるほど。ありがとうございます。南原さんのもとにはそれこそ毎月毎週のように様々なアーティストの資料が届くだろうし、今まで何千何万というインタヴューに目を通してきたでしょうに、その中のたった一枚の原稿をずっと残しておいてくださるというのはなかなかないことだ。
南原:毛皮のマリーズ・フォルダを作ってましたから。
志磨:わはは! ありがとうございます。
廣瀬:〈我々は少年少女に夢を与えるものでございます〉と言い切るのはカッコいいなと思いました。
志磨:毛皮のマリーズっぽい。
最後に集まってくださった会場の方からの質問に答えるQ&Aコーナーへ。
Q:後輩で昔の毛皮のマリーズみたいだな、というバンドはいますか。いれば聴いてみたいのですが。
志磨:カッコいいバンドはもちろんいっぱいいますけど、昔の毛皮のマリーズみたいに──虚勢を張って大口を叩いてとにかく自らを追い込んで、若者らしく頭が悪い──そういうバンドは、今はまだ見つけられてないですかね。カッコいいバンドはいっぱいいますけど。
Q:今、日本のバンドで一番ロックだと思われるバンドは?
志磨:さっきの話を踏まえると、「ロック」なバンドがほとんどに思えます。邦楽フェスなんかに出ても「ロックンロール」にはほとんど出会わない。みんな「ロック」ばかり。去年くらいからツーマンを定期的にやるようになりまして、例えばbetcover!! であるとか、そういうものすごいバンドはたくさんいますし、まだまだ共演したいバンドもたくさんいます。でも、それ以外のほとんどは「ロック」バンドで、「ロックンロールやな〜」というバンドは今、僕の視界には入っていない。どこかにいるかもしれないけど。
Q:今、志磨さんが熱いぜ!っていう作家か小説があれば教えてください。
志磨:いっぱいあるなぁ……。今、ここに来る飛行機で読んでいたのは、アメリカのポール・オースターという作家。最近亡くなられましたけど、昔読んで面白かったのでまた読み返しています。
Q:志磨さんが使っている小物でおすすめがあれば教えてください、真似っこしたいので。
志磨:なんだろう……ライターはできればBicがいいとか……それくらいで、あまり小物にこだわりがないんです。すぐになくしたりダメにしたりするので、あまりモノに執着がなくて。すみません。……あっ、メガネは原宿の白山眼鏡。ジョン・レノンがそこでメガネを作っていたので、僕も真似して。何本か持ってますが、全部白山で作ったものです。
Q:『ぼくだけはブルー』と「Hippies E.P.」の発売日が一緒なのは偶然ですか?
志磨:僕が発売日を指定したわけではないですけど、事務所か出版社かレコード会社か……そのうちの誰かが “この日に合わせよう” って指定している可能性は大なので、なにか裏で力が働いている気がしますけど。僕はその締め切りに間に合うように書いたので──。ひとりになって10年、だそうです。
Q:和歌山で撮り下ろしをされたそうですが、何かエピソードを一つ教えてください。
志磨:朝から和歌山の町中を撮影しながら回って、みんなお腹が空いてきたので、僕のオススメの「まるイ」っていう美味しいラーメン屋さんにみんなで入りました。で、食べ終わって外に出たら、ものすごい怖い人が車の中から窓を開けて、“お兄ちゃん、何やってんの?” ──その人に「バンドをやってるんですけど、東京からひさしぶりに帰ってきて撮影してるんです」と説明したら、“ホンマか! なんちゅうバンドや?” ──バンド名を答えたら、“おお聞くわ!がんばりや”──。威圧的というか、友好的というか(笑)。いかにも和歌山らしい感じが変わってないな……と思いました。
廣瀬:いろいろ聞きたいことはたくさんあるんですが、時間がきてしまいました。
志磨:まあ、本でもっといろんなエピソードが読めますので、是非読んでいただければ。でも、こうして昔の自分が言ってたことを改めて聞くと、やっぱり僕がこういう本を出すにはまだ早い、まだ志半ばだ──という思いを強くしますね。面白いことをもっとたくさんしたいと思います。
南原:僕は夢が叶いました、こうやって対バンできて。
志磨:対バン(笑)。また是非対バンしましょう。
南原:2冊目出した時に。
志磨:じゃあ、また何十年後かに(笑)。それまでよろしくお願いします。
廣瀬:いろんなお話が聞けていい時間でした。ありがとうございました。
志磨:ありがとうございました。
場内大拍手、この後サイン会が行なわれた。
南原:この日はイギー・ポップの誕生日なんです。
志磨:おお! すごいすごい。
廣瀬:これも何の狙いもなく?
志磨:もちろんですよ。CDの発売日は慣例で毎週水曜日と決まっていて、たまたまこの日にデビュー・アルバムが出ただけで……もちろん偶然です。
南原:と、恐ろしくなって次は、1年後の2011年4月23日。
志磨:『ティン・パン・アレイ』のツアーが終わるくらい?
南原:ツアー最終日、当時C.C.Lemonホールと呼ばれていた渋谷公会堂。
志磨:そのライヴが終わった後、メンバーとコロムビアの社員合同で行われた打ち上げで “さあ、次のアルバムはどうする? 志磨、次はなにやるか言え! ” って言われて、“次のアルバムで解散します!” って言ったら、水を打ったように静まりかえった。まぁ、コロムビアは本気にしなかったと思うんですけど、僕が本気だっていうのはメンバーにはわかる。だから初めて解散を口に出した日。
南原:この日はなんと、ジョニー・サンダースの命日。
志磨:確かに、ホントだ。
南原:策士目線で見てるんで、僕は過剰に反応しちゃいました。
志磨:どれもすべて偶然ですね。
ここから『ぼくだけはブルー』について、志磨さん、南原さんをよく知る同店の絵本コンシェルジュ廣瀬カナエさんも参加してのトークが展開された。その中でもコアなテーマとなる「ロックンロールとは?」に関しての部分を。
南原:結構究極な質問で何千何万回となくされてると思いますが、「ロックンロールとは」。
志磨:答えは人それぞれだし、僕にも明確な定義はありませんけども。
南原:またTSUTAYA話に戻りますが、2010年デビュー前の誌面インタヴューで、同様の質問をさせてもらってましたので、それを持ってきました。14年間でそれがどう変わったか。
志磨:28歳くらいの僕が答えてるわけですね。じゃあ14年前の答えを読みます。〈性別も年齢も思想も肌の色もやすやすと超えて、ただ愛と平和を望み、もちろん誰しもに平等な権利がありタブーもなく何も強制しない。ほぼ10年周期で起こる対立や抗争すら痛快で、決まってそれはいつも無血革命である。自由で高尚であると同時に、低俗野蛮プリミティヴ、つまりシンプルで使い勝手がいい。お布施も上納金もない。ただあなたの生活を豊かにする、生きる指針と進む勇気をもたらす。それ以上でも以下でもない。近代に於いて最も高性能な宗教(しかも多神教)と私は定義します〉、うん、なるほど。
廣瀬:こういう風に回答したのは覚えてらっしゃいますか?
志磨:いや、覚えてないですね。ま、でも、うんうんという感じ。
廣瀬:ここに関してはブレがないということですね。
志磨:そうですね、うんうん。
南原:14年間経って様々なバンドの経験も増え、今、ロックンロールの概念をどう捉えていらっしゃるか?
志磨:そうですね、いろんな観点から捉えられますけど、例えば音楽的に「ロックンロール」を捉えるならば、僕は「ロック」と「ロックンロール」は全く別物だと思っていて。「ロックンロール」は1950年代のアメリカでブルース、リズム&ブルースといった黒人音楽と、カントリー・ミュージックのような白人音楽、そこにラテン音楽といったさまざまな要素が混ざった混血の音楽である──と。これはつまり人類初の混血の文化である。だからすごく平和的なものであると思ってます。それまでは今ほど産業や交通網が発達しているわけではないので、やすやすと文化が国境を越えることがなかった。例えば日本の民謡みたいに、地域固有の文化として点在していた。それが奇しくも戦争で──それぞれの文化や音楽が国境を超えて混ざり合っていく。それが20世紀に入った最初くらいから。そして第二次世界大戦が終わって1950年代に世界中で若者によるカルチャーが同時多発的に生み出された。それまでは、若者が文化を先導して切り開いていく──という現象も意外となかったんです。若い奴らが大人に向かって、お前らジジイのいうことは聞かんぞ、俺らは俺らで時代を作るんや──というのも初めて。だから「ロックンロール」はまず、差別とかそういうものから一番遠くにある、何の分け隔てもない、階級も性別も、まさに国境も何も関係ない音楽。そして、反抗的な音楽である。学校、政治、国、大人、親、そういった旧体制に反抗するスタンスが「ロックンロール」と言えると思っています。なので、もちろん差別的な思想を含んでいる音楽は絶対「ロックンロール」ではないし、反抗的でない音楽も「ロックンロール」ではない。もしそういう保守的な音楽があるとすれば、それは「ロック」とか言えばいいんじゃないですか。
南原:志磨さんブレてないですね。「ロックンロール」の概念は変わらずに、〈デビュー後の展望〉というテーマでも今おっしゃっていることが当てはまります。
志磨:〈ロックンロールはあなたを幸せにします、我々の今後を見ていただければわかってもらえると思います〉って書いてますね。すごい。〈我々は少年少女に夢を与えるものでございます、どうぞご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします〉で締めくくられてますね。
南原:ロックンロールのロールをつけないと気持ち悪くて、この志磨さんのインタヴュー記事に影響を受けて、この原稿は残してたんだなと思ってます。
志磨:なるほど。ありがとうございます。南原さんのもとにはそれこそ毎月毎週のように様々なアーティストの資料が届くだろうし、今まで何千何万というインタヴューに目を通してきたでしょうに、その中のたった一枚の原稿をずっと残しておいてくださるというのはなかなかないことだ。
南原:毛皮のマリーズ・フォルダを作ってましたから。
志磨:わはは! ありがとうございます。
廣瀬:〈我々は少年少女に夢を与えるものでございます〉と言い切るのはカッコいいなと思いました。
志磨:毛皮のマリーズっぽい。
最後に集まってくださった会場の方からの質問に答えるQ&Aコーナーへ。
Q:後輩で昔の毛皮のマリーズみたいだな、というバンドはいますか。いれば聴いてみたいのですが。
志磨:カッコいいバンドはもちろんいっぱいいますけど、昔の毛皮のマリーズみたいに──虚勢を張って大口を叩いてとにかく自らを追い込んで、若者らしく頭が悪い──そういうバンドは、今はまだ見つけられてないですかね。カッコいいバンドはいっぱいいますけど。
Q:今、日本のバンドで一番ロックだと思われるバンドは?
志磨:さっきの話を踏まえると、「ロック」なバンドがほとんどに思えます。邦楽フェスなんかに出ても「ロックンロール」にはほとんど出会わない。みんな「ロック」ばかり。去年くらいからツーマンを定期的にやるようになりまして、例えばbetcover!! であるとか、そういうものすごいバンドはたくさんいますし、まだまだ共演したいバンドもたくさんいます。でも、それ以外のほとんどは「ロック」バンドで、「ロックンロールやな〜」というバンドは今、僕の視界には入っていない。どこかにいるかもしれないけど。
Q:今、志磨さんが熱いぜ!っていう作家か小説があれば教えてください。
志磨:いっぱいあるなぁ……。今、ここに来る飛行機で読んでいたのは、アメリカのポール・オースターという作家。最近亡くなられましたけど、昔読んで面白かったのでまた読み返しています。
Q:志磨さんが使っている小物でおすすめがあれば教えてください、真似っこしたいので。
志磨:なんだろう……ライターはできればBicがいいとか……それくらいで、あまり小物にこだわりがないんです。すぐになくしたりダメにしたりするので、あまりモノに執着がなくて。すみません。……あっ、メガネは原宿の白山眼鏡。ジョン・レノンがそこでメガネを作っていたので、僕も真似して。何本か持ってますが、全部白山で作ったものです。
Q:『ぼくだけはブルー』と「Hippies E.P.」の発売日が一緒なのは偶然ですか?
志磨:僕が発売日を指定したわけではないですけど、事務所か出版社かレコード会社か……そのうちの誰かが “この日に合わせよう” って指定している可能性は大なので、なにか裏で力が働いている気がしますけど。僕はその締め切りに間に合うように書いたので──。ひとりになって10年、だそうです。
Q:和歌山で撮り下ろしをされたそうですが、何かエピソードを一つ教えてください。
志磨:朝から和歌山の町中を撮影しながら回って、みんなお腹が空いてきたので、僕のオススメの「まるイ」っていう美味しいラーメン屋さんにみんなで入りました。で、食べ終わって外に出たら、ものすごい怖い人が車の中から窓を開けて、“お兄ちゃん、何やってんの?” ──その人に「バンドをやってるんですけど、東京からひさしぶりに帰ってきて撮影してるんです」と説明したら、“ホンマか! なんちゅうバンドや?” ──バンド名を答えたら、“おお聞くわ!がんばりや”──。威圧的というか、友好的というか(笑)。いかにも和歌山らしい感じが変わってないな……と思いました。
廣瀬:いろいろ聞きたいことはたくさんあるんですが、時間がきてしまいました。
志磨:まあ、本でもっといろんなエピソードが読めますので、是非読んでいただければ。でも、こうして昔の自分が言ってたことを改めて聞くと、やっぱり僕がこういう本を出すにはまだ早い、まだ志半ばだ──という思いを強くしますね。面白いことをもっとたくさんしたいと思います。
南原:僕は夢が叶いました、こうやって対バンできて。
志磨:対バン(笑)。また是非対バンしましょう。
南原:2冊目出した時に。
志磨:じゃあ、また何十年後かに(笑)。それまでよろしくお願いします。
廣瀬:いろんなお話が聞けていい時間でした。ありがとうございました。
志磨:ありがとうございました。
場内大拍手、この後サイン会が行なわれた。

■大阪:9月23日(月) 会場:紀伊國屋書店グランフロント大阪店
サイン会開催


志磨遼平自叙伝『ぼくだけはブルー』発売決定
『ぼくだけはブルー』
著者:志磨遼平
孤高のロックスター、志磨遼平初の自叙伝。
1982年3月6日生まれ。和歌山県和歌山市出身。幼少期から、デヴィッド・ボウイをはじめとするさまざまな音楽や文芸作品にかこまれて成長し、アーティストを志すようになる。2001年に上京後、不遇の時代を経て2006年に《毛皮のマリーズ》としてデビュー。以後、日本のロックンロール・リバイバルを牽引する存在となるも、2011年に日本武道館公演をもって解散。翌2012年には《ドレスコーズ》を結成。しかし、わずか2年あまりでメンバー全員が脱退。その直後に制作された初のソロ・アルバム『1』の発表から10周年を記念し、生い立ちから2014年の独立に至るまでの波瀾万丈の歩みを総括。
本人が書き下ろす本編に加え、メンバーや関係者、当時のファンによる証言、撮り下ろし写真、蔵出し写真等もあり。さらに美輪明宏との特別インタビューを掲載。装丁は羽良多平吉。
・うそつきで、いやらしくって、人と同じことができなくて。それが神様から配られたぼくの「カード」だった。もうおかしくなるしかない、って気分だった。
・ひとりぼっちで十分だ。悲しいけどさ、ぼくはそういうふうなんだ。
―本文より―
『ぼくだけはブルー』
著者:志磨遼平
発売 : 2024年9月24日(火)
判型/ページ数 : 四六判/292ページ予定、上製本
定価 : 2,800円(税込)
発行 : シンコーミュージック・エンタテイメント
ISBNコード:978-4-401-65528-1
『ぼくだけはブルー』
著者:志磨遼平
孤高のロックスター、志磨遼平初の自叙伝。
1982年3月6日生まれ。和歌山県和歌山市出身。幼少期から、デヴィッド・ボウイをはじめとするさまざまな音楽や文芸作品にかこまれて成長し、アーティストを志すようになる。2001年に上京後、不遇の時代を経て2006年に《毛皮のマリーズ》としてデビュー。以後、日本のロックンロール・リバイバルを牽引する存在となるも、2011年に日本武道館公演をもって解散。翌2012年には《ドレスコーズ》を結成。しかし、わずか2年あまりでメンバー全員が脱退。その直後に制作された初のソロ・アルバム『1』の発表から10周年を記念し、生い立ちから2014年の独立に至るまでの波瀾万丈の歩みを総括。
本人が書き下ろす本編に加え、メンバーや関係者、当時のファンによる証言、撮り下ろし写真、蔵出し写真等もあり。さらに美輪明宏との特別インタビューを掲載。装丁は羽良多平吉。
・うそつきで、いやらしくって、人と同じことができなくて。それが神様から配られたぼくの「カード」だった。もうおかしくなるしかない、って気分だった。
・ひとりぼっちで十分だ。悲しいけどさ、ぼくはそういうふうなんだ。
―本文より―
『ぼくだけはブルー』
著者:志磨遼平
発売 : 2024年9月24日(火)
判型/ページ数 : 四六判/292ページ予定、上製本
定価 : 2,800円(税込)
発行 : シンコーミュージック・エンタテイメント
ISBNコード:978-4-401-65528-1
