60年代のハード・ロック・トリオ、ブルー・チアーのポール・ウィアリーが死去

1月28日、ブルー・チアーのドラマーだったポール・ウィアリーが、ドイツの自宅で心臓麻痺のため72歳で亡くなりました。
1967年に結成されたブルー・チアーは、70年代初期までサンフランシスコを拠点に活動し、サイケデリックでハードなブルース・ロック・サウンドで知られていました。バンド名の「ブルー・チアー」は、バンドが愛用していたLSDのブランド名にちなんだもので、結成当時6人だったラインナップは、ジミ・ヘンドリックスのパフォーマンスを観た後で、3人編成になったといいます。
1970年にバンドを脱退したウィアリーは、〈Classic Rock〉のインタヴューで次のように語っていました。
「俺たちはドラッグで時間を無駄にするようになったんだ。俺と(ベースの)ディッキー、そして当時のギタリストだったランディ・ホールデンの間で金を巡って衝突があったし、要するに相性が悪かったのさ。口論ばかりで、お互いの顔を見るのも嫌になったから、解散することにしたんだよ」
ウィアリーは、解散から10年間は音楽活動から離れ、リハビリに参加したこともありましたが、1984年にブルー・チアーに復帰。1992年にドイツへ移住し、2009年にオリジナル・メンバーのディッキー・ピーターソン(vo/b)が肝臓がんで他界するまで活動していました。
1967年に結成されたブルー・チアーは、70年代初期までサンフランシスコを拠点に活動し、サイケデリックでハードなブルース・ロック・サウンドで知られていました。バンド名の「ブルー・チアー」は、バンドが愛用していたLSDのブランド名にちなんだもので、結成当時6人だったラインナップは、ジミ・ヘンドリックスのパフォーマンスを観た後で、3人編成になったといいます。
1970年にバンドを脱退したウィアリーは、〈Classic Rock〉のインタヴューで次のように語っていました。
「俺たちはドラッグで時間を無駄にするようになったんだ。俺と(ベースの)ディッキー、そして当時のギタリストだったランディ・ホールデンの間で金を巡って衝突があったし、要するに相性が悪かったのさ。口論ばかりで、お互いの顔を見るのも嫌になったから、解散することにしたんだよ」
ウィアリーは、解散から10年間は音楽活動から離れ、リハビリに参加したこともありましたが、1984年にブルー・チアーに復帰。1992年にドイツへ移住し、2009年にオリジナル・メンバーのディッキー・ピーターソン(vo/b)が肝臓がんで他界するまで活動していました。
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ターキータッキー さん投稿日時 2019.02.05 23:29
20年前のまさかの来日公演の思い出を大切にします。