MUSIC LIFE CLUB発足記念
東郷かおる子トークイベント・レポート PART 1

70〜80年代の洋楽黄金期を体験したファンのための音楽サイト、MUSIC LIFE CLUB。その発足を記念したイベントが東郷かおる子さん(元ミュージック・ライフ編集長)を迎え9月1日(土)に神田錦町の弊社アネックス・ビル1階で行われました。今回はそのPART.1をお届けします。

第1回は東郷さんの幼少期の音楽との関わりから、ミュージック・ライフ、ザ・ビートルズとの出会いが語られます。

音楽、そして「ミュージック・ライフ」「ザ・ビートルズ」との出会い
東郷かおる子(以下東郷):皆さん、こんにちは東郷かおる子です、よろしくお願いします。実は今日は私の尊敬する大先輩星加ルミ子さんと一緒のトークショーを予定していたのですが、星加さんが体調を崩されて、残念なんですが私ひとりで話をさせていただきます。あ、後でひとりゲストでお呼びする方がいらっしゃいますので楽しみにしてください。

で、まず最初に言っておきますと、これまでこういった私のトークショーで一番話題になったのはクイーンのことなんですが、今日はクイーンのことはなし(笑)。11月に映画の『ボヘミアン・ラプソディ』が公開予定で、まだ私も、関係者も誰も映画を観てないし、クイーンのことは公開が近くなったらやればいんじゃないかなと思ってます。(注・その後、映画は試写で観ました)

 皆さん、だいたい青春時代に『ミュージック・ライフ』を読んでらっしゃった世代の方々だと思うんですが、その音楽体験の中に『ミュージック・ライフ』という“一音楽雑誌”がどういう位置を占めてたのかな──と時々考えることがあります。

今は音楽雑誌って買わないですよね、雑誌はwebマガジンの方で、音源もダウンロードで、いらなくなったら消去、映像もライヴ・ストリーミング、テレビでさえ若い人は持ってない人が多い。でも私たちアナログ世代としては音楽は自分で所有していたいもので、LPのアルバム・ジャケット・デザインやライナー・ノーツを見ながら楽しんで保存する世代だと思うんです。
 
 で、ここにあるデュラン・デュランが表紙の『ミュージック・ライフ』、私にしてみればこれを作ったのはつい昨日のように思えるんですが、これは1984年の発行、それってもう34年も前なんですね。写ってるメンバーも同じだけ歳をとっている訳で、月日の経つのは早いなぁって思います。そういった中で『ミュージック・ライフ』を通して会ったミュージシャンの話とか、その時の自分、取り囲む音楽業界や社会についての話をしていきますね。
 
 まず私と『ミュージック・ライフ』の出会いは小学生の頃、当時は本も薄くてカラー・ページもなく、載っているのは外国のジャズで、値段は100円でした。その後は日本のカヴァー・ポップスの歌手、例えば坂本 九、森山加代子、昨年亡くなった平尾昌晃さんとかが載っていました。
クリフ・リチャード pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music

海外ではエルヴィス・プレスリー、クリフ・リチャードで、まだロックっていう言葉はなかったし、アメリカやヨーロッパのポピュラー音楽をまとめてジャズと言ってた時代でした。その中で『ミュージック・ライフ』は始まっていました。
 
 当時の私は母親の影響でアメリカ映画が好きだったので、『ミュージック・ライフ』よりも淀川長治さんが編集長をやってらした『映画の友』という雑誌を買ってました。小学校高学年から中学校の頃は、<将来は『映画の友』の編集部に入って有名な映画スターに会ってインタビューしたい>というのが夢だったんですが──、これがある日突然コロッと天地が引っ繰り返るように変わってしまったんです。
 
 それが中学2年くらいの時で、1964年頃に聴いたザ・ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」です。当時、駐留米軍向けに放送されていたFEN(極東放送局)を私もよく聴いていて、ある日そこから流れてきたその曲に「なんだろう、これは!」ってすごい衝撃を受けたんです。それまで聴いていた甘くてメロディアスなアメリカン・ポップスに比べて、まるで不協和音に聞こえましたね。でもなぜこんなに興奮するのか分からなくて──。
 
 で、そうこうしている時に<日本人記者がビートルズと初会見!>っていうニュースが流れてきて、その記者というのが星加ルミ子さんだったんです。それを見て、私は『映画の友』を買うのを止めて、『ミュージック・ライフ』を買うようになり、私の夢は<絶対『ミュージック・ライフ』編集部に入って星加ルミ子になる!>になったんです。それが中学3年の頃です。

1964年4月号 ビートルズ初表紙

 高校卒業後に『ミュージック・ライフ』に入って星加さんの下で働いて、編集長になっちゃって、有名なミュージシャンにも会わせていただいて楽しく仕事をしてきた──という、かなり希有で申し訳ないくらい幸せな半生を送ってきたんだと思います。
 
 『ミュージック・ライフ』編集部にはすぐに入れたわけではありません、当時新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック)といって主に楽譜を出版していた会社が『ミュージック・ライフ』を出していたので、そこの入社試験を受験したくて学校の先生に相談しました。

女子校でしたし、ビートルズのビの字を言おうものなら“不良少女!”って時代でしたから、先生に「ビートルズの本を出している会社です」って言ったら、「アナタ!何を言ってるの、そんな水商売止めなさい」って言われました。そうやって大反対されたのを覚えています。
 
 でも、結局試験を受けました。面接テストの時は星加さんが目の前に並んでらして、「あっ!星加ルミ子だ!」って思いました。合格したんですけど、入って一年間は普通の事務職。でもどうしても『ミュージック・ライフ』の編集部に入りたかったから、自分の仕事そっちのけで編集部に入り浸ってたんです。
 
 それでウルサいくらいに編集部に行ってたので、ちょうど欠員が出た時に「なんかいつもこの辺をウロウロしてる子がいたわね」って編集部に呼んでもらえたんです。それで『ミュージック・ライフ』の編集部に入った──というのがホントなんです。だから、そのためにすごく勉強したということは全くなくて、単に私はラッキーだったんだと思います、カッコよく言えば<運命>なんですけど、こればっかりはラッキーだったとしか言いようがありませんね。
 
 そうやって1960年代後半に編集部に入りました。当時、海外のミュージシャンの写真はほぼ通信社から買っていたんですけど、その頃になるとヘンな写真が送られて来るようになったんです。ヒッピーの格好をした若者が野原で寝てる姿がたくさん写っていて、ニューヨークの郊外で一大ロック・イベントが行われた──って情報があって…。それが有名な「ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティバルだったんです。
 
 それを見て、何か世の中が変わりつつあるのを感じました。世の中が一番強烈な速さで動いていたのが、60年代末から70年代の初頭だったと思います。それ以前、世の中には<大人と子ども>の2種類の人間しかいなかったんです。そこに<若者>という概念を持ち込んだのが、60年代後半からの学生運動や反戦運動であったり、ミュージシャンたちの自己主張でした。私は偶然その渦の中に巻き込まれて、見るもの聞くもの全てが新しくて、それまでのプレスリーやクリフ・リチャードが一気に色あせてしまいました。ビートルズを筆頭に新しいバンドや音楽を聴くのに夢中な毎日でした。
 
 当時エレクトラ・レコードというレーベルがあり、日本ビクターが発売していました。その洋楽担当者から「新しいバンドのプロモーション・フィルムが届いたんだけど観る?」という連絡が入ったんです。もちろんインターネットやMTVのない時代ですから動くミュージシャンを観る機会なんてそうざらありませんでしたから、そのフィルムを観に行きました。そこで観たのがドアーズの「ブレイク・オン・スルー」。これがものすごくカッコ良くて、私は一気にジム・モリソンに堕ちました(笑)。ま、それくらい毎日毎日、次々と新しく素晴らしい物に触れられた時代だったんです。

以下、次回へ続く。

ミュージック・ライフ完全読本

『ミュージック・ライフ完全読本』

発売日:2018/04/12
サイズ:B5判
ページ数:176P

1,800円(税込)

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