サルサのレジェンド、ジョニー・パチェーコが85歳で死去
サルサを国際的に有名にしたファニア・レコードの共同創始者で、バンドリーダー/ソングライター/プロデューサー/アレンジャーでもあったジョニー・パチェーコ(Johnny Pacheco)が2月15日、85歳で亡くなりました。家族によると、最近パチェーコは肺炎で入院していたそうですが、死因は公表されていません。
魂の底からの心痛、心が空虚に。今日の午後、恩師ジョニー・パチェコが安らかに眠りについたことをおしらせします。みなさんのすべての祈りと、いつも彼に与えてくださったすべての愛に感謝します。
現時点では、静かなるお祈りをお願いします。
クキ・パチェーコとその家族
ドミニカ共和国で生まれたパチェーコは、独裁政権から逃れるため1940年代に家族とニューヨークへ移住し、ジュリアード音楽院でパーカッションを学びました。その後スタジオ・ミュージシャンになったパチェーコは、60年代初期に彼のバンド、パチェーコ・イ・ス(Pacheco Y Su)とパチャンガ音楽を世に広めました。
1963年にジェリー・マスッチと共同設立したファニア・レコードは、間もなくサルサの代名詞となり、「サルサのモータウン」と呼ばれていました。レーベルのハウス・プロデューサーも務めたパチェーコは、セリア・クルーズやウィリー・コロン、エクトル・ラボーなど多くのアーティストのキャリア促進に貢献し、ラボーの「Mi Gente」をはじめとするヒット曲を書きました。
また、60年代から80年代にかけて、バンド・リーダーとして多数のアルバムをリリースしたほか、1968年にレーベルの所属アーティストで結成したファニア・オールスターズとも頻繁に演奏し、1973年にグループがヤンキー・スタジアムで行なった公演は、チケットが完売しました。
パチェーコは、1998年に「インターナショナル・ラテン・ミュージックの殿堂」入りを果たし、2005年にはラテン・グラミー賞の生涯功労賞を受賞しています。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
Spotifyで聴く
Various Artists『Fania Records 1964 - 1984: The Incendiary Sounds Of New York』
1963年にジェリー・マスッチと共同設立したファニア・レコードは、間もなくサルサの代名詞となり、「サルサのモータウン」と呼ばれていました。レーベルのハウス・プロデューサーも務めたパチェーコは、セリア・クルーズやウィリー・コロン、エクトル・ラボーなど多くのアーティストのキャリア促進に貢献し、ラボーの「Mi Gente」をはじめとするヒット曲を書きました。
また、60年代から80年代にかけて、バンド・リーダーとして多数のアルバムをリリースしたほか、1968年にレーベルの所属アーティストで結成したファニア・オールスターズとも頻繁に演奏し、1973年にグループがヤンキー・スタジアムで行なった公演は、チケットが完売しました。
パチェーコは、1998年に「インターナショナル・ラテン・ミュージックの殿堂」入りを果たし、2005年にはラテン・グラミー賞の生涯功労賞を受賞しています。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
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Various Artists『Fania Records 1964 - 1984: The Incendiary Sounds Of New York』
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