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ハルヲフォン新曲発売記念! 近田春夫『未体験白書』発売記念トークライヴよりハルヲフォン+高木完トークを公開!
8月12日、近田春夫&ハルヲフォンがジューシィ・フルーツのイリアをゲストに迎えて、『電撃的東京』以来48年ぶりとなる新曲「Oi Oi AI-未体験ゾーンへ」を緊急配信!
それを記念して、2025年12月11日、Loft 9 Shibuyaにて開催された “近田春夫『未体験白書』発売記念トークライヴ:ハルヲフォン デビュー50周年&『星くず兄弟の伝説』45周年 Wセレブレーション” から、ハルヲフォンの近田春夫、恒田義見(Dr, Vo)、高木英一(B, Vo)+高木完のトークを特別に公開しよう(司会進行:荒野政寿/『未体験白書』編集担当)。
それを記念して、2025年12月11日、Loft 9 Shibuyaにて開催された “近田春夫『未体験白書』発売記念トークライヴ:ハルヲフォン デビュー50周年&『星くず兄弟の伝説』45周年 Wセレブレーション” から、ハルヲフォンの近田春夫、恒田義見(Dr, Vo)、高木英一(B, Vo)+高木完のトークを特別に公開しよう(司会進行:荒野政寿/『未体験白書』編集担当)。
♪「Joy To The World」
まずはハルヲフォン結成以前に近田春夫さんが参加したセッション・アルバム『フレンズ』(1971年)から、「Joy To The World」に乗って近田さんが登壇、大拍手に迎えられる。同アルバムのバンドマスターは2025年12月4日に急逝された山内テツさんで、追悼の意も込めての選曲だ。
近田:この『フレンズ』というアルバムをプロデュースしたのが、グループサウンズ(GS)4・9・1(フォー・ナイン・エース)のドラマーの加藤章二さん。60年代末期にはGSもどんどんなくなって、メンバーがレコード会社のディレクターとかに就職することが多かった。その加藤さんがGS末期のメンバーやロック黎明期のミュージシャンを集めて、余った年度末予算を使い切るために無理やり作ったアルバムが『フレンズ』。声がかかったのは、僕やミッキー・カーチス&サムライの山内テツさん(B)、原田裕臣さん(Ds)、ダイナマイツの瀬川洋さん(Vo, G)、エモーションの成田賢さん(Vo)とか。
テツさんとはミッキー・カーチス&サムライが凱旋公演を日比谷野音でやったときに、楽屋で仲良くなった。当時コスモス・ファクトリーとかプログレっぽいバンドもあった中で、サムライはいい音だった。いまだに覚えてる曲が「Green Tea」(1970年のアルバム『侍』に収録)。日本風なサウンドをうまく取り入れたイギリスっぽい感じが、“俺たちには作れないなぁ” って感じでした。新宿の御苑スタジオでテツさんたちと演奏して遊んだ、その延長線上にあるのがアルバム『フレンズ』。
荒野:で、これもハルヲフォン前史なんですが、GS人脈の中で加藤ヒロシさん(リンド&リンダーズ)が編曲を担当したフォーク・シンガー、神崎みゆきさんの『ファースト・アルバム』(1973年)に近田さんも参加されていて、いかにも近田さんらしいハモンド・オルガンが聴けます。
近田:キング・レコードのスタジオにハモンドB3が置いてあった。神崎さんはシングルになった「ゆう子のグライダー」は覚えてるな。加藤ヒロシさんは人脈のハブになっていた方で、僕が羅生門というグループに在籍していた頃、赤坂のナイトクラブ「ポテトクラブ」で加藤さんが参加していたザ・ジャパニーズというアイ・ジョージさんのバックバンドと対バンして、そこで仲良くなったんです。
加藤ヒロシさんはキング・レコードのディレクター、井口良佐さんと仕事をされていて、年度末には予算消化のために企画物アルバムをいっぱい作る必要があった。そこで、僕とゴジラというグループで一緒だった金沢ジュン(Dr)、アラン・メリル(G)と、加藤さん(イエロー・ジプシー)で、「ゴジラとイエロー・ジプシー」名義でいくつかレコードを作ってます。いわゆる〈歌のない歌謡曲〉のロック版。神崎みゆきさんのアルバムも加藤さん経由の仕事の一つで、初めてソロ・アーティストのバッキングに参加する経験をさせていただきました。
荒野:その後加藤さんは渡英されて、ロンドン録音のコーディネイターとして活躍されますね。
近田:山口百恵さんの『GOLDEN FLIGHT』(1977年)とかね。
荒野:いわゆる “ロンドン録音” 作品のキーパーソンですね。そして、その後いよいよハルヲフォン結成ということになるわけですが……ここでゲストのお二人をお呼びしたいと思います。ハルヲフォンの恒田義見さん、高木英一さん。
近田:この『フレンズ』というアルバムをプロデュースしたのが、グループサウンズ(GS)4・9・1(フォー・ナイン・エース)のドラマーの加藤章二さん。60年代末期にはGSもどんどんなくなって、メンバーがレコード会社のディレクターとかに就職することが多かった。その加藤さんがGS末期のメンバーやロック黎明期のミュージシャンを集めて、余った年度末予算を使い切るために無理やり作ったアルバムが『フレンズ』。声がかかったのは、僕やミッキー・カーチス&サムライの山内テツさん(B)、原田裕臣さん(Ds)、ダイナマイツの瀬川洋さん(Vo, G)、エモーションの成田賢さん(Vo)とか。
テツさんとはミッキー・カーチス&サムライが凱旋公演を日比谷野音でやったときに、楽屋で仲良くなった。当時コスモス・ファクトリーとかプログレっぽいバンドもあった中で、サムライはいい音だった。いまだに覚えてる曲が「Green Tea」(1970年のアルバム『侍』に収録)。日本風なサウンドをうまく取り入れたイギリスっぽい感じが、“俺たちには作れないなぁ” って感じでした。新宿の御苑スタジオでテツさんたちと演奏して遊んだ、その延長線上にあるのがアルバム『フレンズ』。
荒野:で、これもハルヲフォン前史なんですが、GS人脈の中で加藤ヒロシさん(リンド&リンダーズ)が編曲を担当したフォーク・シンガー、神崎みゆきさんの『ファースト・アルバム』(1973年)に近田さんも参加されていて、いかにも近田さんらしいハモンド・オルガンが聴けます。
近田:キング・レコードのスタジオにハモンドB3が置いてあった。神崎さんはシングルになった「ゆう子のグライダー」は覚えてるな。加藤ヒロシさんは人脈のハブになっていた方で、僕が羅生門というグループに在籍していた頃、赤坂のナイトクラブ「ポテトクラブ」で加藤さんが参加していたザ・ジャパニーズというアイ・ジョージさんのバックバンドと対バンして、そこで仲良くなったんです。
加藤ヒロシさんはキング・レコードのディレクター、井口良佐さんと仕事をされていて、年度末には予算消化のために企画物アルバムをいっぱい作る必要があった。そこで、僕とゴジラというグループで一緒だった金沢ジュン(Dr)、アラン・メリル(G)と、加藤さん(イエロー・ジプシー)で、「ゴジラとイエロー・ジプシー」名義でいくつかレコードを作ってます。いわゆる〈歌のない歌謡曲〉のロック版。神崎みゆきさんのアルバムも加藤さん経由の仕事の一つで、初めてソロ・アーティストのバッキングに参加する経験をさせていただきました。
荒野:その後加藤さんは渡英されて、ロンドン録音のコーディネイターとして活躍されますね。
近田:山口百恵さんの『GOLDEN FLIGHT』(1977年)とかね。
荒野:いわゆる “ロンドン録音” 作品のキーパーソンですね。そして、その後いよいよハルヲフォン結成ということになるわけですが……ここでゲストのお二人をお呼びしたいと思います。ハルヲフォンの恒田義見さん、高木英一さん。
♪ハルヲフォン「FUNKYダッコNo.1」
大拍手に迎えられ二人が登壇、バックにハルヲフォンの「FUNKYダッコNo.1」が流れる。
荒野:今お聴き頂いているのは、ワン・ステップ・フェスティバルの翌年に郡山で行なわれたコンサート、「空飛ぶカーニバル」でのライヴ録音です。キャロン・ホーガンさんがヴォーカルで、ドラムスは長谷川康之さん。
近田:恒田はパーカッションです。
壇上にハルヲフォンが勢ぞろい。デビュー・シングル「FUNKYダッコNo.1」(1975年)の発売から50年の節目。デビュー50周年を祝して、お客さんと共に乾杯が行なわれた。
荒野:今かけた音源でもライヴ・バンドとしての凄さが伝わりますね。
高木:毎日演奏してたからね、ハコバンだしさ。
荒野:『未体験白書』で高木さんがおっしゃってましたが、本来はブリティッシュ・バンドっぽい感じのモダンなロックンロール・バンドに入ったつもりが、意外にもディスコ・ソングでデビューすることになって。
高木:まさか「FUNKYダッコNo.1」がデビュー曲になるとは思わなかった(笑)。
荒野:女性シンガーが加わって「FUNKYダッコNo.1」が出るまでは、どういう流れだったんですか?
近田:当時いろんなバンドがデビューしていたので、加藤ヒロシさんを通じてキングのディレクター井口さんに、俺たちも──とお願いしたんです。ただ、当時僕らは無名だったので、アルバムを作る前に「キング側の頼みもきいてくれ」ということになり。玩具メーカーのタカラが「ダッコちゃん」を再発売するから、キャンペーン・ソングを作って歌ってくれれば、その後は自分たちの好きなことをやっていいということになった。
それで、女性ヴォーカルが欲しいということで、六本木のディスコ「ソウル・エンバシー」の店長で全国ディスコ協会の会長、ドン勝本さんに当時ダンサーとして活動してたキャロン・ホーガンを紹介してもらった。彼女は俺たちとウマがあったんだよね。だからその時は割り切って、コモドアーズの「ザ・バンプ」や「マシンガン」のようなソウルの曲を作った。
恒田:最初のレコーディングって覚えてる? 最初はああいう歌じゃなかったんだよね。今でいうラップで、すごく早かった。
近田:でも、それじゃキャンペーン・ソングとしてはちょっと困るから。
高木:それで石原信一さんっていう作詞家が入って。
近田:ああいうディスコ的な曲はいっぱいレパートリーにあったし、それこそ「ザ・バンプ」「マシンガン」とかはいくらでもできた。歌詞もあったし、キャロンに入ってもらってスラスラと作っちゃったのが「FUNKYダッコNo.1」。今聴くといいですね。
ここで赤坂にあったディスコMUGEN(ムゲン)の話題に。
近田:俺たちも1回だけMUGENに出たよね。MUGENにはアイク&ティナ・ターナーも出たでしょ。僕が生涯見たグループで衝撃的だったのは3つあって、一つはアイク&ティナ、もう一つはMUGENにハコで入ってたバーケイズ(The Bar-Kays)、もう一つはパブリック・エナミー(Public Enemy)かもしれない。
恒田:バーケイズは素晴らしかった。
近田:あの振りとか影響受けたもんね。
恒田:ま、インチキだけどね(笑)。
高木:MUGENは立教高校時代に、聖書の時間が終わったら先生から「俺、今日MUGENに行くけど、行きたい奴いるか? 行きたいんだったら10時半に赤坂見附集合な」って言われて。何だろう?と思って行ってみたのが、初めてのMUGEN体験。バンドは出てたかもしれないけど、ああいう場所に行ったのは初めてで、びっくりした。
近田:その頃のハコバンはハイ・ジャックスかもしれないな。
高木:B.B.キングを目の前で観て、ピックもらった。なんだか分からないけど一番前で。
この時期、「南雲鈴之助と珍道中」などのセッション仕事も経験したハルヲフォン。ようやくファースト・アルバム『COME ON, LET’S GO』(1976年)のリリースに至る。
近田:自分たちとしては、このアルバムからのシングル「シンデレラ」は世界的大ヒットになるだろうと思ってた。曲はオールディーズ的なロックンロールだけど、自分としてはT.REXのような人工的なものにしたかった。オープニングのハンドクラップ、あれは8ビートではあまりやらないんですよ。ヒントになったのはMUGENに出ていたアイク&ティナがステージに出てくるときに、バック・コーラスのアイケッツが8ビートでずーっと叩いてた。それが凄く新鮮で、なんとかロックンロールに組み入れたいなと思って。
恒田:このハンドクラップ、合わせるのが大変なんだよ。10回くらいやったよね。
高木:20回くらいじゃない?
恒田:ビートルズもクラップが入ってるけど、あれはものすごく難しいよ。
荒野:「シンデレラ」は音の隙間がないですね。クラヴィネットでリズムをとって、シンセ(ソリーナ)がずっと鳴ってる、重層的なサウンドで。
近田:ステレオ感があまりないんですよ。好きじゃないんで、ステレオ。だってクラブ・ミュージックってステレオ感ないでしょ。クラブのどこで聴いても同じ音、そっちが好きなんです、僕は。
荒野:ではここで、そんなハルヲフォンに夢中な少年時代を過ごしたというゲストをお呼びしたいと思います。高木完さん!(場内拍手)
荒野:今お聴き頂いているのは、ワン・ステップ・フェスティバルの翌年に郡山で行なわれたコンサート、「空飛ぶカーニバル」でのライヴ録音です。キャロン・ホーガンさんがヴォーカルで、ドラムスは長谷川康之さん。
近田:恒田はパーカッションです。
壇上にハルヲフォンが勢ぞろい。デビュー・シングル「FUNKYダッコNo.1」(1975年)の発売から50年の節目。デビュー50周年を祝して、お客さんと共に乾杯が行なわれた。
荒野:今かけた音源でもライヴ・バンドとしての凄さが伝わりますね。
高木:毎日演奏してたからね、ハコバンだしさ。
荒野:『未体験白書』で高木さんがおっしゃってましたが、本来はブリティッシュ・バンドっぽい感じのモダンなロックンロール・バンドに入ったつもりが、意外にもディスコ・ソングでデビューすることになって。
高木:まさか「FUNKYダッコNo.1」がデビュー曲になるとは思わなかった(笑)。
荒野:女性シンガーが加わって「FUNKYダッコNo.1」が出るまでは、どういう流れだったんですか?
近田:当時いろんなバンドがデビューしていたので、加藤ヒロシさんを通じてキングのディレクター井口さんに、俺たちも──とお願いしたんです。ただ、当時僕らは無名だったので、アルバムを作る前に「キング側の頼みもきいてくれ」ということになり。玩具メーカーのタカラが「ダッコちゃん」を再発売するから、キャンペーン・ソングを作って歌ってくれれば、その後は自分たちの好きなことをやっていいということになった。
それで、女性ヴォーカルが欲しいということで、六本木のディスコ「ソウル・エンバシー」の店長で全国ディスコ協会の会長、ドン勝本さんに当時ダンサーとして活動してたキャロン・ホーガンを紹介してもらった。彼女は俺たちとウマがあったんだよね。だからその時は割り切って、コモドアーズの「ザ・バンプ」や「マシンガン」のようなソウルの曲を作った。
恒田:最初のレコーディングって覚えてる? 最初はああいう歌じゃなかったんだよね。今でいうラップで、すごく早かった。
近田:でも、それじゃキャンペーン・ソングとしてはちょっと困るから。
高木:それで石原信一さんっていう作詞家が入って。
近田:ああいうディスコ的な曲はいっぱいレパートリーにあったし、それこそ「ザ・バンプ」「マシンガン」とかはいくらでもできた。歌詞もあったし、キャロンに入ってもらってスラスラと作っちゃったのが「FUNKYダッコNo.1」。今聴くといいですね。
ここで赤坂にあったディスコMUGEN(ムゲン)の話題に。
近田:俺たちも1回だけMUGENに出たよね。MUGENにはアイク&ティナ・ターナーも出たでしょ。僕が生涯見たグループで衝撃的だったのは3つあって、一つはアイク&ティナ、もう一つはMUGENにハコで入ってたバーケイズ(The Bar-Kays)、もう一つはパブリック・エナミー(Public Enemy)かもしれない。
恒田:バーケイズは素晴らしかった。
近田:あの振りとか影響受けたもんね。
恒田:ま、インチキだけどね(笑)。
高木:MUGENは立教高校時代に、聖書の時間が終わったら先生から「俺、今日MUGENに行くけど、行きたい奴いるか? 行きたいんだったら10時半に赤坂見附集合な」って言われて。何だろう?と思って行ってみたのが、初めてのMUGEN体験。バンドは出てたかもしれないけど、ああいう場所に行ったのは初めてで、びっくりした。
近田:その頃のハコバンはハイ・ジャックスかもしれないな。
高木:B.B.キングを目の前で観て、ピックもらった。なんだか分からないけど一番前で。
この時期、「南雲鈴之助と珍道中」などのセッション仕事も経験したハルヲフォン。ようやくファースト・アルバム『COME ON, LET’S GO』(1976年)のリリースに至る。
近田:自分たちとしては、このアルバムからのシングル「シンデレラ」は世界的大ヒットになるだろうと思ってた。曲はオールディーズ的なロックンロールだけど、自分としてはT.REXのような人工的なものにしたかった。オープニングのハンドクラップ、あれは8ビートではあまりやらないんですよ。ヒントになったのはMUGENに出ていたアイク&ティナがステージに出てくるときに、バック・コーラスのアイケッツが8ビートでずーっと叩いてた。それが凄く新鮮で、なんとかロックンロールに組み入れたいなと思って。
恒田:このハンドクラップ、合わせるのが大変なんだよ。10回くらいやったよね。
高木:20回くらいじゃない?
恒田:ビートルズもクラップが入ってるけど、あれはものすごく難しいよ。
荒野:「シンデレラ」は音の隙間がないですね。クラヴィネットでリズムをとって、シンセ(ソリーナ)がずっと鳴ってる、重層的なサウンドで。
近田:ステレオ感があまりないんですよ。好きじゃないんで、ステレオ。だってクラブ・ミュージックってステレオ感ないでしょ。クラブのどこで聴いても同じ音、そっちが好きなんです、僕は。
荒野:ではここで、そんなハルヲフォンに夢中な少年時代を過ごしたというゲストをお呼びしたいと思います。高木完さん!(場内拍手)
ここから高木完がハルヲフォン体験史を語っていく。
荒野:完さんがハルヲフォンというグループを最初に認識されたのは何がきっかけだったんですか?
高木完(以下 完):『銀座NOW』(TBSテレビで生放送をしていた夕方の帯番組)で「恋のT.P.O.」を観たのが最初。当時、異邦人とか一連のノヴェルティっぽいバンドがいて。
荒野:葡萄畑も「がきデカ恐怖のこまわり君」をやったりしてましたね。
近田:異邦人って “チョンワ チョンワ♫” (1976年の映画『嗚呼!! 花の応援団』イメージソング)の?
完:うん、最初はそういう流れのバンドだと思ってました。テレビだとそう見える。すいませんでした(笑)。
荒野:でもそんな第一印象と違って、ハルヲフォンは気合の入ったロック・アルバムを作っていて。
完:それはもう凄い!! 近田さんの『オールナイトニッポン』2部を聴いて、『23時ショー』で近田さんがやった「ブルドッグ」(フォーリーブスのカヴァー)を観て、めっちゃカッコいいじゃん!!って思って。歌謡曲のパンク化って、シド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」より早いですよね。
近田:シド・ヴィシャスの方が先でしょ?
完:いや、絶対にハルヲフォンの方が早いですよ!(※『電撃的東京』は1978年6月21日、シドの「マイ・ウェイ」は1978年6月30日発売)。調べてもらったらわかるけど、「ブルドッグ」の方が先、これは間違いないです。
近田:ということは、まずセックス・ピストルズを聴いて、どんな曲でもこういうアレンジをすれば簡単だって思ったんだ。
完:時系列的に「マイ・ウェイ」はまだ出てないです。だから「マイ・ウェイ」を聴いて、近田さんの方が早いって思ったの。
荒野:その前の『ハルヲフォンレコード』(77年9月)の頃は、まだパンク体験はされてないですか?
近田:ギリギリだね。ちょうどこのアルバムの曲をライヴでやり始めた頃にセックス・ピストルズが出てきて。カメラマンの小暮徹さんがロンドンから帰ってきた時に、僕とプラスチックスの中西俊夫にセックス・ピストルズのデビュー盤『Never Mind The Bollocks(勝手にしやがれ!!)』をくれた。そのサウンドを聴いた時に、それまでのロックと違ってギターの連続したカッティングの曲ばかりで。まあ、後からこれってニューヨーク・ドールズだなって気づくんだけど。
当時俺たちは営業だけじゃなくて、普通のライヴハウスや、池袋の「CITY」(西武百貨店内にあったイベントスペース)とかで演奏していて、1日何ステージかやらなきゃいけなかったんだ。そうするとオリジナルだけじゃ足りなくなるんで、俺が好きだった郷ひろみとか歌謡曲をカセットに入れてバンドに渡したら、彼らもその捻れた面白さを気に入って。ともかく曲を増やさなきゃならなかったから、「昔から知ってる橋幸夫の曲とかを、全部セックス・ピストルズのアレンジでやれば練習しなくてもできるよね」となった。
荒野:橋幸夫さんの「あの子と僕(スイム・スイム・スイム)」とかやってたんですよね。
恒田:そのライヴ音源を持ってるけど、凄いよ〜。ピストルズなんて問題じゃない。
近田:ほんと、いいよね。
完:日本でパンク・ロックを演奏したバンドはハルヲフォンが最初だったんじゃないですか?
恒田:ピストルズは村八分を聴いてた──っていう噂があって。
高木:いや、絶対に聴いてない(笑)。
荒野:新説が出ました。
完:村八分とピストルズはそんなに似てないですから。
近田:俺も違うと思う。全然ね。
完:とにかく僕は「ブルドッグ」でビックリして、近田さんが言う言葉を完全にインプットして。『オールナイトニッポン』を聴き始めたら、CMの終わりと明けに流れるのが全部ハルヲフォンの曲だったんですよ。スッゲーカッコイイ!と思って、すぐに『ハルヲフォンレコード』を買いに行きました。まだ『電撃的東京』は出てなかった。
荒野:『ハルヲフォンレコード』が過激だなと思うのは、いよいよパンクが迫ってきた匂いがあるのと同時に、郷ひろみの「花とみつばち」をカヴァーしていたりするところです。
近田:そもそもが僕の趣味なんですけど、そういう有名曲のメドレーをやるってことに関しては、シャ・ナ・ナのステージを厚生年金ホールで観たことがヒントになってる。彼らは「ロックン・ロール・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」をテーマにして、そこからずっと有名な曲をメガミックスでやるんですよ。それが一方にあって、もう一つはTBSでやっていた『ドット30歌謡曲』。その番組で、歌謡曲の美味しい部分だけ30曲メガミックスしていくのね。その両方が頭にありました。
恒田:近田はそう思うじゃない。でも俺は全然違うことを考えててさ、そこのズレはすごいよね。
近田:そこだよね!
恒田:俺はね、ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズの「悪魔とモリー」。あの2曲(ショーティー・ロングの「Devil With A Blue Dress On」とリトル・リチャードの「Good Golly Miss Molly」)をくっつけたヤツをイメージしてた。最初から君と僕の間にはズレがあった。
完:でも完成度はメチャ高いじゃないですか。
荒野:そういう意味では『ハルヲフォンレコード』って最高のフォーメーションですよね。
近田:『ハルヲフォンレコード』に関しては、楽曲プロデューサー的に言うと、一番影響を受けたのは、当時恒田が選んだ曲をいっぱい入れてカセットを作ってくれた中に入っていた、エドガー・ウインター・グループのアルバム『恐怖のショック療法(Shock Treatment)』。こんなテクニシャンが、ストレートなロックンロールでめちゃくちゃ難しいことをやってる──というところにパンクを感じた。
荒野:そんなエドガー・ウインター・グループにマッコイズのリック・デリンジャーがいて。
近田:偶然だったね。一昨日かな、スティーヴ・クロッパーが亡くなって。俺はギタリストにそんなに興味ないんだけど、リック・デリンジャーとスティーヴ・クロッパーの2人は本当に好きでしたね。
荒野:『ハルヲフォンレコード』はめちゃくちゃ名盤だと思うんですけど。
高木:すごい変拍子と転調の嵐だよね。
完:でも全然そんな風に聞こえなくて、普通に聴ける。
近田:そうなのよ、でもコピーしようと思ったらえらい大変で。そういうアイデアの基本はアラン・メリルだよ。アランから影響を受けたのが一番大きい。
完:パンクのあとに聴いて、全然イイ!と思ってた。自分が聴いたのが78年頃で、ブロンディーとかパワー・ポップにぴったりだったんですよ。
荒野:ニュー・ウェーブ、パンクの感覚で聴いても古くない?
完:いや、古くないどころか、これが一番カッコいいと思った。
荒野:では一曲『ハルヲフォンレコード』からかけて、前半を閉めようと思うんですが、完さんリクエストはあります?
完:「グローリアのうわさ」を。
荒野:これはロイ・オービソンの「オー!プリティ・ウーマン」の感じ。
恒田:サビで半音下がるんだよね。
荒野:完さんがハルヲフォンというグループを最初に認識されたのは何がきっかけだったんですか?
高木完(以下 完):『銀座NOW』(TBSテレビで生放送をしていた夕方の帯番組)で「恋のT.P.O.」を観たのが最初。当時、異邦人とか一連のノヴェルティっぽいバンドがいて。
荒野:葡萄畑も「がきデカ恐怖のこまわり君」をやったりしてましたね。
近田:異邦人って “チョンワ チョンワ♫” (1976年の映画『嗚呼!! 花の応援団』イメージソング)の?
完:うん、最初はそういう流れのバンドだと思ってました。テレビだとそう見える。すいませんでした(笑)。
荒野:でもそんな第一印象と違って、ハルヲフォンは気合の入ったロック・アルバムを作っていて。
完:それはもう凄い!! 近田さんの『オールナイトニッポン』2部を聴いて、『23時ショー』で近田さんがやった「ブルドッグ」(フォーリーブスのカヴァー)を観て、めっちゃカッコいいじゃん!!って思って。歌謡曲のパンク化って、シド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」より早いですよね。
近田:シド・ヴィシャスの方が先でしょ?
完:いや、絶対にハルヲフォンの方が早いですよ!(※『電撃的東京』は1978年6月21日、シドの「マイ・ウェイ」は1978年6月30日発売)。調べてもらったらわかるけど、「ブルドッグ」の方が先、これは間違いないです。
近田:ということは、まずセックス・ピストルズを聴いて、どんな曲でもこういうアレンジをすれば簡単だって思ったんだ。
完:時系列的に「マイ・ウェイ」はまだ出てないです。だから「マイ・ウェイ」を聴いて、近田さんの方が早いって思ったの。
荒野:その前の『ハルヲフォンレコード』(77年9月)の頃は、まだパンク体験はされてないですか?
近田:ギリギリだね。ちょうどこのアルバムの曲をライヴでやり始めた頃にセックス・ピストルズが出てきて。カメラマンの小暮徹さんがロンドンから帰ってきた時に、僕とプラスチックスの中西俊夫にセックス・ピストルズのデビュー盤『Never Mind The Bollocks(勝手にしやがれ!!)』をくれた。そのサウンドを聴いた時に、それまでのロックと違ってギターの連続したカッティングの曲ばかりで。まあ、後からこれってニューヨーク・ドールズだなって気づくんだけど。
当時俺たちは営業だけじゃなくて、普通のライヴハウスや、池袋の「CITY」(西武百貨店内にあったイベントスペース)とかで演奏していて、1日何ステージかやらなきゃいけなかったんだ。そうするとオリジナルだけじゃ足りなくなるんで、俺が好きだった郷ひろみとか歌謡曲をカセットに入れてバンドに渡したら、彼らもその捻れた面白さを気に入って。ともかく曲を増やさなきゃならなかったから、「昔から知ってる橋幸夫の曲とかを、全部セックス・ピストルズのアレンジでやれば練習しなくてもできるよね」となった。
荒野:橋幸夫さんの「あの子と僕(スイム・スイム・スイム)」とかやってたんですよね。
恒田:そのライヴ音源を持ってるけど、凄いよ〜。ピストルズなんて問題じゃない。
近田:ほんと、いいよね。
完:日本でパンク・ロックを演奏したバンドはハルヲフォンが最初だったんじゃないですか?
恒田:ピストルズは村八分を聴いてた──っていう噂があって。
高木:いや、絶対に聴いてない(笑)。
荒野:新説が出ました。
完:村八分とピストルズはそんなに似てないですから。
近田:俺も違うと思う。全然ね。
完:とにかく僕は「ブルドッグ」でビックリして、近田さんが言う言葉を完全にインプットして。『オールナイトニッポン』を聴き始めたら、CMの終わりと明けに流れるのが全部ハルヲフォンの曲だったんですよ。スッゲーカッコイイ!と思って、すぐに『ハルヲフォンレコード』を買いに行きました。まだ『電撃的東京』は出てなかった。
荒野:『ハルヲフォンレコード』が過激だなと思うのは、いよいよパンクが迫ってきた匂いがあるのと同時に、郷ひろみの「花とみつばち」をカヴァーしていたりするところです。
近田:そもそもが僕の趣味なんですけど、そういう有名曲のメドレーをやるってことに関しては、シャ・ナ・ナのステージを厚生年金ホールで観たことがヒントになってる。彼らは「ロックン・ロール・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」をテーマにして、そこからずっと有名な曲をメガミックスでやるんですよ。それが一方にあって、もう一つはTBSでやっていた『ドット30歌謡曲』。その番組で、歌謡曲の美味しい部分だけ30曲メガミックスしていくのね。その両方が頭にありました。
恒田:近田はそう思うじゃない。でも俺は全然違うことを考えててさ、そこのズレはすごいよね。
近田:そこだよね!
恒田:俺はね、ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズの「悪魔とモリー」。あの2曲(ショーティー・ロングの「Devil With A Blue Dress On」とリトル・リチャードの「Good Golly Miss Molly」)をくっつけたヤツをイメージしてた。最初から君と僕の間にはズレがあった。
完:でも完成度はメチャ高いじゃないですか。
荒野:そういう意味では『ハルヲフォンレコード』って最高のフォーメーションですよね。
近田:『ハルヲフォンレコード』に関しては、楽曲プロデューサー的に言うと、一番影響を受けたのは、当時恒田が選んだ曲をいっぱい入れてカセットを作ってくれた中に入っていた、エドガー・ウインター・グループのアルバム『恐怖のショック療法(Shock Treatment)』。こんなテクニシャンが、ストレートなロックンロールでめちゃくちゃ難しいことをやってる──というところにパンクを感じた。
荒野:そんなエドガー・ウインター・グループにマッコイズのリック・デリンジャーがいて。
近田:偶然だったね。一昨日かな、スティーヴ・クロッパーが亡くなって。俺はギタリストにそんなに興味ないんだけど、リック・デリンジャーとスティーヴ・クロッパーの2人は本当に好きでしたね。
荒野:『ハルヲフォンレコード』はめちゃくちゃ名盤だと思うんですけど。
高木:すごい変拍子と転調の嵐だよね。
完:でも全然そんな風に聞こえなくて、普通に聴ける。
近田:そうなのよ、でもコピーしようと思ったらえらい大変で。そういうアイデアの基本はアラン・メリルだよ。アランから影響を受けたのが一番大きい。
完:パンクのあとに聴いて、全然イイ!と思ってた。自分が聴いたのが78年頃で、ブロンディーとかパワー・ポップにぴったりだったんですよ。
荒野:ニュー・ウェーブ、パンクの感覚で聴いても古くない?
完:いや、古くないどころか、これが一番カッコいいと思った。
荒野:では一曲『ハルヲフォンレコード』からかけて、前半を閉めようと思うんですが、完さんリクエストはあります?
完:「グローリアのうわさ」を。
荒野:これはロイ・オービソンの「オー!プリティ・ウーマン」の感じ。
恒田:サビで半音下がるんだよね。
♪ハルヲフォン「グローリアのうわさ」
曲を聴きながら、色々と感想が飛び出す。
荒野:同時代の日本のバンドで同じようなテイストの人たちがいないんですよ。
高木:世界的にいないね。
恒田:日本のバンドってどんなのがいた?
完:僕はハルヲフォンしか聴いてなかったですよ。ギリギリそのあとに東京ロッカーズとかプラスティックス、ぐらいしか聴いてない。このレコードだけすごい好きだった。
高木:音質はどう感じる?
完:今でも全然カッコイイと思いますよ。当時も今も全然OK。
高木:譜面にすると相当捻れてるんだよ。
恒田:本当に難しい。
完:その譜面、今はもうないんですか? 見たいな。
近田:とっとかないね。
恒田:近田くらい字の汚い奴はいないし、譜面なんか凄かったよね、でも緻密に全部書いていて。
近田:ちゃんと書いたよね。今と違って打ち込みみたいな物がないじゃない、デモテープは一人じゃ作れないから、譜面作ってみんなに渡して覚えてもらうしかない。
完:歌詞とメロディは同時だったんですか?
近田:それは曲によるけど。「グローリア~」はね、イメージとしてビブロスでよく遊んでいた女の子がいて、その子が年を重ねていった後のことを歌にしてやろうと思ってた。曲は、楽典的にいうと7thの音は魅力的なんだけど、日本の音楽にあまりないんですよ、そこを意識して。俺にとってロックは7thなんだよ。透明感がなくなる。ロックってそこがカッコイイ。
荒野:ところで、ザ・フーの影響ってどうでした? アラン・メリルさんが「ザ・フーはロックンロールじゃない」と言ったという話もあって。
近田:ザ・フーってさ、演奏は荒々しいけど和声、コード進行には透明感がある。そういうところがロックではあるけどロックンロールじゃない──という話。ロックとロックンロールの違いは、ロックは幅広い、ロックンロールは狭義。その幅狭い中で透明感のない感じ、そういうところで言うとザ・フーはポップ・ミュージックだよね──ということをアランはずっと言ってた。
高木:sus4っていうコード自体、ロックンロール感がない。青い三角定規(フォークバンド)的。
近田:そうそう。
荒野:経過和音が入るフォーク・ロックっぽい感じが、ピート・タウンゼントにはずっとありますからね。
近田:「ベースに経過音を入れないでくれ」って言ってたのを覚えてる。
高木:あんまりたくさん音を使うとフュージョン的な方に寄っていくから、なるべくルートだけ。普通のロックンロールだったらド/ミ/ソ/ド/ミ/ソだけど、たとえばそれをも排除して、ドだけで勝負しようと。
完:ベースを相当低く下げて。
高木:あれはジミー・ペイジの悪影響でさ、ソウル・バンドの時はチョッパーができなかった(笑)。
荒野:でも当時のライヴ音源を聴くと、時々ザ・フーっぽくなる瞬間がありますよね。恒田さんはキース・ムーンがお好きでしょ?
恒田:キース・ムーン大好きで、そこは近田とは意見が合うかどうは別として、僕は僕でイっちゃてたから(笑)。
近田:それはイントロのドラムとかに感じるけど、やっぱりスネアの位置はチャーリー・ワッツの方が近いんじゃないですか。
恒田:そうだけどね。僕的にはフリーのサイモン・カークですね。
荒野:同時代の日本のバンドで同じようなテイストの人たちがいないんですよ。
高木:世界的にいないね。
恒田:日本のバンドってどんなのがいた?
完:僕はハルヲフォンしか聴いてなかったですよ。ギリギリそのあとに東京ロッカーズとかプラスティックス、ぐらいしか聴いてない。このレコードだけすごい好きだった。
高木:音質はどう感じる?
完:今でも全然カッコイイと思いますよ。当時も今も全然OK。
高木:譜面にすると相当捻れてるんだよ。
恒田:本当に難しい。
完:その譜面、今はもうないんですか? 見たいな。
近田:とっとかないね。
恒田:近田くらい字の汚い奴はいないし、譜面なんか凄かったよね、でも緻密に全部書いていて。
近田:ちゃんと書いたよね。今と違って打ち込みみたいな物がないじゃない、デモテープは一人じゃ作れないから、譜面作ってみんなに渡して覚えてもらうしかない。
完:歌詞とメロディは同時だったんですか?
近田:それは曲によるけど。「グローリア~」はね、イメージとしてビブロスでよく遊んでいた女の子がいて、その子が年を重ねていった後のことを歌にしてやろうと思ってた。曲は、楽典的にいうと7thの音は魅力的なんだけど、日本の音楽にあまりないんですよ、そこを意識して。俺にとってロックは7thなんだよ。透明感がなくなる。ロックってそこがカッコイイ。
荒野:ところで、ザ・フーの影響ってどうでした? アラン・メリルさんが「ザ・フーはロックンロールじゃない」と言ったという話もあって。
近田:ザ・フーってさ、演奏は荒々しいけど和声、コード進行には透明感がある。そういうところがロックではあるけどロックンロールじゃない──という話。ロックとロックンロールの違いは、ロックは幅広い、ロックンロールは狭義。その幅狭い中で透明感のない感じ、そういうところで言うとザ・フーはポップ・ミュージックだよね──ということをアランはずっと言ってた。
高木:sus4っていうコード自体、ロックンロール感がない。青い三角定規(フォークバンド)的。
近田:そうそう。
荒野:経過和音が入るフォーク・ロックっぽい感じが、ピート・タウンゼントにはずっとありますからね。
近田:「ベースに経過音を入れないでくれ」って言ってたのを覚えてる。
高木:あんまりたくさん音を使うとフュージョン的な方に寄っていくから、なるべくルートだけ。普通のロックンロールだったらド/ミ/ソ/ド/ミ/ソだけど、たとえばそれをも排除して、ドだけで勝負しようと。
完:ベースを相当低く下げて。
高木:あれはジミー・ペイジの悪影響でさ、ソウル・バンドの時はチョッパーができなかった(笑)。
荒野:でも当時のライヴ音源を聴くと、時々ザ・フーっぽくなる瞬間がありますよね。恒田さんはキース・ムーンがお好きでしょ?
恒田:キース・ムーン大好きで、そこは近田とは意見が合うかどうは別として、僕は僕でイっちゃてたから(笑)。
近田:それはイントロのドラムとかに感じるけど、やっぱりスネアの位置はチャーリー・ワッツの方が近いんじゃないですか。
恒田:そうだけどね。僕的にはフリーのサイモン・カークですね。
「OiOiAI-未体験ゾーンへ」は、AI時代を明るく軽やかに描いたポップソングです。OiOiAI!というキャッチーなフレーズに乗せて、人とAIが共に創り楽しむ新しい時代を表現しました。遊び心あふれる歌詞と印象的なメロディが重なり、未来への期待やワクワク感を届けます。
リリース2026.07.29
℗ 2026 近田春夫&ハルヲフォンwithイリア
リリース2026.07.29
℗ 2026 近田春夫&ハルヲフォンwithイリア
近田春夫&ハルヲフォン with イリア・新曲『Oi Oi AI-未体験ゾーンへ』リリース記念トークライブ&史上最速試聴会!!~ダンスミュージック未体験ゾーンへ!~
2026年9月11日(Friday)
OPEN 16:30 - START 17:00
【出演】近田春夫&ハルヲフォン(近田春夫/恒田義見/高木英一)
【Special Guest】イリア(from ジューシィ・フルーツ)、OMB
【DJ】LUNASUN (近田春夫&OMB)
【チケット】前売¥1500/当日¥2000 ※ドリンク代別 ※全席自由
前売券はLivePocketで発売中
●イベント公式ページ
OPEN 16:30 - START 17:00
【出演】近田春夫&ハルヲフォン(近田春夫/恒田義見/高木英一)
【Special Guest】イリア(from ジューシィ・フルーツ)、OMB
【DJ】LUNASUN (近田春夫&OMB)
【チケット】前売¥1500/当日¥2000 ※ドリンク代別 ※全席自由
前売券はLivePocketで発売中
●イベント公式ページ
近田春夫『未体験白書』
いつも未体験ゾーンに突入してきた!!
音楽家 近田春夫の半世紀超を、ここに永久保存
ハルヲフォンがデビュー50周年を迎えた近田春夫。本書はコロナ禍の真っ只中で綴った未発表コラム70本と、共に音楽を作ってきた仲間たちとの対話、音楽誌に残されたインタビュアー仕事まで一挙掲載。日本のロック史、ヒップホップ史に深く関わってきた長い旅路を俯瞰します。
また、巻末では自身が解説する「近田春夫を作った洋楽100曲」企画に加えて、奇跡的に発掘された青年期~幼少期の日記も公開! 音楽と共に歩み続けてきた男の半世紀超を詰め込んだ、全ファン必携の永久保存版です!
【主な内容】
◎コロナ禍の間に綴られた未発表コラム『未体験ゾーンに突入』
◎仲間たちとの対話:デビュー50周年記念 ハルヲフォン鼎談(近田春夫・恒田義見・高木英一)/楳図かずお/カルメン・マキ/竹田和夫/沖山優司/窪田晴男/渡辺秀文/高木完+OMB
◎洋楽インタビュー集:キッス/チープ・トリック/J.ガイルズ・バンド/ブッカー・T.ジョーンズ/L.L.・クール・J
◎ソロアルバム『天然の美』(1979年)リリース時の貴重なインタビューを復刻
◎自ら解説、“近田春夫を作った洋楽100曲”
◎青年期~幼少期の日記を公開
(*表紙・口絵イラスト:近田春夫)
近田春夫『未体験白書』
A5判/428頁/定価:3,300円(税込)/11月25日発売
音楽家 近田春夫の半世紀超を、ここに永久保存
ハルヲフォンがデビュー50周年を迎えた近田春夫。本書はコロナ禍の真っ只中で綴った未発表コラム70本と、共に音楽を作ってきた仲間たちとの対話、音楽誌に残されたインタビュアー仕事まで一挙掲載。日本のロック史、ヒップホップ史に深く関わってきた長い旅路を俯瞰します。
また、巻末では自身が解説する「近田春夫を作った洋楽100曲」企画に加えて、奇跡的に発掘された青年期~幼少期の日記も公開! 音楽と共に歩み続けてきた男の半世紀超を詰め込んだ、全ファン必携の永久保存版です!
【主な内容】
◎コロナ禍の間に綴られた未発表コラム『未体験ゾーンに突入』
◎仲間たちとの対話:デビュー50周年記念 ハルヲフォン鼎談(近田春夫・恒田義見・高木英一)/楳図かずお/カルメン・マキ/竹田和夫/沖山優司/窪田晴男/渡辺秀文/高木完+OMB
◎洋楽インタビュー集:キッス/チープ・トリック/J.ガイルズ・バンド/ブッカー・T.ジョーンズ/L.L.・クール・J
◎ソロアルバム『天然の美』(1979年)リリース時の貴重なインタビューを復刻
◎自ら解説、“近田春夫を作った洋楽100曲”
◎青年期~幼少期の日記を公開
(*表紙・口絵イラスト:近田春夫)
近田春夫『未体験白書』
A5判/428頁/定価:3,300円(税込)/11月25日発売
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