グラハム・ナッシュがニール・ヤングをバンドに入れたくなかった理由

ニール・ヤング pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music
1969年、クロスビー、スティルス&ナッシュはグループと同名のデビュー・アルバムをリリースし、それをフォローするツアーの難しさについて話し合っていました。当時グラハム・ナッシュは、ニール・ヤングがクロスビー、スティルス&ナッシュに加入することに反対していましたが、ある朝食の席で気が変わったそうです。最近のインタヴューでナッシュが、その理由についてこう語っています。
「僕たちが他とは違う比類のないバンドで、3人の声が一体化したヴォーカルが、これまで誰も聴いたことがないような素晴らしいものであることも、僕らの曲が申し分ないこともわかっていた。それにレコードを作ったら、プロモーションするためのツアーに出て、経験を積むというのは、わかりきったことだよね。ステファン(スティルス)は、バッファロー・スプリングフィールドにいた時、エレキ・ギターを通じてニールと会話をしながら演奏していたから、彼の演奏相手となるリード・ギタリストが必要なのはわかってたんだ」
ナッシュは、自分とデヴィッド・クロスビーだけでは、スティルスが求めるギタリストとしての強さが足りないことに気付いていましたが、アトランティック・レコーズの会長だったアーメット・アーティガンから、ニール・ヤングが適任だと提案されてもピンとこなかったそうです。
「3人で作り上げたヴォーカルを台無しにしたくなかったから、ニールを入れるという提案には不満だった。だけどスティルスに演奏相手が必要なのはわかっていたから、ある日、ニューヨークのブリーカー通りの店で、ニールと朝食を摂ることにしたんだ」
「その朝食の後、ニールはカナダ人だけど、彼をアメリカの大統領にしたくなったよ。ニールはとにかく面白くて、率直で、爽快でね。それで僕は彼に1票投じたんだ」
「僕たちが他とは違う比類のないバンドで、3人の声が一体化したヴォーカルが、これまで誰も聴いたことがないような素晴らしいものであることも、僕らの曲が申し分ないこともわかっていた。それにレコードを作ったら、プロモーションするためのツアーに出て、経験を積むというのは、わかりきったことだよね。ステファン(スティルス)は、バッファロー・スプリングフィールドにいた時、エレキ・ギターを通じてニールと会話をしながら演奏していたから、彼の演奏相手となるリード・ギタリストが必要なのはわかってたんだ」
ナッシュは、自分とデヴィッド・クロスビーだけでは、スティルスが求めるギタリストとしての強さが足りないことに気付いていましたが、アトランティック・レコーズの会長だったアーメット・アーティガンから、ニール・ヤングが適任だと提案されてもピンとこなかったそうです。
「3人で作り上げたヴォーカルを台無しにしたくなかったから、ニールを入れるという提案には不満だった。だけどスティルスに演奏相手が必要なのはわかっていたから、ある日、ニューヨークのブリーカー通りの店で、ニールと朝食を摂ることにしたんだ」
「その朝食の後、ニールはカナダ人だけど、彼をアメリカの大統領にしたくなったよ。ニールはとにかく面白くて、率直で、爽快でね。それで僕は彼に1票投じたんだ」
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