ボブ・ディランがジョン・フォガティにCCRの曲を再び弾かせた理由

pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music
元CCRのフロントマンだったジョン・フォガティが、ボブ・ディランと話した後、20年ぶりに自分の曲を弾き始めた時のことを明かしました。

CCRは5年間の活動を経て1972年に辛辣なムードのまま解散し、その後フォガティは、20年間以上も元のバンド仲間から距離を置き、CCRの曲を演奏することもなかったそう。

しかし、フォガティはディランと話した2か月後、1987年7月4日にワシントンDCで行われたベトナム帰還兵のチャリティ・コンサートに出演し、一連のCCRの曲を演奏していています。トーマス・M・キッツが書いたフォガティの評伝本『John Fogerty: An American Son』には、次のように書かれています。

「1987年2月19日、ロスのクラブ“パロミノ”で行われたタジ・マハールのコンサートで、フォガティはディランとジョージ・ハリソンとセッション、その後ディランはティナ・ターナーが1971年にカバーした曲を引き合いに出して、彼にこう言った。『よう、ジョン、CCRの曲をやらないと、世間は“プラウド・メアリー”がティナ・ターナーの曲だと思うぜ』と」

Uncut誌との最近のインタビューで、フォガティは次のように語っています。

「ディランの言葉はかなり挑発的で、頭から離れなかった。CCRの頃は考え事がたくさんあったし、バンドの解散を決意するなんて、僕は問題児だったに違いないけど、僕だって傷ついていたんだ。25年近くも人前で演奏しなかったから、多くの人たちにとって僕は謎だったろうね。今思えば、僕は有罪だったのかもしれないけど、あの訴訟問題が片付いて良かったよ」

フォガティは、仲間同士の間に亀裂を作った元マネージャーのソウル・ゼインツが解散の原因だったと非難し、彼がフォガティを訴訟で牢獄に入れようとし、拘束される苦しみを味わわせようとしたと語っています。「ゼインツに味方した当時の同僚を思い出すと、今でも夜中に汗をかいて目覚めるんだ」

フォガティは5月25日から6月29日まで、ZZトップと全米ツアーを行うことになっています。
 

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