ジャニス・ジョプリンの死因は薬物の過剰摂取ではない?

1970年10月4日、ハリウッドのホテルの客室で遺体となって発見されたジャニス・ジョプリン(享年27)の死因は、ヘロインの過剰摂取だったとされていますが、今年8月に自らの新たな自叙伝『I Ran Into Some Trouble』を出版したジョプリンの友人ペギー・カゼルタは、自伝の中で彼女の死因に疑問を呈し、ジョプリンはヘロイン摂取の後でホテルのロビーへ行き、自動販売機でタバコを買っていたと記述しています。

「彼女の部屋に入ったら、遺体となった彼女の両足がベッドの足元からはみ出していたの。片手にタバコ、もう片方の手には小銭を握りしめていた光景が何年も頭から離れなかった。もし本当にヘロインを過剰摂取していたら、歩いてロビーと部屋を往復できたかしら?

私も過剰摂取を経験したことがあるけど、歩くどころかヘロヘロになって床に崩れ落ちたわ。その疑問については、何年も忘れたフリをしていたけど、いつも“何かがおかしい”って思っていたの」

カゼルタによると、当日のジョプリンは小さな砂時計の形をしたヒールのサンダルを履いていたため、部屋に敷いてあった毛足の長い絨毯に躓いて転倒し、鼻を骨折した際の出血で窒息死したのではないかといいます。

この日ジョプリンは、遺体が発見される数時間前まで、ホテルの部屋で彼女の愛人と言われていたペギー・カゼルタとジョプリンのフィアンセだったセス・モーガンを待っていたと言われています。

それから3年後、カゼルタはゴーストライターのダン・ナップが執筆した『Going Down with Janis』という1冊目の自叙伝を出版しましたが、60年代後半にサンフランシスコのヘイト・アシュベリーでペギーがジャニスとドラッグに溺れた日々を詳細に綴ったこの本は、多くの読者にジョプリンの死がペギーの責任でもあるかのような印象を与え、45年経った今年8月、77歳になったペギーはその非難に異議を唱える目的で、2冊目の自叙伝『I Ran Into Some Trouble』を出版したのだそう。

最近のインタビューで、ペギーはジャニスとヘロインを打っていたことは認めていますが、ジャニスに出会うまで病院以外の場所で注射針を見たことはなく、ジャニスにヘロインを紹介したのは自分ではないと主張しています。

またペギー本人はゲイですが、ジャニスとはレズビアンの関係ではなく、ジャニスはストレートでワイルドな女性だったと語り、1冊目のゴーストライターだったダン・ナップが書いた内容は正確ではないと批判しています。

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