村井康司×大友良英×池上信次 鼎談

「生誕100年、チャーリー・パーカーが2020年に遺したもの」トークイベント・レポート〈後編〉

『バード  チャーリー・パーカーの人生と音楽』
チャック・ヘディックス 著、川嶋文丸 訳
写真左より村井康司さん、大友良英さん、池上信次さん
 

日時/会場:2020年12月17日(木)/下北沢 本屋B&B
出演:池上信次(編集者)・大友良英(音楽家)・村井康司(音楽評論家・編集者)五十音順

故チャーリー・パーカーの生誕100周年を記念した最新評伝の邦訳『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』刊行を記念してのトークイベント。編集者の池上信次さんをホスト役に、音楽家の大友良英さんと音楽評論家・編集者の村井康司さんを迎えた長編のレポート、その第二部をお送りします。
チャーリー・パーカーの伝記映画『バード』

池上信次(以下池上):では第二部を始めますが、このイベントはネット配信されてまして、視聴者の方から質問がきています。
Q:クリント・イーストウッド監督作品のチャーリー・パーカー伝記映画『バード』はどうご覧になりましたか?
村井康司(以下村井):僕もリアルタイムで観ましたし、DVDも時々用があると観るんですけど、ぱっと見、彼の悲劇的な面が描かれてるんですね。でも残されたパーカーの映像とか見るとけっこうニヤニヤしていて、そういう部分があまりないのがちょっとつまらなかった。真面目なバードを描いた映画としてはよく分かるんですけど、もうちょっと適当でへらへらしたバードも見たかった。
大友良英(以下大友):入門編としてはいいと思います。
池上:シンバルを投げられる屈辱的なシーンがスローモーションで描かれているとか、細かいエピソードとかは生かされていて。
大友:わりと史実に忠実ではあるんですよね。
村井:クリント・イーストウッドは凄いジャズ・ファンだから、チャーリー・パーカーのことはもの凄くリスペクトしていて、音楽もパーカーのサックスは本物の音を使って、バックは現代のミュージシャンが演奏してます。
池上:質問をもう一ついただいてます。
Q:「ココ」は曲の展開やドラム・ソロなど、のちのプログレッシヴ・ロックのミュージシャンも影響を受けたかもしれなと思いました。「ココ」が好きになった私に、他のチャーリー・パーカーの曲や、ジャズ・ミュージシャンを教えてください。
村井:「ココ」は速い曲ですけど、チャーリー・パーカーのバラードにもまた全然違う魅力があってどっちも素晴らしいので、バラードもいかがでしょうか。後ほど「ジャスト・フレンズ」という曲をおかけします。他のジャズ・ミュージシャンは、先ほど大友さんも仰っていたエリック・ドルフィーを是非。
大友:ドルフィーも凄いプログレッシヴですからハマると思います。

『チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス』

池上:その話つながりになりますが。今日の前半はビバップを作ったチャーリー・パーカーの話でしたが、実はパーカーはビバップだけじゃなく、1945年頃にはニューヨークに出て注目を集め、音楽の幅を広げることになります。この本「バード」によると、当時の評論家が「ビバップは形が決まっているからそのうちに行き詰まるんじゃないか」と言うのを聞いて、幅を広げようと思った──とあるんですけど、ビバップというのは分析してまとめられるくらい出来上がってしまっていたんですか?
大友:パーカーも本の中で限界については言ってました。
村井:パターンはそんなになくて、ブルースをやって、リズム・チェンジ(ジョージ・ガーシュウィンの「アイ・ガット・リズム」のコード進行)で別のテーマをやって、後はスタンダードに別のメロディを乗せてやるか、その3パターンくらいしかない。たしかに、ずーっとそれだけを聴いてると飽きてくることがないとは言えない。だから他の楽器と違うジャンルとやる──というのがチャーリー・パーカーの40年代終わり頃ですね。
池上:1949年に『チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス』があって、その後ラテン物とかへ広がって行くのですが、そういった後期は割とないがしろにされがちなのでもっと注目されてもいいと思うんです。パーカーの活動期は40年くらいから55年に亡くなるまでのわずか10数年ですから。
大友:結構いいんです、その時期のパーカーも僕は大好きなんですけど、『ウィズ・ストリングス』とか聴きたいな、それSP盤があるんですよね。
池上:あります。53年くらいまではSP盤でリリースされています。
村井:さっきの「ジャスト・フレンズ」にしましょう。
大友:村井さんは、初めて蓄音機でパーカーを聴かれたのはいつですか?
村井:池上さんが神保町にあるアディロンダックカフェでチャーリー・パーカーのSPをかけていた時に聴きました。その時は電気の再生装置だったかな。
大友:今回は生音。生でこんな大きな音というのはびっくりですね。
村井:だから音量調整はできない、この大きさでしかかからない。
池上:針を細いものにすると小さくなる、それくらいです。

♫ M5「ジャスト・フレンズ」チャーリー・パーカー
大友:これはだいぶ聴かれたレコードですよね。
池上:溝が相当減ってます(笑)。
村井:この盤のストリングスの音はちょっと(笑)。
大友:ビバップじゃないものを──と言いましたけど、基本的なアドリブの音のあり方はビバップで。「ジャスト・フレンズ」ももともとあるコード進行があって、基本になるコードから違うコードに行ってまたもとに戻ってくるという、コード進行のダイナミズムの中で、それを複雑化して独特のビバップ・フレーズを演奏している──という意味に於いては、チャーリー・パーカーは生涯同じことをやってた。ただ初期のようにアドリブを吹きまくるのではなく、この頃は曲のテーマとか背景の音色とかを考えてやりたがってた。
池上:この時のプロデューサーがノーマン・グランツで、発売が大手のレーベルだったから潤沢な制作予算があってこういうことができた──というのもあります。
村井:この『チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス』は凄く売れて、当時ニューヨークの街でも流れていたそうです。
池上:この本にも、チャーリー・パーカーはオーケストラとの全米ツアーもあって、メジャーなスターだったと書いてあります。
村井:パリ公演もするんですが、当時アフリカン=アメリカンが戦争以外でヨーロッパに行くというのは、オリンピック選手のアメリカ代表……みたいな形以外ほとんどなかった。だからチャーリー・パーカーたちがヨーロッパ・ツアーに行けるというのは本当に凄い大スターだったということですね。パーカーはフランスに行くのを凄く楽しみにしていて、直前のレコーディングで自分の曲に「ヴィザ」とか「パスポート」とかタイトルをつけてるんです、もう小学生みたいに(笑)。
池上:じゃあ「ヴィザ」聴きましょうか?
大友:あるんですか? 言うとなんでも出てきますね(笑)。
村井:チャーリー・パーカーは、フランスでは〈最新のジャズ/ビバップの帝王〉みたいな感じで歓待されて、当時はジャズ・ジャーナリストだった作家・詩人のボリス・ヴィアンを通じてサルトルやボーヴォワールと食事をして、一緒にいたマイルス・ディヴィスはジュリエット・グレコを紹介されて恋に落ちた──ということらしいです(笑)。アメリカにいるとどんなに凄いジャズ・ミュージシャンでも辛い目に遭っているし差別されているんだけど、フランスに行くと芸術家として扱ってくれて。
大友:アメリカではまだ公民権もなかったですからね。
池上:ではその喜びを「ヴィザ」で。

♫ M6「ヴィザ」チャーリー・パーカー

池上:そこはかとないコンガが入って。
村井:ちょっとラテンっぽいね。
大友:49年、この頃ジャズにラテン系の人がけっこう入って来ますよね、主に打楽器の人が。
池上:ちょっと入るだけで。
大友:陽気な感じになりますね。
村井:チャーリー・パーカーと並ぶビバップの代表、ディジー・ガレスピーは積極的に自分の音楽にラテン的要素を入れてきたんです。自分のビッグバンドにキューバ出身のチャノ・ポソというコンガ奏者を入れたり、ニューヨークにいる友人のトランペット奏者マリオ・バウサに色々教えてもらって、いわゆるアフロ・キューバン・ジャズというアフリカ系キューバ人のやっている音楽とジャズを合わせたものをやってます。チャーリー・パーカーもすぐ近くにいたわけですから無縁ではなかったと思います。
マイルス・ディヴィスの変化

池上:こうして聴いてくると、サックス、トランペットだけじゃなくトロンボーンまでみんながビバップのフレーズを始めて。
大友:パーカーが出てきてから10年もしないうちにみんなこうなっちゃった。
池上:そこにコンガが入るだけでまた違うものになっていく。その広がり具合がもの凄いですよね。
村井:数年でジャズが変わっちゃった。
大友:近くにいたマイルス・ディヴィスの変化が一番面白い。この頃になるとそろそろクール・ジャズの方に目が行くじゃないですか。あの辺はやっぱりチャーリー・パーカーがあったからクールになったと思うんです。リー・コニッツもパーカーっぽくないけど、パーカーのようにならないために自分のものを作っていくにあたってはパーカーのビバップがもの凄く元になっているような気がします。あとギル・エヴァンスもそうですよね。
さっき〈コード進行が推進力になった〉って言ったけど、ギルとマイルスはコード進行が推進力になるんじゃないジャズをその後作っていく、それがモードで、ほぼコードが変わらない中で音階だけを設定してやる。パーカーはそちらに行く前に亡くなってしまってたし、生きていてもできたかどうかわからない。で、そのモードの中でパーカーがやってきたことをもの凄くちゃんとやって推進したのがジョン・コルトレーンだと思ってるんです。コルトレーンは徹底的にパーカー的ですから、モード・ジャズの中であのやり方をやっていく。だからチャーリー・パーカーの影響や功績はつながっていて、マイルスやコルトレーンは真正面からそれに挑んでちゃんと次に進んでいくんです。で、自分流に解釈して謎な状態になったのがオーネット・コールマン(笑)、ビバップのままさらに凄くしたのがエリック・ドルフィーというのが僕なりの解釈かな、勝手な歴史観ですけど。

ドラマーたちのリズムの話

大友:本当はドラマーたちのリズムの話も面白いんですよね、シンバルのレガートに重心がいくビートがあってこそのビバップだと思っていて、パーカーにシンバルを投げつけたジョー・ジョーンズ、ビバップじゃないけどシンバルに重心を置いた功績って大きいと思うんです。
池上:シンバルを投げつけられてパーカーは悟ったのかもしれないですね(笑)。
村井:スイング・ジャズの時代までは、バスドラムは4拍をちゃんと叩いてそれでビートが決まってたんだけど、ビバップになるとバスドラムはあまり叩かずアクセントになってシンバルでリズムを刻む、それを始めたのがパーカーにシンバルを投げつけたジョー・ジョーンズ。
大友:ジョー・ジョーンズの良さなんて若い頃は全然わからなくて、でも今聴くと本当に凄いいいドラマーですよね。その影響下で、シンバルでリズムを刻んでバスドラムのアクセントに行くことによって、小節をまたいでどんどん自由になれた。これはフリー・ジャズ大好きな私の理論でいくと、シンバルに重心が行ったおかげでビートがどんどん自由になれたのがサニー・マレーまで行っちゃって、あれはシンバルの音色だと思うんです、凄く速くシンバルが鳴っているところで小節という概念がなくなっているけどグルーヴ感は残ってる。あれはパーカーのハーモニーの解釈と同時に、色んな人が新しいことをやりだしたからだと思うんです。
村井:ドラムの話で面白いのは、レコーディングのときにノーマン・グランツが、パーカーにバディ・リッチという、誰が考えても合わないだろうなというドラマーを組み合わせるんです。バディ・リッチはスネアとバスドラムでリズムを組み立てる人でビバップっぽくないドラマーなんですけど、ノーマン・グランツはお気に入りだったみたいで。でも今聴くと妙に面白い。
大友:バディ・リッチは華があるんですよね。シンバル中心のドラマーだと、バディ・リッチみたいな華やかな感じが出にくいっていうのはあったかもしれない。
池上:そこはノーマン・グランツのプロデューサー的視点だったんですか。
村井:そうかもしれないけど、不思議な人選なんですよね。だって、チャーリー・パーカー、トランペットにディジー・ガレスピー、ピアノにセロニアス・モンクと揃えて、ドラムがバディ・リッチって、やっぱり不思議なノリなんです、ドラムだけちょっと違って。
ビバップ理論

大友:ビバップはこうだ──という教科書があるわけじゃなくて、当時は作られている最中。その中で、ビバップはこうだ!と強力に教科書みたいにしたのはアート・ブレイキー。彼がきっちり形を作ったものが後々〈新主流派〉と呼ばれるジャズになっていく。でも僕は、パーカーのアドリブの途中で終わってるテイクをリリースしたりする、きっちりしてない方が好きですね。
池上:ジャズですよね。
大友:そうそうそう。
村井:〈こうやればビバップができます〉っていうビバップ理論みたいなものは学校できちっと教えることはできると思うんですけど、バリー・ハリスという人は全然違う理論でビバップを語るんです。日本にもよく来ていて、尚美学園での公開講座を何度か見に行ったんですけど、ピアノの前に座って、トランペットとかピアノを演奏する学生を呼んで、「コンファーメーション」とかやらせるんです。バリー・ハリスは最初「なかなかいいね」とか言って横で見ていて、そのうち、「君のここのコードは違う、チャーリー・パーカーたちはこういうコードは使わない」って断言するんです。バリー・ハリスの中では「コンファーメーション」はこうやって弾くんだ、という決まりがあるみたいで、それがどこが違うのか分からないところがあるんですけど、ちょっとした一音の違いらしくて、その独自の理論で、「あるコードとあるコードは友だち関係だ」みたいなことを言うんです。生徒にCとAのコードを同時に弾かせてカッコいい響きになると、「CとAは大変なフレンズなんだ」と。彼の中では組み合わせで鳴っている音の組み合わせがあって、それでコードを探っていくとビバップができると。
池上:それはチャーリー・パーカーから習ったんですか?
村井:いやぁ……バリー・ハリスはバド・パウエルとやっていたから、バド・パウエルから教わったかもしれないですね。
大友:今はバークリー・メソッドが有名になってしまっていますけど、色んなやり方はあったんでしょうね、結果的に出る音が同じでも。だから当時なりに色んな理屈があったはずで、それが一つの形になると音楽がクラシック化してしまうと僕は思っています、でもそうしないと学校じゃ教えられないですから。
池上:最初からできあがっているように見えるけれども、実はそうじゃない部分もたくさん残している。
大友:パーカーがアドリブを途中でやめた音源を発売したり、テーマもちゃんとなくてアドリブだけっていう音源もあったのは相当画期的で。それを聴いて育った人たちが、「こういう風にやらなければパーカーじゃない」と固まっていって何重にもなって、パーカーがやり飛ばしたことがスタンダードになっていくという繰り返しでジャズの発展が何世代も経っているような気がするんです。だから本当のことを言ったら、パーカー・メソッドとかバークリー・メソッドだけじゃない自分流のやり方をしていいんだと、僕は思っているんですよね。パーカーはジャズを開いたけれど、こうしなさい、と言ってるわけじゃないんです。そこにいっぱい可能性の種があったからジャズはこんなに発展した──と。
村井:チャーリー・パーカーにはその音色の凄さとか美しさとか太さとか感情表現の素晴らしさとか、理論じゃないところがあるわけですよね。
大友:素晴しい歌手の歌を聴いてるみたいに、一音聴いただけでうあわってなる。ビバップとかどうとかじゃなくて、凄いサックス吹きなんです。
池上:『バード』にも、〈パーカーはトマト缶を吹いてもあの音が出るだろう〉って書いてあります(笑)。サックスもなんでもよくて、今スミソニアン博物館に保存されてるキング社製の特製サックスを質に入れて、プラスティック製のサックスは質草にならないから手元に置いて吹いていたそうで、プラスティックの方は未亡人が持っていて今はカンザスのミュージアムにあるそうです。まぁ、どんな楽器でも凄い音が出せちゃう人。
大友:パーカーはリズムがもの凄く良くてそのグルーヴ感の気持ち良さもあるし、さらにちょっとメロディを吹いただけでもグッとくるものを持ってる。だから、ウィズ・ストリングスみたいなものも成立するんです。

今の時代のチャーリー・パーカー

池上:で、そろそろまとめに入らせていただきますが、今回のテーマ「生誕100年、チャーリー・パーカーが2020年に遺したもの」とは何か?、というところなんですけど。今、ほとんどのジャズがパーカー由来と言っていいくらいの印象を受けるんですけど。
大友:いやいや、ちゃんとカウント・ベイシー由来もあるし、今は本当に色々なものが聴ける時代になったので、一つのものだけが由来ではないと思うんです。ただ色々なものが聴けたお陰で、当時パーカーが何をやったかということは、研究家でなくてもその前後の音楽を聴きながら参照できる。音楽家の立場で言えば、立体的に色んな音楽を聴いて自分の音楽を作れる時代になったので、今の時代のチャーリー・パーカーは実はジャズとは全然違う形であるのかもしれない、と思っています。
村井:我々60歳前後の世代にとって、ジャズを聴き始めた頃はチャーリー・パーカーって凄く遠い人って感じだったんですよ、ロリンズやコルトレーンは近い人で、パーカーは昔の人だという印象。でも今は、パーカーは現代に近いと思えるんです。今の若い人に話を聞くと、例えば、「ロバート・グラスパーが好き、でもチャーリー・パーカーも好き」だったり、ドラムは?って聞くと、「最初メタルをやってたんですけど、今一番好きなのはフィリー・ジョー・ジョーンズです」とかって人がいるので(笑)、歴史的に見るとある意味凄いフラットな視点なんです。新しい古いは関係なく、自分が今一番カッコいいと思うものを聴ける環境にあって、チャーリー・パーカーと全然違うジャンルの最新の何かを一緒に聴いて刺激を受けて、また新しいものを作る人が出てくる。それが面白いですね。
池上:結論として、チャーリー・パーカーは時代を超えて凄い存在だ、ということは間違いない。
大友:さっき前半で言っちゃったけど、譜面じゃなくて、録音した音楽を聴いて何かを発見する──ということの最初の在り方で、そういう意味でチャーリー・パーカーを再評価していいというのと、今、とんがった音楽ってハーモニーの進行でどうこうじゃないものがずっと続いていたんですけど、最近また変わってきて、その際にチャーリー・パーカーがあの時点で前の音楽に対して何をやったかというのは凄く参考になる気はしてます。

もっと言っちゃうと、それがあったからクール・ジャズとかモードとかフリー・ジャズも出てきたと考えると、凄く面白い視点でもう一度ジャズ史を見直せるなと思うんです。学校で勉強してパーカーのように吹くことだけがジャズになるんじゃなくて、今はもっと幅広く聴いている人が多いので、逆に自由に色んなものが解釈できる時代になってると。
池上:最後にまた、いただいた質問にもお答えします。
Q:チャーリー・パーカーのことからは少し外れますが、その後SPがLPに変化したことで音楽が影響を受けたところはありますか?
大友:あると思います、アルバムって概念が生まれましたから。SPの時は単体の一曲なんですけど、LPだとアルバムになる。ジャズ界だと多分マイルスがそういうことを考えたと思うし、ロックはアルバムの歴史でもあるから、A面B面45分で作品を考えるという大きな変化が。あと、これはジャズよりロックが先にやった変化ですけど、音がハイファイになってきたので本来のバスドラムの音より凄いバスドラムの音を作ったりとか、後々の音楽につながる形はそこで出てきて、それがレコード盤をこするDJカルチャーにもつながっていって。だからパーカー以降は、録音物と実際に演奏する人たちとの間の化学反応が山のように起こったのがポップスの歴史だと思ってます。
村井:LPって回転数が遅いので片面にたくさん時間がとれて、SPは片面3分から3分半。ジャズの方で言うとLPの時代になってマイルス・デイヴィスは「ディグ」という曲をやるんですけど、これが8分くらい。それまではレコーディングされた物ではその長さの曲はなかった。だからメディアの違いは凄く音楽に影響を与えるんですね。
大友:モード・ジャズってある程度時間がたっぷりないと表現できないから。
村井:3分だとモード・ジャズの曲は何もやらない内に終わってしまう(笑)。かといって80分入るCDにふさわしい音楽ができたかと言うと、そうでもない。
大友:逆にだらしなくなったんじゃないかな。だから今、ネット配信になってそこは凄く変わっていくと思います、何の制限もないので自分で決められる。
池上:この話はまたどんどん膨らませていけそうですが、時間になってしまいました。「生誕100年、チャーリー・パーカーが2020年に遺したもの」、色々な新しい発見もありました、ありがとうございました。
大友:あ、まず『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』を是非読んでください、面白いから。今年はこれ以外にもたくさんいい音楽本が出てますので、ステイホームの時間に是非。
池上:ありがとうございました、大友良英さんと村井康司さんでした。
大友:どうもありがとうございました。
村井:どうもありがとうございました。
(場内大拍手)

「バード    チャーリー・パーカーの人生と音楽」

バード チャーリー・パーカーの人生と音楽

チャック・ヘディックス 著、川嶋文丸 訳
四六判/368ページ


¥ 2,750 (本体 2,500+税)
 
生誕100年記念刊行! 生地カンザスでの徹底した取材と調査から今、明らかにされる数々の新事実。“バード” 真実の姿がここに。

モダン・ジャズの創造者の最新評伝が、待望の邦訳で登場! 日本語版のみの貴重写真も掲載!

(訳者あとがきより)本書の特徴は、膨大な資料を調査、検証し、新たな視点でパーカーの歩んだ道が再構成されている点にある。
(中略)彼が通った小学校、バードというニックネームの由来、麻薬に惑溺するきっかけなど、さまざまな事柄について通説を否定する新事実が披露されているのも興味深い。街の風景や登場する人物などの具体的な描写、主観を排した語り口で紹介されるさまざまなエピソードが、全体のストーリーに真実味を与えており、音楽に生き、麻薬と格闘し、女性を愛したパーカーの奔放不羈の人生が、生き生きしたイメージとともに浮かび上がる。

【CONTENTS】
序文/カンザスシティ・ブルース/バスターズ・チューン/フーティ・ブルース/ビバップ/リラクシン・アット・カマリロ/デューイ・スクエア/パーカーズ・ムード
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