「自分で思っている〈ロック・ミュージシャンの在り方〉を突き通してきた、だから今ここに居れるんだなと」
『清春自叙伝』発売記念会見レポート
日時/会場:10月30日(金)京王プラザホテル


10月30日、52歳の誕生日を迎えた清春が「清春 自叙伝」の発売を記念した記者会見とバースデー・ライヴを行った。
シックな黒のいでたちで登場した清春は、「新型コロナウィルスの影響で、ライヴハウスでのライヴができないので、その代わりにホテルを使ったバースデーライヴと、同じく一年くらい前から作ってあった『自叙伝』の発売イベントがようやくできるようになりました」と最初に挨拶。
シックな黒のいでたちで登場した清春は、「新型コロナウィルスの影響で、ライヴハウスでのライヴができないので、その代わりにホテルを使ったバースデーライヴと、同じく一年くらい前から作ってあった『自叙伝』の発売イベントがようやくできるようになりました」と最初に挨拶。
──自叙伝を出す経緯について。
「今日で52歳になったんですけど、当初は50歳の一年の間に出そうと思ってました。デビュー25周年、50歳で。その中でアルバムを作ったりツアーをしたりしていてちょっと遅れて、今年の新型コロナウィルス禍でさらに遅れて。でも自叙伝を出せるミュージシャンって日本では少ないのでその仲間に入りたいなと(笑)」
──実際に自叙伝を書いてみて、自分の中で気づいたことは?
「僕は、黒夢、sads、ソロと三回デビューしてるんです。5年、5年とバンドを10年やって今ソロで15年。自分の中ではその区切りが覚えやすくて、今回の自叙伝を作る基本になってます」
──コロナ禍の中で、新たに始めたことはありますか?
「ツアーも延期になり、レコーディングもほとんどできていない状態だったんんですけど、月一回のストリーミング・ライヴをやっていて、これは良かったですね。僕はライヴの本数は多いと方だと思いますけど、この状況の中では直接ファンの人たちと会える機会がなくて。アコースティックだったらともかく、バンド・スタイルのロックだから(通常のコンサートの)50%でのライヴはやりたくない、フルでできるまではやらないと思っていて、それで各地のコンサート・スタッフやマネージャーと結構毎日話し合ってました」
「今日で52歳になったんですけど、当初は50歳の一年の間に出そうと思ってました。デビュー25周年、50歳で。その中でアルバムを作ったりツアーをしたりしていてちょっと遅れて、今年の新型コロナウィルス禍でさらに遅れて。でも自叙伝を出せるミュージシャンって日本では少ないのでその仲間に入りたいなと(笑)」
──実際に自叙伝を書いてみて、自分の中で気づいたことは?
「僕は、黒夢、sads、ソロと三回デビューしてるんです。5年、5年とバンドを10年やって今ソロで15年。自分の中ではその区切りが覚えやすくて、今回の自叙伝を作る基本になってます」
──コロナ禍の中で、新たに始めたことはありますか?
「ツアーも延期になり、レコーディングもほとんどできていない状態だったんんですけど、月一回のストリーミング・ライヴをやっていて、これは良かったですね。僕はライヴの本数は多いと方だと思いますけど、この状況の中では直接ファンの人たちと会える機会がなくて。アコースティックだったらともかく、バンド・スタイルのロックだから(通常のコンサートの)50%でのライヴはやりたくない、フルでできるまではやらないと思っていて、それで各地のコンサート・スタッフやマネージャーと結構毎日話し合ってました」
ここから場内からの質問に対してのQ&Aが始まる。
Q:自叙伝を書かれて改めて自身の中で印象に残っていることは?
「インディーズ時代から、デビューしてから、そして今でも自分ですべて考えてやっていくという、プライベート・オフィスのスタイルでやってきてるんです。自分の思うことをやり通せる環境に自分でしていく。自叙伝を読み返してみて、高校生くらいから自分で思っている〈ロック・ミュージシャンの在り方〉を突き通してきている、だから今ここに居れるんだなという気がします」
Q:改めて50年を振り返ることで苦労したことは?
「自分でも細かいところは全然思い出せないので、何か付け加えることはないのか──と確認作業としてウィキペディアを見てました(笑)。ツアーのタイトルやライヴをやった会場とかはメチャクチャ正確なんです。黒夢の頃は9ヶ月で百何十本ライヴをやってましたから。それに音楽業界のCDセールがいつ頃から崩壊していったんだろう──とかも参考になりました。でも記録以外の、例えば個人の人柄みたいなことは当時の僕の発言や掲載された記事からピックアップされているので、内緒で自分で書き換えようかと思ったんですけど、52歳なんでやり方が分からなくてすぐ諦めました(笑)」
Q:振り返るなかで、〈これはやってない、これをやってみたい〉ということは?
「なんだろう──これは絶対にダメなんですけど、海外のロック・ミュージシャンってだいたい一回は捕まってるじゃないですか。日本だとタブーなんですけど、海外ではそれが一つのキャリアになるので、それはやってこなかったなぁ──って思いました。僕が思ってる〈ロックの感じ〉は10年くらい前からこの日本にはなくて──僕が思ってるロックは〈悪は正義〉だったんですけど……」
Q:音楽の聴き方も変わってきましたが、ご自身はどう捉えてますか?
「今の形は1曲だけ、まず数秒聞いて──なんですね。それはそれでいいなとは思うんです。僕らの頃はレコードをカセットにダビングしてたのがCDになって、MDになって、今はもうストリーミングで形もなくなる時代ですけど、たぶんこれはツールが違うだけであって、アルバム単位で聴かれなくなったとしても、いい耳・センスを持った人は良い音楽を探すでしょうし。だから鍛錬して上がってきた人は絶対に勝つので、ダウンロードとか聴き方が変わっても僕はあまり気にしてないです」
Q:自叙伝を書かれて改めて自身の中で印象に残っていることは?
「インディーズ時代から、デビューしてから、そして今でも自分ですべて考えてやっていくという、プライベート・オフィスのスタイルでやってきてるんです。自分の思うことをやり通せる環境に自分でしていく。自叙伝を読み返してみて、高校生くらいから自分で思っている〈ロック・ミュージシャンの在り方〉を突き通してきている、だから今ここに居れるんだなという気がします」
Q:改めて50年を振り返ることで苦労したことは?
「自分でも細かいところは全然思い出せないので、何か付け加えることはないのか──と確認作業としてウィキペディアを見てました(笑)。ツアーのタイトルやライヴをやった会場とかはメチャクチャ正確なんです。黒夢の頃は9ヶ月で百何十本ライヴをやってましたから。それに音楽業界のCDセールがいつ頃から崩壊していったんだろう──とかも参考になりました。でも記録以外の、例えば個人の人柄みたいなことは当時の僕の発言や掲載された記事からピックアップされているので、内緒で自分で書き換えようかと思ったんですけど、52歳なんでやり方が分からなくてすぐ諦めました(笑)」
Q:振り返るなかで、〈これはやってない、これをやってみたい〉ということは?
「なんだろう──これは絶対にダメなんですけど、海外のロック・ミュージシャンってだいたい一回は捕まってるじゃないですか。日本だとタブーなんですけど、海外ではそれが一つのキャリアになるので、それはやってこなかったなぁ──って思いました。僕が思ってる〈ロックの感じ〉は10年くらい前からこの日本にはなくて──僕が思ってるロックは〈悪は正義〉だったんですけど……」
Q:音楽の聴き方も変わってきましたが、ご自身はどう捉えてますか?
「今の形は1曲だけ、まず数秒聞いて──なんですね。それはそれでいいなとは思うんです。僕らの頃はレコードをカセットにダビングしてたのがCDになって、MDになって、今はもうストリーミングで形もなくなる時代ですけど、たぶんこれはツールが違うだけであって、アルバム単位で聴かれなくなったとしても、いい耳・センスを持った人は良い音楽を探すでしょうし。だから鍛錬して上がってきた人は絶対に勝つので、ダウンロードとか聴き方が変わっても僕はあまり気にしてないです」
Q:ご自身で一貫して持っている信条は?
「〈個〉である、ということです。僕の好きなミュージシャンは団体の中で頭ひとつ抜き出ている人。僕らみたいなジャンルのミュージシャンというのは、個人の名前でしか残ってないんです。若いバンドの皆さんはバンド名でやった方が集客もできるでしょうけど、長くやっていくと個人でしか残ってない。バンドも再結成してやってますけど、ミュージシャン、アーティストとしてマーキングされるのは個人なんですね。僕も、バンド全体のサウンドを聴くよりも個人としてミュージシャンを見ていた方が勉強になりました。その人がどういう考え方をしてどういう音楽を表現しているのか──とか、その人を通じて、ああなりたいこうなりたい、というのを思っていた気がします。僕も早い段階でバンドを解散して、その先不安だったんですけど、めちゃめちゃ売れることはないものの残っていく自信はありました。団体の中であっても〈個の美学〉というか、それが僕の中での〈ロックの魅力〉でした」
──では、最後に清春さんから締めの言葉をお願いします。
「自分の思っていることを現実に近付けるということが、大きな数を勝ち取るよりも大事な時があると思うんです。こういうタイプのミュージシャンもまだいて、わりと長めにコンサートとか活動しているというのが世の中に広まったらいいな──と思います、今日はありがとうございました」
「〈個〉である、ということです。僕の好きなミュージシャンは団体の中で頭ひとつ抜き出ている人。僕らみたいなジャンルのミュージシャンというのは、個人の名前でしか残ってないんです。若いバンドの皆さんはバンド名でやった方が集客もできるでしょうけど、長くやっていくと個人でしか残ってない。バンドも再結成してやってますけど、ミュージシャン、アーティストとしてマーキングされるのは個人なんですね。僕も、バンド全体のサウンドを聴くよりも個人としてミュージシャンを見ていた方が勉強になりました。その人がどういう考え方をしてどういう音楽を表現しているのか──とか、その人を通じて、ああなりたいこうなりたい、というのを思っていた気がします。僕も早い段階でバンドを解散して、その先不安だったんですけど、めちゃめちゃ売れることはないものの残っていく自信はありました。団体の中であっても〈個の美学〉というか、それが僕の中での〈ロックの魅力〉でした」
──では、最後に清春さんから締めの言葉をお願いします。
「自分の思っていることを現実に近付けるということが、大きな数を勝ち取るよりも大事な時があると思うんです。こういうタイプのミュージシャンもまだいて、わりと長めにコンサートとか活動しているというのが世の中に広まったらいいな──と思います、今日はありがとうございました」
この後、会場を変え、ディナーショー形式のライヴ「Kiyoharu Birthday 52『The Birthday』」が開催された。
キャパシティ1,000人の会場に集うファン約400人を前に3月にリリースされた新作『JAPANESE MENU / DISTORTION10』からの「SURVIVE OF VISION」を始めsads、黒夢の楽曲も交えたメニューを披露。ギター2本で生み出される濃密な空間に、変幻自在の清春の歌声がからみつく〈ロック〉に溢れた1時間半を超える圧巻のステージだった。
キャパシティ1,000人の会場に集うファン約400人を前に3月にリリースされた新作『JAPANESE MENU / DISTORTION10』からの「SURVIVE OF VISION」を始めsads、黒夢の楽曲も交えたメニューを披露。ギター2本で生み出される濃密な空間に、変幻自在の清春の歌声がからみつく〈ロック〉に溢れた1時間半を超える圧巻のステージだった。


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