バンド仲間にも謎だったフレディ・マーキュリーのセクシャリティ

pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music
フレディ・マーキュリーのセクシャリティ、ましてや彼を死に至らしめたエイズについて、クイーンが多くを語ったことは一度もありませんでした。

ドラマーのロジャー・テイラーは、1991年にマーキュリーがエイズで亡くなった直後、次のように語っていました。

「グループとしては非常に親密な関係だったけど、僕らでさえフレディについては多くのことを知らなかったよ」

しかし、彼らが一つだけ確信していたのは、マーキュリーが単に男か女かという表面的な部分だけで定義づけられるような人物ではなかったということです。

彼のセクシャリティが話題になるずっと前から、彼がバイセクシャルだったと言う人もいますが、ブライアン・メイはかつて「Daily Express」に次のように語っていました。

「彼自身、最初は認識していなかったと思うよ。僕は最初の頃に何度かツアーでフレッドと同じ部屋に泊まったから、彼のことはよく知っていたけど、彼にはガールフレンドがたくさんいたし、当時はボーイフレンドなんていなかった。それは間違いない。チラッと疑ったことはあったけど、当時の彼がゲイだと思ったことは一度もなかったね。彼が僕らに“男性だけが好き”と告白したのは、それが露骨になってから何年も経ってからさ」

また、メイは2017年の「Times」とのインタビューで、次のように述べています。

「フレディの楽屋に来る訪問者が、セクシー美女から男性に変わり始めたけど、僕らは気にしなかった。だって、関係ないからね。でも、フレディはよくぶっきらぼうに“これでわかっただろう?”って言うようになって、ある時“僕の私生活が変わったのに気付いたよね”って言ったこともあった」

また、フレディが名付けたクイーンというバンド名も、彼のセクシャリティを謎に包む要因となり、ロジャー・テイラーによると、テイラーもメイも最初からこのバンド名は気に入っていなかったとのことですが、そのうちに慣れたそうです。

80年代初期にエイズがゲイ・コミュニティに蔓延し、マーキュリーは1987年に受けた2度目のエイズテストで陽性反応が出たものの、バンド仲間に相談することはありませんでした。

「何かあるとは思っていたけど、話し合うことはなかった」と、メイは語っています。

「フレディが、“僕が病気なのは知っているよね?”って言ったんだ。もちろん、全員が気付いていたけど、知りたくはなかった。そしたらフレディが、“僕がこういう状態で、それについて何も語らず、何も変えたくないってことに眉をひそめるだろうけど”って、言ったのさ」

1989年5月にアルバム『The Miracle』を発表する頃、フレディの余命が短くなっていることは明らかでしたが、彼は出来るだけ多くのアルバムを残そうとレコーディングに励み、両親にさえ、自分がゲイでエイズに罹っていることを話していませんでした。

2014年にロジャー・テイラーは次のように語っています。

「フレディの自宅でミーティングがあるからと、全員が呼ばれてね。そしたら、フレディがこういったんだ。“僕の問題について知っているだろうけど、僕は何も変えたくないし、知られたくもない。それについて話したくもない。僕はただ倒れるまで仕事を続けたいんだ。だから僕をサポートしてほしい”ってね」

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