1984年7月27日、映画『パープル・レイン』全米公開。そのタイトル曲の秘話とは?

プリンス畢生の大傑作「パープル・レイン」、この曲で彼の名は音楽史に刻まれたと言っていいでしょう。
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〈以下、メイカー・インフォメーションより〉

1984年7月27日、映画『パープル・レイン』が全米で公開となりました。プリンスの人気を決定づけた映画『パープル・レイン』のタイトル曲がどのように誕生したかを、名著『プリンスとパープル・レイン』の中でアラン・ライトが解き明かしている。以下はその著作の抜粋である。

プリンスが映画『パープル・レイン』を作ろうと思ったのは、あるロックスターのツアー公演を見たのきっかけだ。ちなみにそのスターとはマイケル・ジャクソンではない。プリンスとマイケルはライバルだという話が長年にわたってでっち上げられてきたが、プリンスの周囲の人々は、彼の競争心はたったひとりのアーティストをライバル視するほど小さくなかったと証言する(「マイケルは倒すべき最強の敵じゃなかった—ライバルは皆だったわ」とウェンディ。リサは笑って付け加える。「世界を敵に回してるのはプリンス自身だったからね」)。彼は音楽雑誌やファッション誌を読み漁った。少しでも心を引かれ、吸収できそうなものを持っている人や物を追いかけた。

プリンスは『1999』ツアー中、中部アメリカのアリーナで行われたボブ・シーガーの公演に何度も足を運ぶ。ある夜、彼はマット・フィンクに、デトロイト出身で誇り高い労働者階級のロッカーが、どうしてこんなに人々を魅了するのか尋ねたという。フィンクは、骨太で心に響くバラードのせいだと答えた。「We’ve Got Tonight(愛・ひととき)」「Turn the Page」などをファンは愛しているから、プリンスもポップ界を征服したいなら、ああいうアンセムを書かなければならない、と。(2004年、プリンスとシーガーが揃ってロックの殿堂入りを果たした時、プリンスは「僕らはふたりともアメリカ中西部出身」で、シーガーからは「音楽の世界に入った頃、すごく影響を受けた。特に作曲面でね」と述べた)。

82年12月、シンシナティのリバーフロント・コロシアム公演のサウンドチェック中、プリンスは新曲のバラードのコードをバンド・メンバーに聞かせる。「プリンスが現れたのよ、あのアイデアを持ってね」とウェンディ。「彼ははっきり言ったわ。『僕はこいつを形にしたい。これじゃなきゃだめだし、このテンポでなくちゃいけない』。そしてあるキーを弾いたから、皆がジャムを始めて、そこからオープニングのコード進行が生まれていった。すごく自然にね」。これが「Purple Rain」の誕生した瞬間だ。ただし歌詞が出来て、曲名が決まり、それを映画のタイトルにするというアイデアが生まれるのは、何ヵ月も先のことになる。

ウェンディはプリンスがバンドに弾いてみせたコードを展開し、繋留和音(サスフォー)を加えた。リスナーが理解できるような構造かどうかはともかく、サウンドは前衛的だった。「当時、ああいうことをやってるスーパー・ポップ・バンドはほとんどなかった」とウェンディ。「つまり、あんなに斬新なハーモニーを使うってこと。例外は[ポリスの]アンディ・サマーズぐらいだったわね」

「ウェンディがコードをカントリーっぽい感じからどんどん離していって、プリンスはそれがすごく気に入ったの」とリサ。「そのうちバンドのメンバー全員がちょっと曲調を変え始めた。でも私がコーラスに高いハーモニーを入れたら、プリンスが『リサが曲を古き良きアメリカのカントリー・ミュージックに戻してるぞ』って言って。実際、あの曲にはクラシックなパワー・バラードみたいな感じがあったわね。プリンスはそこが、83年にジャーニーがヒットさせた「Faithfully(時への誓い)」に似てるって気づいたんだけど」。一説によればプリンスは、〝曲が似ている〟とあとでクレームをつけられないために、ジャーニーのキーボードで「Faithfully」を作曲したジョナサン・ケインに電話をかけ、受話器越しに「Purple Rain」の初期ヴァージョンを聞かせたという。

「バンドがもらったのはコード進行だけだから、結局皆が自分のパートをほとんど作ることになってね」とマット・フィンク。「初めてあの曲をジャムった時、俺はピアノであるラインを弾いた。プリンスが最後にファルセットで歌う、クライマックスの部分—あれは俺のアイデアから生まれたんだよ。偶然思いついたんだけど、プリンスはそいつをすぐ採用して歌ったんだ」

「それから「Purple Rain」にはコーダの部分があるだろ、俺がちょっとしたピアノのリフを弾くところ。あれが出来たのはほとんどリサのおかげなんだ。彼女がご自慢のトリックを見せてくれたんだよ。左手である旋律を弾きながら、右手でまったく別の旋律を弾く。対位法ってやつさ。それが奇妙なリズムの効果を生むって彼女は知ってた。だから『そいつはすごくクールだな—やり方を教えてくれ』って頼んでみたら、ほんとにその旋律の弾き方を教えてくれたんだ」

曲がまとまると、プリンスは歌詞を書くために新しい友人の力を借りようとする。あこがれのバンド、フリートウッド・マックの魅力的なヴォーカル、スティーヴィー・ニックスだ。少し前からソロ・プロジェクトに取り組んでいた彼女は、プリンスに電話をかけてきて、「Little Red Corvette」に合わせてハミングしながら新曲を書いた、作曲クレジットはプリンスにするつもりだ、セッションにも参加してほしい、と話した。電話を切って1時間後、プリンスはロサンゼルスのスタジオに到着する。完成した曲「Stand Back(スタンド・バック)」は大ヒットした。このあとプリンスは、いつか一緒に曲を作りましょうとスティーヴィー・ニックスから誘われていた。そういう経緯があったため、プリンスは完成前のこのバラードのカセットを送り、何か歌詞を書いてみてくれと頼む。

「圧倒されたわ。あの10分の曲を聞いて、とにかく怖くなってしまった」とスティーヴィー・ニックスは後年『ミネアポリス・スター・トリビューン』紙に語っている。「プリンスに電話をかけて言ったの。『できないわ。できたらいいんだけど。私には荷が重すぎる』って。引き受けなくてほんとに良かった。だって彼が歌詞を書いたからこそ「Purple Rain」になったんだもの」

その年の夏、曲の骨組みが完成して歌詞がつけられると、リハーサルの場にいた人々は、この曲が聞く者の心を激しく揺り動かすことに気づく。ウェンディとリサによれば、ある日ホームレスの女性が倉庫にふらりと入ってきて、「Purple Rain」の演奏を何時間も聞いていた。休憩になった時、外を見ると彼女はまだそこにいて涙を流していたという。

『プリンスとパープル・レイン』(DU BOOKSより発売中)

正式リリース前の「パープル・レイン」の音源が9/21に発売される『ピアノ&ア・マイクロフォン 1983』に収録されている。

【リリース】

アルバム・タイトル:ピアノ&ア・マイクロフォン 1983

9月21日 発売

WPCR-18037

フォーマット:CD、デジタル配信

¥2,400+税(CD)

<収録曲>

1)17 デイズ
2)パープル・レイン
3)ア・ケイス・オブ・ユー
4)メアリー・ドント・ユー・ウィープ
5)ストレンジ・リレーションシップ
6)インターナショナル・ラヴァー
7)ウエンズデイ
8)コールド・コーヒー&コケイン
9)ホワイ・ザ・バタフライズ

Recorded in 1983 at Prince’s Kiowa Trail home studio in Chanhassen, MN
Engineered by Don Batts

 
デラックス・エディション(CD+LP)には12インチ・サイズのブックレットが収録され、これにはプリンスの当時エンジニアだったドン・バッツによって書かれた新たなライナーノーツや今までに公開されたことのないものを含むプリンスのスナップ写真が収録されている。

デジタルでアルバムをプレオーダーしたファンは直ちに「メアリー・ドント・ユー・ウィープ」を入手することが出来る。


同時発売

アルバム・タイトル:ピアノ&ア・マイクロフォン 1983:デラックス・エディション

WPZR-30796/97

フォーマット:CD+LP(輸入盤国内仕様、完全生産限定盤)

¥5,000+税

<収録曲>

CD,LPともに通常盤のCDと同様。

 
アルバムの購入はこちら

 
好評発売中

アルバム・タイトル:パープル・レイン DELUXE
WPCR-17821/22
¥3,400+税
 
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