「The Long and Winding Road」のアレンジ代は40ポンド

1970年に発売された『Let It Be』はビートルズのラスト・アルバムとなり、収録曲の「The Long and Winding Road」は全米1位を獲得した彼らのラスト・シングルになりました。しかし、この曲と「I Me Mine」の編曲を手掛けたリチャード・ヒューソンには1曲につき40ポンドしか支払われず、彼のアイディアに反対していたポール・マッカートニーとの確執が1年にも及んでいたこと最近になってわかりました。

ヒューソンはBBCとの最近のインタビューで次のように語っています。

「僕は“I Me Mine”と“The Long and Winding Road”のアレンジ代として合計で80ポンドしかもらわなかったけど、彼らは少なくとも4,000万ポンド(約59億6800万円)は稼いだだろうね。実は、彼らがあんなに大物だったなんて、当時は知らなかったんだ。もちろん、ビートルズの名前は聞いたことがあったけど、あのレコードが発売された時も、あんなに大ヒットするなんて思いもしなかったよ」

ヒューソンは、女優のジェーン・アッシャーの兄であるピーター・アッシャーとジャズ・トリオを結成し、ジェーンとマッカートニーが恋人同士だったことから、ポールと出会いました。
 
「リハーサルでピーターの家に行ったら、そこにポールがいたんだ。ウェールズのフォークシンガー、メリー・ホプキンを発掘したのがポールで、彼はメリーとレコードを作りたがっていたけど、いつものルートを通じて普通のアレンジャーを使いたくなかったんだ。そしたらピーターが、リチャードなら編曲できるかもしれないからトライしてみたら?って、ポールに言ったのさ。でも、僕はジャズマ ンだし、ポップ・ミュージックの知識もなければ、好きでもなかった。ダスティ・スプリングフィールドって、カウボーイだと思っていたくらいだからね」

だが、当時のマネージャーだったアラン・クレインが、「Let It Be」には更なるアレンジが必要だと判断し、ヒューソンにポールがアレンジを拒否した楽曲の編曲を依頼したのですが、ヒューソンはそれがポールとの論争の火種になったと語っています。

 「クレインがフィル・スペクターを起用したんだけど、“The Long and Winding Road”に大規模なオーケストラを入れたいと言い出したのがフィルでね。最初はピアノとベースだけで演奏していたけど、フィルが“くだらない!”と言って却下したんだ。フィルは、ジョンがこの曲をやりたくないから、わざと台無しにしたと思ったのさ」

スペクターは、20人のヴァイオリニストにハープとコーラスを入れたがっていたそうですが、マッカートニーは、このシングルが発売されるまで何も知らなかったようです。

その後ヒューソンは、クリス・レア、ダイアナ・ロス、ハービー・ハンコックらとのコラボも手掛けましたが、ポールのみならずプロデューサーのジョージ・マーティンともトラブルになり、実際マッカートニーは、ヒューソンにウイングスの仕事を依頼するまでの1年間、連絡を絶っていたそうです。

「ポールはほとぼりが冷めたから連絡してきたんだろうね。それに、結局あの曲は大ヒットしたし、ポールはオーケストラとツアーしたんだから、それほど悪い結果じゃなかったと思うよ」

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