ザ・カーズのフロントマン、リック・オケイセックが死去

アメリカの複数メディアによりますと、9月15日の午後3時頃、ニューヨーク警察がオケイセックの自宅にいた元妻のポーリーナ・ポリツィコヴァから電話を受けて、マンハッタンにあるオケイセックの自宅アパートに駆け付け、意識不明で呼びかけに反応しないオケイセックを検視し、死亡を確認したということです。
最近オケイセックは手術を受けており(手術の内容は発表されていません)、自宅で療養していましたが、〈Daily News〉によると、ニューヨーク市の検視官は、高血圧とアテローム性動脈硬化症による心血管の疾患が死因だったと判断し、オケイセックが患っていた肺気腫も死因の一つであるとしています。
オケイセックの訃報から一夜明けた16日、家族がカーズのSNSに声明を発表しました。
「リックは手術を受けた後、自宅で静養しながら快方に向かっていました。息子のジョナサンとオリヴァー、そして私は、彼が気持ちよく過ごしていることを確認し、食事の出前を頼み、一緒にテレビを見て過ごしていました。日曜日にモーニング・コーヒーを運ぶと、彼はまだ眠っていて、起こそうと頬に触りました。その後、夜の間に彼が穏やかに息を引き取っていたことがわかったのです。多くの皆様から愛情のこもったメッセージをいただき感謝しています。家族と友人たちは、思いもよらない彼の早すぎる死に非常にショックを受けており、静かに喪に服せるようご配慮いただければ幸いです」
また息子たちは、オケイセックが死の直前に描いたイラストを掲載し、次のメッセージを発表しています。
「父はよく落書きをする人でした。父の死は突然で思いもよらず、胸が張り裂けそうです。昨日、父の肘掛け椅子の上に、最後に描いたイラストを見つけました。父は、このイラストが僕らにとって何を意味することになるかなど、知る由もなかったですが……」
米メリーランド州ボルチモア生まれのオケイセックは、1976年に故ベンジャミン・オールとザ・カーズを結成。1978年発表のデビュー・アルバム『The Cars(錯乱のドライヴ)』はプラチナ・ディスクに6度輝き、1979年の『Candy-O(キャンディ・オーに捧ぐ)』も全米チャートの3位を獲得、1984年のシングル「You Might Think」では第1回MTVアワードを受賞しています。
カーズは順調に活動していましたが、バンドは1988年に解散、1982年からソロ・アルバムをリリースしていたオケイセックは、ソロ活動を続けると同時に90年代からバッド・ブレインズやウィーザーらのアルバム・プロデューサーとしても活躍していました。
2010年には、オリジナル・メンバーによるカーズが再結成し、2011年に最後のオリジナル・アルバム『Move Like This』を発表、2018年には「ロックの殿堂」入りを果たしています。

またオケイセックは、1984年にヒット曲「Drive (ドライヴ)」のビデオ撮影で出会った当時18歳のモデル、ポーリーナ・ポリツィコヴァと1989年に結婚し、二人の息子をもうけましたが、2017年に離婚が成立、その後も二人は友人として家族同様の付き合いを続けていました。
オケイセックの訃報を受け、アリス・クーパー、ポール・スタンレー、ニール・ショーン、ブライアン・アダムス、フリー、スラッシュ、デュラン・デュランなど、多くのミュージシャンが追悼メッセージを投稿しています。
ミュージシャンからの追悼メッセージの一覧は、ultimateclassicrock.comにまとめられていますので、こちらもご覧ください。
ご冥福をお祈りします。
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