最低で最高のロックンロール・ライフ

新連載スタート! 水上はるこ・元ML編集長書き下ろし

第1回:ハンブル・パイとの日本バス・ツアー

今回から始まる新連載「最低で最高のロックンロール・ライフ」は、水上はるこさんによる書き下ろしの新原稿──賢明なるMUSIC LIFE CLUB読者の皆さんならもうお分かりでしょう、かつて弊社で『ミュージック・ライフ』編集長を務められた、水上はるこさんです。関わった雑誌は『ミュージック・ライフ』だけにとどまらず、『ぷらすわん』『jam』『ロックショウ』など。その後も現在に至るまで、国内/海外で音楽に関わり続け、ありとあらゆる数多くのアーティスト/グループの現場に携わってきた方です。

今回新たにスタートするこの連載は、そんな水上さんが『ミュージック・ライフ』世代の方たちに向け、主に70〜80年代──編集部/編集長〜フリーランス時代に「じかにその目で見た」「経験した」記憶・体験をお書きいただこうというもの。水上さんご自身が選んで、その第1回目に取り上げられたのは、ハンブル・パイです。

ハンブル・パイと京都・大阪を観光

文/撮影◉水上はるこ
 
ロック・ファンなら誰しも好きなバンドのツアーに同行してみたい、という夢があるはず。私は仕事でエアロスミスの自家用ジェットに乗ったり、キッスと新幹線に乗ったことはあるが、ハンブル・パイとのバスツアーは格別な経験だった。

ハンブル・パイはピーター・フランプトンが去り、スティーヴ・マリオットが中心となって、本格的なブルース・バンドとしてちょっと「通好み」のバンドとして高い評価を得ていたが、その絶頂期、1973年に来日を果たした。何しろ47年も前のことなので、時系列があやふやなのは許していただきたい。その替わり、とてもレアな写真をご覧に入れます。

この時期、私はシンコーミュージック・エンタテイメント(当時は新興楽譜出版社)をやめて、フリーランスとして仕事をしていた。翌年、再度入社する、その辺のいきさつは別の機会に。

音楽の友社が発行していた『ステレオ』という音楽雑誌の依頼でインタヴューし、その後、どのような展開でこうなったのかは記憶が定かではないが、ともかく、大阪で行なわれる初日を見に行こうということになって、『ステレオ』の編集者のTさんといっしょに大阪まで行った。ハンブル・パイは名だたる3人組のヴォーカリスト、ブラックベリーズをバックコーラスに配し、70年代に来日したバンドの中でも強烈な印象を残した。ブラックベリーズとはピンク・フロイドやリンゴ・スターのレコーディングやライヴにも起用される実力派。

5月12日、大阪厚生年金会館のコンサートは熱量がマックスに達するパワフルな2時間のギグで、ステージも客席も汗だく(春なのに)というすばらしさ。コンサートが終わったあと、マネージャーのディー・アンソニーに声をかけられた。「明日、京都に観光に行くからいっしょに来ないかい?」。うわーーーー! これを断ることなどできない。ハンブル・パイですよ! スティーヴ・マリオットですよ! クレム・クレムソンですよ! ジェリー・シャーリーですよ! グレッグ・リドレーですよ!(そんなの知っている……すみません)。


(以下、写真はすべてタップ/クリックで拡大できます)
普通はそういうイベントはプロモーターが仕切るのに、このときはなぜかプロモーターではなく、バンドが自費で企画したようだ。また、女性の私たちをバスに乗せてくれたのは、メンバー全員が奥様、または恋人と来日していたからだ。ディー・アンソニーに至っては、離婚したばかりだといって、子供ふたりも同行。一行は30人の大所帯だった。

日本人は運転手と私たちだけで、まず京都に向かい、定番の金閣寺や清水寺、嵐山などに行き、大所帯ゆえ、にぎやかこの上なく、奥様やローディーたちも春の古都を満喫した。食事は誰が予約したのか有名な料亭を借り切ってとびきりおいしい京料理のフルコースが出され、私たちもちゃっかり無料でいただいた。多分、ディー・アンソニーは私たちに通訳兼ガイドを期待していたのだと思うが、まったく頼りないガイドで、それでも知っている限りの知識を総動員して寺社の説明をした。

大阪から京都まではバスで1時間半くらい。そのあいだ、ブラックベリーズのビリー・バーナムと親しくなり、隣りに座って話しをしていた。スティーヴの夫人、ジェニーは当時は高かったであろう8ミリ・ビデオカメラであちこちの写真を撮影。

余談になるが、スティーヴとジェニーはしばらくして離婚し、スティーヴにはいろいろな女性とのあいだに4人の子供がおり、みんな母親が違っても仲がいいという話だ。

このとき撮影した写真を見ると、本当にみんな若くてハンサムで、激しいステージからは想像もできないほどリラックスした表情をみせている。
京都のお土産屋では女性たちが大はしゃぎ。日本でしか買えないアクセサリーや帯の生地を大量に購入し、男性たちは「おれたちが稼いだお金だ」という目で(想像)、それでもいっしょにショッピングを楽しんでいた。それから大阪に戻り、これも定番の梅田やミナミを歩き回り、タコ焼きを食べ、みんな「なんだこれ、タコ? おえー!」という表情をし、写真のように大阪の賑わいに自然に溶け込んでいた。
バスツアーの途中、京都で全員の集合写真を撮影。私が撮影したので、入っていないが、前列左から二人めで座っている女性がTさんだ。当時はフィルムや現像代が高く、今のように何でも撮影、という訳にはいかなかったし、食事中やプライヴェートな場面は撮影をひかえた。

翌日、名古屋に向かう新幹線まで送り、クレム・クレムソンを撮った。

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私たちは東京に帰り、15日の厚生年金会館、16日の渋谷公会堂でのコンサートを満喫した。すでに親しくなっていたエンジニアやローディーたちと再会し、疲れを知らないスティーヴの熱唱やステージでは人柄が変わる(なわけない)クレムやグレッグ、そして主役をくってしまわんばかりの迫力で歌うブラックベリーズのコーラス。いっさい手抜きのない至福のひとときで、終わったあと、PAスタッフたちとごく自然に「わぁあーー」と叫びながらハグしたほどだ。

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フォトギャラリー写真◉長谷部 宏/MLイメージズ/シンコーミュージック
Koh Hasebe / ML Images / Shinko Music

最後のコンサートのあと、ジェニーが「明日の昼ごろ、宿泊しているヒルトン・ホテルのロビーに来てくれる?」と言ったので、私は現像した写真を持って彼らにサヨナラを言いに行った。ジェニーは京都で買った真珠の指輪を、ビリー・バーナムは美しい飾りのついた櫛をプレゼントしてくれた。

ハンブル・パイはあまり長続きせず、75年に解散した。しかし、クレム・クレムソン(下写真)はコロシアムで活躍、ジェリー・シャーリーはファストウェイ、ウェイステッドで活躍、グレッグ・リドリーはソロ・アルバムで渋い歌声を披露している。

ハンブル・パイとの話しには後日談があり、私は1985年ころ、ロンドンの「ナッシュヴィル」(ザ・ジャムや初期のパンク・バンドが出演したことで有名)でスティーヴのソロ・バンドを見る機会があった。パブなのでステージがほんの数メートル先にあり、ちょっと腹の出た、しかし、相変わらずパワフルなヴォーカルをきかせるスティーヴを目の前で見た。「おれはこれでも昔は有名だったんだぜ」と自虐ギャグをとばすスティーヴ。演奏が終わるとスティーヴはカウンターでビールを飲みながらファンと話しており、私も「覚えていますか?」と声をかけようとしたが、もう10年もたっていることだしと声はかけなかった。帰りぎわ、いっしょに行ったアメリカ人の友達が「はるこさん、スティーヴの靴を見た?」と言う。「えっ、靴? 靴がどうかしたの?」「靴に穴があいていた」。私は言葉を失った。

また、親しくなったビリー・バーナムとはロサンゼルスで再会した。もらった電話番号にかけると、「私はビリーの夫だ。彼女は今、美容院にいるのでキミをホテルでひろっていっしょに行こう」と言われた。ホテルで待っていると現われたのは白人の男性。心の中で『えっ?』と驚いた。まだ世の中のことがよくわかっていなかった私にはビリーのご主人だから同じ黒人、と単純に思っていたからだ。

また、1975年、『ミュージック・ライフ』の編集長を務めていたとき、オーストラリアに来日直前のポール・マッカートニー&ウイングスの取材に行ったおり、ハンブル・パイ取材で知り合ったローディーふたりがウイングスのローディーとして働いており、再会を喜び合った。集合写真に子供と写っている大きな男性がディー・アンソニーだ。

彼はハンブル・パイをはじめ、トラフィック、ジェスロ・タル、ピーター・フランプトン、EL&Pなどを配下におさめて成功に導いた伝説のマネージャー、弁護士である(2009年没)。ディーのそばにいる女性が当時14歳のミッシェルで、成長して父親と同じミュージック・ビジネスに就き、ユニバーサル・ミュージックの重役もつとめた。彼女はインタビューで、私の撮影した写真を無断で使用し(笑)、「あのバスツアーはまるで映画の『Almost Famous(邦題:あの頃ペニーレインと)』みたいだったわ」と述懐している。

残念ながらスティーヴ・マリオットは1991年に(44歳)、グレッグ・リドリーは2003年に(56歳)亡くなっている。

水上はるこ プロフィール

みなかみはるこ。元『ミュージック・ライフ』『jam』編集長。79年にフリーとなる。80年代の夏、ロック・フェスティバルを追いかけながら欧州を放浪。パリ、ブリュッセル、ロンドン、モスクワ、サンフランシスコ、ニューヨークなどに居住。19冊の本を出版。20冊目はロック小説『レモンソング・金色のレスポールを弾く男』(東京図書出版)。

MLC編集部より
※ステージ写真に間違った写真が混入しておりましたので、公開後1点削除いたしました。訂正いたしますとともに、水上さんならびに関係者の方にお詫び申し上げます。


 

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