イーグルスの創設メンバー、ランディ・マイズナーが77歳で死去
イーグルスの創設メンバーで、シンガー/ソングライターのランディ・マイズナー(Randy Meisner)が7月26日、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の合併症により、77歳で死去しました。
バンドがSNSで訃報を伝えています。
「悲しいことに、イーグルスの創設メンバーで、ベーシスト、ヴォーカリストのランディ・マイズナーが昨夜(7月26日)、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の合併症により、ロサンゼルスにて77歳で亡くなったことをご報告します。
ランディは、先駆的なカントリー・ロック・グループ、ポコのオリジナル・ベーシストとして、60年代後半にロサンゼルスで始まった音楽革命の最前線にいました。1971年、ランディはグレン・フライ、ドン・ヘンリー、バーニー・リードンとイーグルスを結成し、バンドのアルバム『Eagles』『Desperado』『On the Border』『One of These Nights』『Hotel California』に貢献しました。1998年には、イーグルスと共に “ロックの殿堂” 入りを果たしました。
ランディはイーグルスに欠かせない存在であり、バンドの初期の成功に貢献しました。彼の代表的なバラード「Take It to the Limit」で明らかなように、彼の声域は驚くべきものでした。
ポコの前は、リック・ネルソンのストーン・キャニオン・バンドでベーシストとヴォーカリストを務めていました。ランディは1946年3月8日、ネブラスカ州スコッツブラフで生まれました。葬儀の日程は未定です」
バンドがSNSで訃報を伝えています。
「悲しいことに、イーグルスの創設メンバーで、ベーシスト、ヴォーカリストのランディ・マイズナーが昨夜(7月26日)、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の合併症により、ロサンゼルスにて77歳で亡くなったことをご報告します。
ランディは、先駆的なカントリー・ロック・グループ、ポコのオリジナル・ベーシストとして、60年代後半にロサンゼルスで始まった音楽革命の最前線にいました。1971年、ランディはグレン・フライ、ドン・ヘンリー、バーニー・リードンとイーグルスを結成し、バンドのアルバム『Eagles』『Desperado』『On the Border』『One of These Nights』『Hotel California』に貢献しました。1998年には、イーグルスと共に “ロックの殿堂” 入りを果たしました。
ランディはイーグルスに欠かせない存在であり、バンドの初期の成功に貢献しました。彼の代表的なバラード「Take It to the Limit」で明らかなように、彼の声域は驚くべきものでした。
ポコの前は、リック・ネルソンのストーン・キャニオン・バンドでベーシストとヴォーカリストを務めていました。ランディは1946年3月8日、ネブラスカ州スコッツブラフで生まれました。葬儀の日程は未定です」
マイズナーは、1977年にイーグルスを脱退した後、1978年と1980年に2枚のソロ・アルバム『Randy Meisner』と『One More Song』をリリースし、後者のタイトル曲には、イーグルスのドン・ヘンリーとグレン・フライがバック・ヴォーカルで参加していました。
80年代初期には、自身のバンド、シルヴァラドス(the Silverados)とツアーを行ない、1982年にサード・ソロ・アルバム『Randy Meisner』(1978年のアルバムと同名)を発表、このアルバムには、ハートのアン・ウィルソンとのデュエットがフィーチャーされていました。
その後、マイズナーは1985年にジミー・グリフィン(元ブレッド)、ビリー・スワンとカントリー・ロックのスーパーグループ、ブラック・タイ(Black Tie)を結成し、同年ファースト・アルバム『When the Night Falls』を発表しましたが、グリフィンが脱退し、1992年から後任のチャーリー・リッチ・ジュニアと共に、マイズナー、スワン&リッチとして2007年まで活動していました。
1989年~1990年には、ポコのオリジナル・メンバーが再結集した1989年のアルバム『Legacy』のツアーに参加し、マイズナーがリード・ヴォーカルを担当した収録曲「Nothin’ to Hide」(リチャード・マークス作曲)が、「Call It Love」と共にヒットしました。
しかしながら、イーグルス1994年の再結成ツアー「Hell Freezez Over」には参加出来ず、バンドから参加をオファーされなかったマイズナーは、TV番組のインタヴューで落胆を表明していましたが、2013年のワールド・ツアー「History of the Eagles」に誘われた時は、マイズナーが健康問題を理由にオファーを断っていました。
マイズナーによると、脱退後もイーグルスとの関係が悪かった訳ではなく、マイズナーが2013年と2014年に長期入院した際は、イーグルスが入院費を払っていたそうです。
イーグルスが2015年に「ケネディ・センター名誉賞」を受賞した時も、マイズナーは式典で元バンド仲間と再会することを楽しみにしていましたが、グレン・フライの体調不良により、バンドの授賞式は翌2016年に延期され、2016年の式典前にグレン・フライが他界。そして式典で受賞するメンバーのリストには、マイズナーとドン・フェルダー、バーニー・リードンの名前はありませんでした。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
80年代初期には、自身のバンド、シルヴァラドス(the Silverados)とツアーを行ない、1982年にサード・ソロ・アルバム『Randy Meisner』(1978年のアルバムと同名)を発表、このアルバムには、ハートのアン・ウィルソンとのデュエットがフィーチャーされていました。
その後、マイズナーは1985年にジミー・グリフィン(元ブレッド)、ビリー・スワンとカントリー・ロックのスーパーグループ、ブラック・タイ(Black Tie)を結成し、同年ファースト・アルバム『When the Night Falls』を発表しましたが、グリフィンが脱退し、1992年から後任のチャーリー・リッチ・ジュニアと共に、マイズナー、スワン&リッチとして2007年まで活動していました。
1989年~1990年には、ポコのオリジナル・メンバーが再結集した1989年のアルバム『Legacy』のツアーに参加し、マイズナーがリード・ヴォーカルを担当した収録曲「Nothin’ to Hide」(リチャード・マークス作曲)が、「Call It Love」と共にヒットしました。
しかしながら、イーグルス1994年の再結成ツアー「Hell Freezez Over」には参加出来ず、バンドから参加をオファーされなかったマイズナーは、TV番組のインタヴューで落胆を表明していましたが、2013年のワールド・ツアー「History of the Eagles」に誘われた時は、マイズナーが健康問題を理由にオファーを断っていました。
マイズナーによると、脱退後もイーグルスとの関係が悪かった訳ではなく、マイズナーが2013年と2014年に長期入院した際は、イーグルスが入院費を払っていたそうです。
イーグルスが2015年に「ケネディ・センター名誉賞」を受賞した時も、マイズナーは式典で元バンド仲間と再会することを楽しみにしていましたが、グレン・フライの体調不良により、バンドの授賞式は翌2016年に延期され、2016年の式典前にグレン・フライが他界。そして式典で受賞するメンバーのリストには、マイズナーとドン・フェルダー、バーニー・リードンの名前はありませんでした。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
イーグルス
『ホテル・カリフォルニア:40周年記念エクスパンデッド・エディション』(初回生産限定盤)
2CDs+Blu-ray Audio(2017/12/20)¥9,564
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商品詳細
ランディ・マイズナー
『One More Song/Randy Meisner』
CD(2018/5/4)輸入盤
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ランディ・マイズナー
『Randy Meisner』
Amazon Music・MP3(JUN 26 2007)¥1,500
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