ブライアン・メイ曰く「クイーンは常に解散の危機にあった」

pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music
ブライアン・メイが、フレディ・マーキュリーがいた頃のクイーンや曲作りについて、『Guitar World』との最新インタヴューで次のように語っています。

「クイーンの曲はバンドの大黒柱ではあるけれど、ストレスの中で生まれた曲だから、非常に複雑な領域なんだ。4人の強力な個性が組み合わさっていたのは非常にラッキーだったけど、僕らはいつ解散してもおかしくない状態だった。でも妙なことに、僕らはそういう状態から力を得ていたんだ。4人にはそれぞれ違った才能があって、お互いを別々の方向へ引っ張っていたからさ」

「作曲と編曲、そして制作に関しては、ビートルズが僕らのバイブルを作ってくれたんだ。『ホワイト・アルバム』は、曲作りのためにスタジオをどう使うべきかを教えてくれる完璧な案内書だよ。“Happiness Is a Warm Gun” と “Dear Prudence” なんて、いかにして音楽がキャンバスに絵を描くようになるかという素晴らしいお手本だしね」
    
「ビートルズは、曲をライヴで演奏する必要がなかったから、ある意味では気楽だったと思う。僕らはスタジオで夢中になって曲作りに励んだだけじゃなく、ステージでも曲を蘇らせていたからね」

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  • jimmario さん投稿日時 2019.06.15 17:10

    ブライアン君。ビートルズ・フリークとしては聞き捨てならない発言ですぞ。彼らはコンサートをする意思がなかったかのような言い方には反論いたします。
    ビートルズが活動開始した60年代前半は、演奏用機材の性能がクイーンが活動を始めた70年代とは雲泥の差がありました。アンプの性能はというと、50年代の主流はVOX社製の15Wだったが、59年に同社から30Wのアンプが発売され、ローリング・ストーンズやヤードバーズといったバンドが使うようになり、63年にビートルズもこのアンプを使ってデビューアルバムをレコーデイングしています。この30Wがどれくらいの音量かと言いますと、現在では、多くの練習用スタジオには100ワット以上の容量のアンプが備えられています。
    そして、アンプと同様にコンサートに不可欠なのがPAシステムです。ステージの音を拾ってミキシングコンソールへ集め、エンジニアがバランスを調整して会場全体に大音響で流す、これこそがコンサートを盛り上げるPAシステムです。映画ボヘミアンラプソディのライブエイドの場面で、ジム・ビーチがレバーを上げ音量を大きくしたあのシステムです。
    こうしたPAシステムは60年代半ばまで存在していませんでした。初期のビートルズは、ライブで30W程度のアンプをボーカル用に使い、ギターとベースはそれぞれのアンプから出る音、そして、ドラムは生音を聞かせていたのです。そんな状況で行われた、1964年と1965年のアメリカ・ハリウッドボウルのライブの模様を録音した音源のリミックス盤レコードのライナーノーツで、プロデューサーのジョージ・マーティン氏が当時のコンサート会場の音の劣悪さについて書いていますので紹介します。
    「ビートルズの衝撃がアメリカに波及していったのは64年頃からだった。ハリウッド・ボウルでライブ録音をしようと話が出た時、私はあまり乗り気ではなかった。録音面でスタジオ録音よりかなりレベルの低いものになってしまうからだ。しかし、とにかくトライしてみようということになった。結果は、心配した欠点がかなり出た。コンサートは最初から、収取不可能な状態の中で進んでゆく。レコーディング・エンジニアは最低の条件下で仕事をしなくてはならない。この時の殆どパニックに近い状況は、その場に居合わせた人でなければ想像できないだろう。そんな状況の中で3トラックの録音が果たせた。残念なことに、モニター用スピーカーがなくて、ビートルズは自分たちの演奏が聴けなかった。そして、この場所に集まった1万7千人の若者たちは出る限りの声で、休みなく叫び続けた。その総音量にはジェット機の爆音さえもかき消されてしまっただろう。それから1年後、1965年、8月29日、30日、ジョン、ポール、ジョージ、そして、リンゴの4人は、再びハリウッド・ボウルのステージに立った。今度もキャピタル・レコードはビートルズのライブ・レコーディングを試みたのである。こうして二度のコンサートを録音したテープは10年以上もほって置かれた。このテープを使おうという考えは、私にも、4人にもなかった。収録された曲は全て、もっと音の良いスタジオ録音が発売されているのだから。」以下省略 訳 わだ まさゆき氏
    ビートルズの4人は、自分たちの異常ともいえる人気で、コンサートは音楽を聴けるような状況にないことを十分理解した上で、あえてコンサートを封印したことを伝えたい。解散後の4人のコンサート状況を見ればコンサートをしなくて良いなんて思ったことは皆無だと思います。
    ブライアン君、分かってくれたかな。
    ちなみに、元ドラマーのジム・マーシャルの手によりマーシャル社製の50ワットのアンプが登場したのが1962年。その後1965年ごろに、4スピーカーのボックスを二つ積み重ね、その上に100Wのアンプを乗せるスタイルが登場するといよいよハードロックの登場となります。PAシステムはというと、本格的な野外ロックフェス・1967年のレディング・フェスティバルでWEM社製のPAシステムが初めて使われたのが始まりです。その後PAシステムの改良は急速に進み。ギタリストやベーシストはステージ上で心置きなく100Wのマーシャルをフルボリュームで演奏することができるようになりました。以上レコード・コレクターズより
    クイーンがデビューした1973年には「ロック」と言われる音楽を思う存分演奏できる環境が整っていたことを思うと、クイーンがアリーナからスタジアムまで網羅できたのはまさしく音楽機材の進歩のおかげですね。

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