ジョニー・マー、エレクトロニック30周年記念ロング・インタヴュー「マンチェスターが突然宇宙の中心になった」

ザ・スミスが解散し、ザ・ザの一員として活動していたジョニー・マーが、ニュー・オーダーのフロントマン、バーナード・サムナーと結成したのがエレクトロニック。セルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースしたのが1991年5月ということで今年でちょうど30年になるのを記念し、ジョニー・マーがインタヴューに応え当時のことを語りました。ここではそこから一部の発言を引用、ご紹介していきます。
エレクトロニック最初のアルバム『エレクトロニック』がリリースされたのは1991年の5月ですが、ユニットとして結成されたのは1989年。ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントがヴォーカルとして参加した最初のシングル「ゲッティング・アウェイ・ウィズ・イット」がマンチェスターのファクトリーからリリースされたのはその年の12月のことでした。

二人がエレクトロニックを結成したまさにその当時はといえば、マー/サムナー双方の地元であるマンチェスターからレイヴ&ドラッグ・カルチャーが加速度的に成長していこうとしていたまさにその最中。1980年代前半にその地でスタートしたファクトリー・レコード、またそれが経営するクラブ「ハシエンダ」が中心となって、シーンは “セカンド・サマー・オブ・ラヴ” “マッドチェスター” と呼ばれながら、大きなムーヴメントへと拡大していきます。その端緒となったザ・ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムがリリースされたのが1989年5月、その後90年代にかけてハッピー・マンデーズやザ・シャーラタンズ、インスパイラル・カーペッツなどなどなど……雨後の筍のように一斉に世に出、チャート/シーンを席巻していくことになります。

「バーニーが僕の家に引っ越してきて、エレクトロニックが僕たちの仕事になった。同じ時期に、僕たちが知らないうちにエクスタシーが到来し、誰も想像していなかったことだけど、ハシエンダが突然満員になり始めたんだ。ハウス・ミュージック、テクノトロニック、MIDI、マッキントッシュ・コンピュータ、フレア、808 State、S'Express、クラブ・カルチャー。僕らが始めてから1週間後にはすべてが始まっていたんだ」
「僕の場合、まだ24歳で、故郷が突然、宇宙の中心になり、そして僕は新しい作曲家のパートナーを得て、毎日のように仕事をして、僕たちはあっという間に勢いを増していった。驚くべき時間だった」
Electronic - Getting Away With It
Electronic - Getting Away With It
(Official Music Video)

──と、ここでの引用はほんのちょっとですが、このジョニー・マー・インタヴューはワーナーミュージック・ライフで3回に分けて公開されます。現在公開中の第1回で、彼はこの他にも「ゲッティング・アウェイ・ウィズ・イット」制作時のスタジオの様子や、エレクトロニックをグループとしてではなくデュオとしてスタートした理由などを語っています。今後も何が語られるのか、お見逃しのないよう!

ワーナーミュージック・ライフ
エレクトロニックの1stアルバムのリリース30周年を記念して、ジョニー・マーがインタビューに答えた!

(ワーナーミュージック・ライフより転載/構成)
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