日本中のクイーン・ファンが一堂に会した『クイーン・デイ VOL.5』イベント・レポート


1975年4月、クイーンは初めて羽田に降り立った。それから数えて40年目の2015年に、日本中のクイーン・ファンが一堂に会するイベント「クイーン・デイ」がスタート。5回目を迎えた今年はアルバム『ライヴ・キラーズ』リリース40周年を記念して、クイーン来日史上最大規模となった「JAZZ TOUR 1979」を特集。羽田空港TIATホールに集まった満員のクイーン・ファンを前にクイーン研究家の石角隆行氏の司会進行でイベントは始まった。

まず石角氏による「VOL.5予習&解説」として、1975年初来日、1979年「JAZZ TOUR」のクイーンの来日時の模様や日程がスクリーンで紹介された。

続いて第一部のQUEER によるライヴ・パフォーマンスが行われ、1979年の武道館公演の楽曲を中心としたステージが再現された。

1979 年 QUEEN 武道館公演再現+α

① SE Overture~Thunder Strike
② We Will Rock You
③ Let Me Entertain You
④ Somebody To Love
⑤ Death On Two Legs
 ~Killer Queen
 ~Bicycle Race ~I'm In Love With My Car
⑥ Now I'm Here
⑦ Love Of My Life ⑧'39
⑨ Don't Stop Me Now
⑩ Spread Your Wings
⑪ Brighton Rock ~Guitar Solo ~Brighton Rock
⑫ Keep Yourself Alive
⑬ Bohemian Rhapsody
⑭ Teo Toriatte

休憩を挟んだ第二部は、東郷かおる子氏、長谷部宏氏を迎えたトーク・コーナーで幕開け。

石角隆行(以下──):第二部の開演です。お待ちかねのトーク・コーナー、今回のゲスト、元ミュージック・ライフ誌編集長の東郷かおる子さんは、その初期からクイーンを取材し続け日本に於けるクイーンをここまでにした、いわば<日本のクイーンの母>みたいな方、長谷部宏さんはミュージック・ライフ専属カメラマンとしてクイーンの全ての来日を撮影されて、他にもビートルズをはじめとした著名アーティストを撮られています。では東郷かおる子さん、長谷部宏さん、よろしくお願いいたします。(場内大拍手)

東郷かおる子(以下東郷):皆さんこんにちは。

長谷部宏(以下長谷部):どうも。


──長谷部さんは日本で一番最初にクイーンを撮影されたカメラマンですが、東郷さん、それはどこで?

東郷:ロンドンですね。私が初めてニューヨークでクイーンのステージに接した時、ブライアン(・メイ)は病気だったんです。病弱なブライアン(笑)、それでアメリカ・ツアーも途中でキャンセルになって。これはイギリスに戻ってからの写真です。その時私はロンドンに行ってないので、長谷部さんが行って撮影された最初のクイーン。で、ブライアンはいないんです。病気で、また欠席。

──ちょうどアルバム『シアー・ハート・アタック』の録音中で、当初ブライアン抜きで録音していた。

東郷:そうです、後からブライアン一人でギターの部分だけ録音して、疲れたらしいです。それでまた欠席。

──では、まず1975年の初来日の時のことを伺いたいのですが、4月17日にJAL61便で到着してゲートに出てきたのが19時過ぎ。そして1,000人〜3,000人とも言われているファンが集まって。人数は色々な説があるんですけど、とにかに大変な数で。

東郷:多かったですね、数えてないので分からないですけど。とにかくこの来日前に編集部に色々と電話がかかってきたんです。「何便で来るのか、どこのホテルに泊まるのか」って、それまでそういうことがあまりなかったもので。もちろん教えられませんけど、これはもしかしたら羽田でちょっとした騒ぎになるかも──って話してたんです。それで長谷部さんと行ったんですが、ちょっとしたどころじゃない騒ぎになっていて、長谷部さん覚えてます?

長谷部:いやぁもう50年以上前の話だからよく覚えてないんだけど、大勢来てた気がしますね(笑)。色々なミュージシャンが来ると僕は羽田に行ったんだけど、クイーンとベイ・シティ・ローラーズは3,000人はいたかな。

東郷:初来日だとメンバーも日本のことなんか何も分からないわけですよ、だけど嬉しいじゃない極東に来て、で、ルンルンで到着口から降りてきたら、私の目の前でいきなりブライアンはファンに飛びかかられてました。髪を引っ張られる、洋服を引っ張られる、履いていたロンドンブーツのような白い靴は脱げる、ブライアン怒ってましたね。車に乗り込んでもロジャー(・テイラー)なんか顔が引きつってるし、フレディ(・マーキュリー)もポカンと口を開けてて。

──ほうほうの体で脱出したと、それで翌日は東京プリンスホテルでの記者会見があったんですけど、おそらくクイーンはこんな規模の記者会見はやったことがなかったんじゃないですか。

東郷:びっくりしたと思いますよ。当時日本ではこういう歓迎レセプションがあるのは定番だったんです──突然振り袖を着た女の子が登場して花束を贈呈するとか鏡割りとか。海外ではこれはないんですよ、だから本人たちも嬉しいような興奮するような感じだったと思います。クイーンっていうと、羽田に到着してから例のお茶会(4月20日東京プリンスホテル庭園での野点)の様子を撮ったフィルムがよく紹介されて、記者会見の場面も出てくるんですが、最前列に長谷部さんが写ってるんです、覚えてない?

長谷部:覚えてますよ、そりゃ(笑)。

──会見の様子ももちろん撮影されてた。

長谷部:そうですね、前にロンドンで会ってるから顔は知ってたけど、ここまでの人気とは思わなかったね。

pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music

──そして翌19日は来日3日目でいよいよ武道館初公演。

長谷部:いやぁ僕は最初の武道館はファンに押し潰されて1枚も写真を撮ってないんだよ。

東郷:実はその時のフレディ・マーキュリーが長谷部さんの命の恩人なんですよ。

長谷部:もうファンの子たちに潰されちゃって──。最初僕の前に仰向けに女の子が倒れてきたんで、“この子危ない” と思ってその子の上に四つん這いになって守ったんだよ。そうしたら僕の上に3人くらい乗っちゃって、そこにスモークが流れてきて何も見えない。もうショウが始まっちゃったから何か言ったって聞こえないし、“こりゃあ危ないな” と思ってたら、さすがにフレディがそれに気がついて1曲目の途中で曲を中止したんだ。それで僕は助かった。

東郷:だからその時フレディが気がつかなかったら長谷部さん昇天してた(笑)。最初「プロセッション」が流れて「誘惑のロックンロール」が始まって、スクリーンにフレディのシルエットらしき物が映るんだけど、これはフレディだかどうか判明しないんですよ。これが消えてすぐに明るくなると違う所に立ってましたからね。だからこういうヘアースタイルの他のスタッフだったかもしれない。だけどこれが映った瞬間、さっき長谷部さんが言ったように、ティーンエイジャーの女の子たちが黒い塊になってステージに押し寄せてそのままそこでグワっとなったんです。長谷部さんはその下敷きになって。私は2階席から見ていたのでそんなこと分からないし。

長谷部:カメラはどっかいっちゃったし、メガネも吹っ飛んだしどうしようもないんだよね。

東郷:それで、ステージが終わった時に長谷部さんの所に行ったら1枚も写真が撮れてない。挙げ句にふっと見たら長谷部さんのメガネはひん曲がってるしカメラもグシャグシャで。で、どうしよう…と思って。これは弁償しなきゃいけないかな──というくらい大変な騒ぎだったんですよ。女の子たちは5〜60人失神してて救護室で寝かされて。だから彼女たちもライヴは観てない。

長谷部:1回目のコンサートでそういう騒ぎになったから次からは慌てて前の方でガードするようになった。

東郷:だから甘く見てたね、女子のパワーを。

──結局武道館では撮れなくて。

長谷部:ミュージック・ライフは音楽雑誌だからどうしたってクイーンのコンサートの写真を載せなくちゃいけないから23日の神戸(国際会館)を撮りに行って。でも下から撮るのはイヤだったから2階から望遠で撮った(笑)。

──で、少し戻るんですが4月20日にお茶会があって。そこでファンからもらったケン玉に熱中した…。

東郷:私、ブライアンに訊かれたんですよ、「日本人はどうしてこんなにプレゼントをしてくれるんだ?」って。でも分かりますね、ケン玉からぬいぐるみから日本的な千代紙とか、ともかく女性ファンはなんとかしてメンバーとつながりたい、プレゼントを渡したい──すごく健気だったと思うんですけど、海外だとそういうことないんですよ。ブライアンは 「初めて会ったのになぜこんなプレゼントをくれるんだ?」って不思議がるんですけど、答えようがない。私は、「日本人の習慣として好意を持っている人にはプレゼントをあげるのだ」って言っておきました(笑)。

──クイーンは地元イギリスでは男性ファンも多くて男女半々くらい。

東郷:そうですね、でもそんなに大きな所ではやってなかった。

──レインボー・シアターとか2,000人クラスの会場だったのが、武道館。

東郷:いきなり10,000人ですからね。

──最初に武道館公演ご覧になってどんな印象でした?

東郷:私、その前にニューヨークで観ていたのでスゴいのは分かっていたんですけど、武道館初日はあまりの出来事で長谷部さんの身が心配で、楽しめる──っていうのは全然なかった覚えがありますね。

──長谷部さんもそれどころじゃなく。

長谷部:僕はいきなり潰されちゃったもんだから──どうしたんだっけかなぁ。

東郷:それっきりですよね、アーって言ったきり。

──他の外国人ミュージシャンでそういうことはあったんですか?

長谷部:ディープ・パープルとかそういうのが来るとお客さんはバーッと前に押し寄せるんだけど男の人が多いから、カメラで殴って排除しながら撮ってた。でもクイーンの場合は中学生くらいの女の子だから安心してたんだよね。

東郷:隙があったんですよ隙が(笑)。

長谷部:今考えるとね、まいったね。

pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music

──で、5月1日の日本武道館公演ではフレディは着物を着て、これは当時自分で買ったんですかね。

東郷:そうですね、外国人向けのお土産を売っているような所で買ったみたいです。でもスゴいファンサービスで、とにかく彼ら自身も嬉しかったんですよ、まさかこんなに大歓迎されるとは思ってなかったでしょうし。それまで本国イギリスではすごく苛められてましたから。だから感謝のつもりで。これ以来本当の意味でクイーンは親日家になったし日本のこと大好きになったんです。

──フレディはこれ以降、プライヴェートで来日して買い物をしてますし。

東郷:来日中メンバーにホテルで会って「フレディはどうしてるの?」って訊くと「ああ、彼はショッピング・クレイジーだから」って。

──で、帰国する機内でフレディは「伝説のチャンピオン」を書いたとか…。

東郷
:アルバムに入るのはもっと後ですね。

──『オペラ座の夜』の時には完成していなくて…でも、日本公演の感動で“俺たちはチャンピオンだ”って書かれたと。

東郷:でもあの歌の内容と日本での成功がどう繋がるのかしら、歌詞も変わってると思うし。あの歌詞って凄くいい歌詞じゃない、<俺たちみんながチャンピオンだ>っていう人生の応援歌で。でも本当に嬉しかったのは確か。

──その『オペラ座の夜』のリハーサルをしていたリッジファームに東郷さんは取材に行かれたんですよね。

東郷:どうして行ったかというとやはり反響が凄くて、連日ファンの女の子から「クイーンは今何をしてますか?」って電話が編集部に来るんです。今みたいにネットがあるわけでもないし、ミュージシャンがインスタグラムで近況を発信するわけじゃないので、こっちも分からないのは同じ。でも何か雑誌に載せなければ読者は納得しないので、もうこうなったら日本から行くしかないと、私はもう一人編集者を連れてイギリスにいるカメラマンとで行きました。リッジファームはロンドンから車で2時間くらいのドーキングっていうエリアの有名な農園風のリハーサル・スタジオ。

──まさに映画で描かれてたあの感じで。

東郷
:あんなに汚くないです。本当はもの凄く綺麗な所で宿泊施設もあって。映画じゃなんかジョン・ディーコンが納屋みたいな部屋に押し込められてましたけど、そんなことないですよ、凄く奇麗な所。英国式庭園に薔薇の花が咲いてたりテニスコートやプールもあって。

──色々とメンバーからサーヴィスをしてもらったという話で。

東郷:サーヴィスなんてもんじゃありません。現地に昼過ぎに着いて取材をして、帰る時は日が沈んでましたから。もう上へ下への大歓迎で。そこにはフレディの当時の彼女メアリーや、ブライアンの奥さんクリスティーンもいたし、当時のロジャーやジョン・ディーコンの彼女もいたし、プロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーや、ジョン・ハリスってエンジニアもいて、まぁ全部いましたね。

──メンバーがテニスやってましたけど、クイーンとテニスってあんまりイメージがないんですけど。

東郷:なんかイギリス人はみんなテニス上手そうな感じがするじゃないですか。で、何でも写真を撮れればよかったんですけど、フレディが陣頭指揮を取ってくれて撮ったんです。後でフレディは写真嫌い──という話がありましたけど、全然そんなことはなく大歓迎してくれました。「実際に試合をしよう」ってフレディが言って、やってみて上手かったのはロジャー、意外と上手かったのがジョン・ディーコン、フレディは口ほどにもなく、ヒドかったのがブライアン・メイで一度もボールが当たらなかった、オール空振り(笑)。笑っちゃいけないと思いながらおかしくって。その時ゲラゲラ笑ってたのがロイ・トーマス・ベイカー。その後も「じゃ次は犬と撮ろう」って、フレディは本当にサーヴィス精神が旺盛だった。

──ちょっと意外ですね、気難しい印象ですから。

東郷:後年を思うとそうかもしれないけど、当時のフレディはそういう人じゃなかったんですよ、きっと。何しろ上着を2回も着替えてくれて。

──では次に今日のテーマである<79年3度目の来日>。アルバム『ライヴ・キラーズ』のジャケットは長谷部さんが撮影されてますよね。

長谷部:なぜ僕に話が来たかは分からないんだけど、とにかく楽屋でどういう写真を撮ろうかって相談をしたんですよ。クイーンってフレディ・マーキュリーが主張してメンバーはそれに同調してるんじゃないか──って思ってたら、全然そうじゃなくて一人一人がみんな意見を出し合って、全員同格なんだよ。色んな意見が出た中で<コンサートが終わったらステージ前に全員揃って出て来て、肩を組んだり手を振ったりするのを撮影してジャケット・カヴァーにする>ということに決まったんだ。
 

pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music

──そこまで話が決まってたんですね。

長谷部:だから僕は最後のシーンを撮るためにフィルムを残して準備してた。ところがショウが終わったら全員帰っちゃった。しょうがないから楽屋に飛んで行ってメンバーに「ジャケットの写真はどうするんだ?」って言ったら、「あ、いけない忘れちゃってた」って。(場内爆笑)しかたないから、じゃあこの次のショウで撮ろう!って言ったんだけど、その次も同じ。みんな帰っちゃった(笑)。じゃ、もうジャケット撮りようがないな──って散々文句を言って3回目にやっと前に出て来たんだけど、4人が肩組むとか手を振るとかはなくて、バラバラに出てきて帰っちゃった。そんな状況でこの『ライヴ・キラーズ』のカヴァーは撮った。

──それでこの写真が採用された。

東郷:とにかくメンバーも興奮しちゃってるわけですよ。で、忘れちゃうのね。

長谷部:まぁ、演奏中にそういう事は忘れちゃうんだね。

──ライトが降りてきてメンバーも高揚して。

東郷:にしても忘れんなよ!2回も(笑)。

──昨年このイベントに出ていただいた当時のレコード会社のディレクターさんが、ブライアンの写真だけポーズが決まってなかったので差し替え合成したって仰ってましたけど。

長谷部:そうかな…僕はまがりなりにも4人撮ったと思うけどなぁ。ま、みんなポーズは決まらないんだよ(笑)。

──79年のツアーはかなり長い間日本に滞在してたんですけど、ミュージック・ライフは当然取材されて。

東郷:本当は東京で4人全員一人ずつの取材を予定していて、ブライアンとロジャーとジョン・ディーコンは無事にインタビューはできたんです。約1名──フレディ・マーキュリーができなかった。

──なぜかというと。映画でも敵役で描かれたポール・プレンターさんが取材の窓口になられてた。

東郷:当時パーソナル・マネージャーっていうのがいまして、ピート・ブラウンという人がブライアン、ロジャー、ジョンのパーソナル・マネージャーで、ポール・プレンターがフレディのパーソナル・マネージャー。もうこの頃は大物スターになってましたから、ピート・ブラウンに3人の取材交渉をしてもすぐにOKがでない、それでもなんとかちゃんと取材ができたんです。ポール・プレンターは──もうこの世の方ではないので死者に鞭打つことは言いたくないけど──ヒドいヤツだったんです。

──まさに映画通りの感じで。

東郷
:いやぁ、あれ以上だったな。

──取材のオファーをしてもフレディに届いてない。

東郷:そう、フレディは何も聞いてない状況だから何もできない。ポール・プレンターが故意に止めてたって感じですね。フレディが怖くて言えなかったのかもしれないと思います。それと、フレディと自分の間にファンを入れたくなかったって感じで。本当に疲れたんですよ、喧嘩も交渉も全部英語でやらなけりゃいけないんですから、もう二度とイヤですね。この後アメリカ・ツアーの時に長谷部さんと二人でボストンに取材に行ったんですよ、そうしたら相変わらずポール・プレンターのせいで取材ができなかったり、屋外の会場からホテルへの送りも手配されてなかったり…。私本当に頭にきて、彼宛に<いいかげんにしろ!このヤロー>って手紙を書いて、客室係に「大事な手紙だからMr. ポール・プレンターに直接渡してくれ」って言付けたんです。──しばらくしてから、<ゴメンナサイ>って手紙が来てましたけどね。で、85年クイーン最後の来日の時、事前に来た来日スタッフ・リストに彼の名前はなかったんです、もうバンザ〜イ!でした。

──映画でも85年の時には喧嘩していなくなってましたから、それは史実通りで。

東郷
:まぁ過ぎてしまえば懐かしいですけど。

──では、そろそろお時間が来てしまったので、お二人が出された本のご紹介を。東郷さんは『クイーンと過ごした輝ける日々』。

東郷:十数年前に出した物に、新しいインタビューと映画『ボヘミアン・ラプソディ』狂想曲を混ぜて新しい原稿とした物を加えて出しました。

──そして長谷部さんは『ROCK THE BEST 長谷部宏写真集』。これはクイーンだけではなく表紙にあるビートルズをはじめローリング・ストーンズも撮られていて、ストーンズはレコーディング現場で大変だったとか。

長谷部:ジャマイカのスタジオで撮ったんだけど、ミック・ジャガーが来るまでは他のメンバーが音合わせをしてて、それが終わった頃に丁度ミックが来てテスト無しですぐに本番の録音が始まるんだよ。僕はミックに気づかずに他のメンバーを撮ってたから、そのままスタジオに閉じ込められて、しょうがないからミックの足下にしゃがんで見てた。ステージと同じで身体をくねらせながら歌うんだよ(笑)。

東郷:ツバ飛ばしながら歌ってるミックの足下で踞ってる長谷部さんを想像してみてください(笑)。

──そういう物が詰まった写真集です。


この後特別企画として、長谷部さんへのサインが入ったブライアン・メイとフレディ・マーキュリーの写真がそれぞれ一枚ずつ長谷部さん、東郷さんvs会場のファンとのジャンケン大会でプレゼントされた。

トークイベントに続いて、第三部はQUEERによる1985年7月13日イギリス、ウエンブリー・スタジアムで行われたLIVE AIDの模様が再現された。

1985年7月13日 LIVE AID

① Bohemian Rhapsody
② RADIO GA GA
③ Hammer To Fall
④ Crazy Little Thing Called Love
⑤ We Will Rock You
⑥ We Are The Champions

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