エルヴィス・コステロ、故ジョン・プラインへの追悼エッセイを発表
エルヴィス・コステロが、自身のフェイスブックに故ジョン・プラインへの追悼エッセイを投稿しました。
コステロは2,600ワードを超える長いエッセイの中で、プラインの音楽との出会いや、プラインがコステロと脚本家アラン・ブリースデイルとの友情に一役買ったこと、そしてプラインのソングライティングなどについて綴っています。
「今日、友人のアラン・ブリースデイルとジョン・プラインプラインについて語り合い、40年前に初めてお互いを紹介された時のことを思い出していた。
アランは、脚本家にならずソングライターになっていたら、ジョン・プラインになりたかったと言ったので、僕はソングライターのフリをしていた19歳の時に、僕もジョン・プラインになりたかったんだと話した」
「僕が初めてジョンの曲と出会ったのは、リヴァプールのオルガン製造所 “ラッシュワース&ドリーパー” のカウンターにあった “Sam Stone” のシングル・レコードだった。“Sam Stone” も裏面の “Illegal Smile” も短い曲だったが、ジョンの曲作りを評価することになる全ての要素が詰まっていた」
「ジョンがたとえデビュー・アルバムしか作曲しなかったとしても、アメリカの偉大なソングライターという地位が揺らぐことはなかっただろう。ジョンの曲には、彼自身の目と耳で詳細が描かれた彼にしか書けない曲があった」
コステロは2,600ワードを超える長いエッセイの中で、プラインの音楽との出会いや、プラインがコステロと脚本家アラン・ブリースデイルとの友情に一役買ったこと、そしてプラインのソングライティングなどについて綴っています。
「今日、友人のアラン・ブリースデイルとジョン・プラインプラインについて語り合い、40年前に初めてお互いを紹介された時のことを思い出していた。
アランは、脚本家にならずソングライターになっていたら、ジョン・プラインになりたかったと言ったので、僕はソングライターのフリをしていた19歳の時に、僕もジョン・プラインになりたかったんだと話した」
「僕が初めてジョンの曲と出会ったのは、リヴァプールのオルガン製造所 “ラッシュワース&ドリーパー” のカウンターにあった “Sam Stone” のシングル・レコードだった。“Sam Stone” も裏面の “Illegal Smile” も短い曲だったが、ジョンの曲作りを評価することになる全ての要素が詰まっていた」
「ジョンがたとえデビュー・アルバムしか作曲しなかったとしても、アメリカの偉大なソングライターという地位が揺らぐことはなかっただろう。ジョンの曲には、彼自身の目と耳で詳細が描かれた彼にしか書けない曲があった」

「僕自身のソングライティングに影響が出ないよう、そして自分自身の声を見つけて張り上げるために、ジョンを真似して書いた静かな曲を忘れることにした。彼の才能は、曲のスケールでオーディエンスを静かにしてしまうことだ」
プラインの思い出を延々と綴ったコステロは、最後にプラインへの感謝を述べ、去年の9月にプライン夫妻と楽しんだ最後の夕食会の思い出話で締めくくりました。
「あれは、歌と思い出話に花が咲いた笑い溢れる楽しい夕食だった。徐々に燻り出した年代物のジュークボックスのガラスに煙が充満し、ジョンが電源を切って窓を開けなければならなかったので、それを機にお開きになった。もし、あれがジョンの仕組んだことだったのなら、僕はようやく教訓を学んだことになるのだろう」
プラインの思い出を延々と綴ったコステロは、最後にプラインへの感謝を述べ、去年の9月にプライン夫妻と楽しんだ最後の夕食会の思い出話で締めくくりました。
「あれは、歌と思い出話に花が咲いた笑い溢れる楽しい夕食だった。徐々に燻り出した年代物のジュークボックスのガラスに煙が充満し、ジョンが電源を切って窓を開けなければならなかったので、それを機にお開きになった。もし、あれがジョンの仕組んだことだったのなら、僕はようやく教訓を学んだことになるのだろう」



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