60年代後期のグルーピー・バンドGTO'sのミス・マーシーが71歳で死去

フランク・ザッパがアルバムをプロデュースしたGTO'sの共同創設者ミス・マーシー(本名:ジュディス・エドナ・ピーターズ/Judith Edna Peters)が7月27日、71歳で亡くなりました。

元バンド仲間のミス・パメラ(Pamela Des Barres/元マイケル・デバレス夫人、著書『I'm With The Band: Confessions of A Groupie〈邦題:伝説のグルーピー〉』でも有名)がSNSで訃報を伝えていますが、死因は発表されていません。

「私の人生の大半において最愛のシスターだったミス・マーシーが亡くなってしまった。今の私に言葉は何の役にも立たない。彼女のいない世界など想像できない」

1949年にロサンゼルスで生まれたミス・マーシーは、16歳でヒッピー・ムーヴメントの中心地サンフランシスコのヘイト・アシュベリーへ移住しましたが、半年間少年鑑別所に収容された後、1967年に地元へ舞い戻りました。その後、LAロック・シーンの中心地サンセット・ストリップを根城にしていたグルーピーのミス・パメラやミス・シンデレラ、ミス・クリスティンらと友達になり、クリスティンがザッパ家のベビー・シッターをしていた縁で、1968年にザッパの提案により7人組のガールズ・バンドGTO’s(Girls Together Outrageously)を結成しました。

当時の『ローリング・ストーン』誌の目に留まったバンドは、1969年2月15日に発売された同誌の特集記事「The Groupies and Other Girls」で取り上げられ、“グルーピー” という言葉が広く知られるようになりました。

バンドは1970年に解散してしまいましたが、1969年にザッパがプロデュースした唯一のアルバム『Permanent Damage』をストレイト・レコーズ(ザッパのレーベル)からリリースし、アルバムの14曲で若き日のロッド・スチュワートがフィーチャーされ、ジェフ・ベックも作曲に参加しています。
 
ミス・マーシーは、バンドが解散した直後にシンガー/ギタリストのシュギー・オーティス(Shuggie Otis)と結婚し、一人息子のラッキー・オーティスはミュージシャンとして活動しています。

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