多才なギタリストでプロデューサーのレジー・ルーカスが65歳で死去

70年代初期から中期にマイルス・デイヴィスのエレクトリック・バンドのメンバーとして活躍し、マドンナのデビュー・アルバムの大半をプロデュースしたギタリストでソングライター、プロデューサーも務めたレジー・ルーカスが、5月19日にマンハッタンの病院で亡くなりました。享年65。

死因は進行性の心不全だったと、娘のリサ・ルーカスが語っています。

多才だったルーカスは、1972年にマイルス・デイヴィスが制作・発表し、当時最も難しいと言われ、決定的に酷評されたアルバム『On the Corner』で演奏し、1983年に発表されたマドンナのデビュー・アルバムでは、「Lucky Star」や「Borderline」(ルーカス作曲)、「Burning Up」といったヒット曲を含め、8曲のうち6曲をプロデュースしました。

本名レジナルド・グラント・ルーカスは、1953年2月25日にニューヨーク市クイーンズ地区のフラッシングという地域で生まれ、父のロナルド・ルーカスは内科医、母のアニーはニューヨークの公立学校で教師をしていました。

子供時代にピアノを習い、後に独学でギターを学び、ブロンクスの高校に進学すると、当時の新しい社会思想だったラディカル・ポリティクスを受け入れ抗議運動に参加、左翼系の学生が発行する出版物に記事を書いていたそうです。

高校生の頃、同じくニューヨークの高校生だった未来のポップ・プロデューサー、ナイル・ロジャースとユニオン・スクエアで行われた反戦運動で知り合い、生涯の友人となります。

ブロンクスの高校を中退したルーカスは、フィラデルフィアのナイトクラブで演奏を始め、すぐにソウル・シンガー、ビリー・ポール(代表曲「ミー&ミセス・ジョーンズ」)のバンドに加入しますが、18歳になる頃には、マイルス・デイヴィスのバンド・メンバーになれるほど腕が上達していました。

マイルスのバンドには3年ほど在籍し、彼の演奏はマイルスのアルバム『On the Corner』や、3枚のライヴ・アルバム(日本公演の記録2作『Agharta』と『Pangaea』、『Dark Magus』)で聴くことができます。
 

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