村井康司×大友良英×池上信次 鼎談

「生誕100年、チャーリー・パーカーが2020年に遺したもの」トークイベント・レポート〈前編〉

『バード  チャーリー・パーカーの人生と音楽』
チャック・ヘディックス 著、川嶋文丸 訳
写真左より村井康司さん、大友良英さん、池上信次さん
 

日時/会場:2020年12月17日(木)/下北沢 本屋B&B
出演:池上信次(編集者)・大友良英(音楽家)・村井康司(音楽評論家・編集者)五十音順

故チャーリー・パーカーの生誕100周年を記念した最新評伝の邦訳『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』刊行を記念して、編集者の池上信次さんをホスト役に、音楽家の大友良英さんと音楽評論家・編集者の村井康司さんを迎えたトークイベントが、2020年12月17日(木)下北沢 本屋B&Bにて開催された。当日は蓄音機でパーカーや当時のミュージシャンのSPを聴きながら〈当時のパーカーを追体験する〉スペシャルなイベントとなった。この蓄音機は池上さんが持参されたもので、かけているのは池上さんのSPレコード・コレクションから。蓄音機のモデル名は「HMV 102」、イギリス製でおそらく1940年代に製造されたものとのことです。
チャーリー・パーカーはビバップを発明した人

池上信次(以下池上):本日は『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』をテーマにチャーリー・パーカーの魅力を語り合いたいと思います。このチャーリー・パーカーの評伝の著者、チャック・ヘディックスはパーカーと同郷のカンザス州出身で、世界有数の凄いジャズのライブラリーがあるミズーリ大学カンザスシティ校のキュレイターでもあるんです。同郷ですから地元の古い記録を調べたり、パーカーの友人、同級生に直接取材をすることで謎の多かったカンザス時代のパーカーの歴史をかなり明らかにしています。では、まず最初にお二人にチャーリー・パーカーとの出会いを伺おうと思います。
大友良英(以下大友):高校一年か二年の頃ロックをやりたくて、ギター・アンプを触れるな……とジャズ研に入ったのがきっかけ。ジャズなんか興味はなかったんですけど先輩の家でチャーリー・パーカーを聞かされたんです。本当に申し訳ないんですけど最初の印象は最悪で、拷問でした(笑)。ギターがあまり出てこなかったので。その時色々聞かされた中で僕が反応したのはエリック・ドルフィー。ドルフィーはすでにパーカーの進化系で、僕はいきなりフリー(ジャズ)の方向に向いちゃったんです。後々パーカーの凄さがわかってきて、むしろ今、ですかね。
村井康司(以下村井):僕は、高校の頃からジャズ喫茶には行ってたんですけど、なぜかチャーリー・パーカーを聴いた記憶があまりないんです。パーカーって同じ曲のテイク違いがたくさんあって、途中で終わってしまうものもあるから、あまりジャズ喫茶でかからなかったのかも。大学の頃、油井正一さんがFM東京(現TOKYO FM)でやってらした『アスペクト・イン・ジャズ』でチャーリー・パーカー特集があって、油井さんが解説していい演奏しかかからないから、それをエアチェックして何度も何度も聴いてました。当時はジャズ研にいたのでパーカーの「ビリーズ・バウンス」のソロのワン・コーラス目だったらコピーできるかなとやってみたり。
大友:俺もやりました(笑)。
村井:ビバップ的なフレーズはこうやるんだ──と、それ以来パーカーってカッコいいなと思ったんですけど、ジャズ喫茶ではかからない。今はどうなんだろう。四谷のいーぐるでも、オーナーの後藤さんは「パーカーが一番好きだ」って言ってるわりにかからない(笑)。
大友:ジャズ喫茶ってオーディオが自慢の店が多いから、パーカーの録音って今の基準で言うとハイファイではないし、それもあるんだと思いますよ。
村井:今日はSPで最高のパーカーの音を聴いていただこうと思うんですけど、LPになったサヴォイの録音とかは音がよくなかったからかもしれないね。
池上:ま、古い時代のものは音はあまりよくないというのは当然で。でも、チャーリー・パーカーはカッコいいものという認識で。
村井:カッコいいというか、ビバップ自体が、ロックの方からみればあの音はどうやっているのかは謎だったんです。
池上:今、ビバップの話になりましたけど、チャーリー・パーカーはビバップを発明した人──と言っていいんですか?
大友:たぶん、それでいいと思います。
池上:それが、その後世界的に大きな流れになっていくんですが。
大友:聴いてみる? ビバップとビバップじゃないものを。
村井:チャーリー・パーカーを聴くと、音としての違いがわかりますね。
大友:論より証拠で、この手巻きのSP蓄音機、凄くいい音がするんです。
村井:じゃ最初に、ビバップ以前で、カウント・ベイシー・オーケストラの「オー・レディ・ビー・グッド」を。
大友:カウント・ベイシーを蓄音機で聴くのも初めてかも。
村井:ドキドキしますよね。

♫ M1「オー・レディ・ビー・グッド」カウント・ベイシー・オーケストラ

大友:思わず拍手したくなる、いい音ですね。
池上:1939年の録音でした。
村井:ビバップ以前のスウィング・ジャズ。じゃあ次は、さっきも話に出ましたパーカーの「ビリーズ・バウンス」を、これは1945年の録音。
大友:SPは一回聴く毎に針を替えないとレコードがダメになっちゃうんです。
池上:で、一回毎にゼンマイを巻かなければいけないので、ちょっとお待ちください。
村井:片面3分の演奏を聴くのに、準備に3分かかる。
大友:当時は生演奏以外はこうして聴いていた人がずいぶんいたってことですよね。SPで聴くかラジオで聴くか、あと、電気式のもあったけど。
池上:電気式のプレーヤーも出ていました。お待たせしました、ではチャーリー・パーカーの「ビリーズ・バウンス」を。

♫ M2「ビリーズ・バウンス」チャーリー・パーカー

池上:「ビリーズ・バウンス」チャーリー・パーカーでした。
大友:違いがわかるかな、どっちも古いジャズって言われそう。
村井:ま、1939年と1945年の差なので、2016年と2020年がどう違うかってことですけど、まぁカウント・ベイシーもサックスのアドリブ・ソロがあるけど人が鼻歌を歌う時に自然に出てくるようなメロディで、チャーリー・パーカーは人が歌うときには出てこない複雑なフレーズがたくさん出てくるのが違いかな。
池上:理論的に組み立てられたフレーズ。

チャーリー・パーカーはバッハとモーツァルトが一緒になったような人
村井:今日たまたま大友さんが私と同じ本を持っていて、濱瀬元彦さんの『チャーリー・パーカーの技法──インプロヴィゼーションの構造分析』(岩波書店、2013年刊)。
大友:チャーリー・パーカーを理屈で理解するにはこの本を読めばいいなと。でもめっちゃ難しい本。音楽をやってなかったり音楽理論を知らない人が読むとチンプンカンプンな本で、かなり丁寧に読まないと理解できないし、理解したからといってできるもんじゃないんですけど、和声的な意味でチャーリー・パーカーを分析しています。チャーリー・パーカーの何が新しかったのかを理屈ではわかるんだけど、なぜチャーリー・パーカーが突然あそこに行ったのかはわからないし、凄いことなんですよね。本人はどこまで理屈で考えたかはわからないけど、当時のいろんな人のインタヴューを読むと理論でちゃんと言えたみたいですから、あの破天荒で無茶苦茶な人が。
村井:音楽の歴史って、時々絶妙なタイミングで絶妙な人が出てくることがたまにあるんです。チャーリー・パーカーという人はバッハとモーツァルトが一緒になったような人で、音楽は非常に精緻に組み立てられているんだけどそれ自体は堅苦しくない、生き方も奔放というか破天荒で。だから頭の中で非常に緻密に考えてきた部分と、理屈じゃなくて感覚的な部分が矛盾せずにいきなり出てきた……のが凄い。
池上:出てきた──ということをいえば、チャーリー・パーカーはカンザスシティで生まれ、十代でそこそこ知られるサックス奏者になるんですけど、そこには禁酒法時代にもかかわらずお酒と音楽があり、ジャズが盛り上がっていた。そこで出てきたことが関係あると。
大友:カンザスシティがどういう街かっていう背景もこの本には丁寧に書かれていて、同じ都市の中で州が二つに分かれていて、片や禁酒法、もう一方は荒くれたお酒の街……という描き方も絶妙で、なるほどね──と思いながら読んでました。
池上:音楽だけを考えると突然凄い人が現れた──っていう感じなんですけど、背景を見てみるとそういう人が出てきてもおかしくない。
村井:カンザスシティに行けば禁酒法下でもお酒が飲める……というのでお客さんが増える。当然需要が多いから全米から腕に覚えのあるミュージシャンが集まってきて切磋琢磨している。小さい頃からその状況を見て育っていたから。
池上:十代で新しい形のものを見つけて、その後ニューヨークに行くわけですけども、最初からそのスタイルは出来上がっていたんですよね。
大友:一番最初のソロとバンドの音源があるんですけど、もう出来上がってますよね。この『バード』を読むと、カウント・ベイシーのバンドとのセッションで吹くんですけど、あまりにヘボ過ぎてジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられる。でもその直後くらいからどんどん凄くなっていく。カウント・ベイシーよりチャーリー・パーカーの方が優れている……みたいに聞こえるとまずいんですけど、ベイシーはベイシーで本当に凄くて、ある音楽の完成形だと思うんです。それに対して全然違うものをパーカーは出していった。理論的に技術的に──ということもあるんですけど、なによりも〈概念〉だと僕は思っています。アドリブだけで音楽は成立する──ということを打ち出したほぼ最初の人なんです。それまでは、アドリブは重要だけど、曲はテーマがあって、踊らせて──だったのに、チャーリー・パーカーは〈コードという基本があったら、その中で自由にアドリブをやれば面白いことが起こる──〉ということを最初に言い出した凄くヘンな人。
村井:チャーリー・パーカーは曲のタイトルも意味がないじゃないですか。
大友:それで何かを表現しよう──というのではなくて。
村井:ある意味抽象的な純粋音楽。嬉しいとか悲しいとかではない。

チャーリー・パーカーが出た後にはみんなビバップになっちゃった

大友:先日アルバート・アイラーの本を出す関係でインタヴューを受けたんですけど、アイラーってジャズの中ではフリーク的な扱いを受けているけど、アイラーの方が音楽史的には普通だと思うんです。チャーリー・パーカーこそ巨大な人類史の中では相当フリーク的というか、単にジャズの中だけじゃなくものすごいヘンなことを突然やりだした人だと、僕は思ってるんですけど。
池上:パーカーが出た後にはみんなビバップになっちゃった。
大友:カッコよく聞こえたんだよね、多分。
池上:わかりやすいのは、カッコいいアルト・サックスの人がいたらそれを真似するアルト・サックスの人はいるんですけど、ピアニストもテナー・サックスもトランペットもみんなビバップになる。そういうのはジャズの中で、その後も前もないんじゃないですか。
大友:チャーリー・パーカーの盟友であるディジー・ガレスピーもパーカーと出会うまでの録音は全然ビバップじゃないのに、出会ってすぐにパーカーのコンセプトを我が物にしてそれ以上にしたと思うんです、そしてみんな凄い勢いでビバップになっていく。「これはどうやってやってるんだろう?」って勉強会とか開いてたみたいですよね。で、凄く残念なことに、その発展途上の時期にアメリカの録音関係の人たちがストをしていたせいで、その時期の録音が残ってないんです。ビバップってセッションのときにヘボい奴がくるとそいつを追い出すために凄く難しいコードにしたり早く演奏したりしたのは事実なんだろうけど、そのおかげでオリンピック級のアスリートみたいな人ばっかりが出てきちゃった。これは菊地成孔が言った名言だと思うけど、「チャーリー・パーカーは山のように挫折者を作った」って。その挫折者の中で最も凄いのはオーネット・コールマン。初期はパーカーをやろうとして、結局全然違うものを出してきた。
村井:ビバップって深夜に小さい場所でみんなで演って、例えば『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』(41年)とかは今聴くとチャーリー・クリスチャンは完全なビバップじゃなくて、片足を突っ込んでいるくらい。でもチャーリー・パーカーは42〜43年頃の録音を聴くとバリバリのビバップで、そのチャーリー・パーカーとチャーリー・クリスチャンの間に凄く大きな溝があるように思えるんです。だからこの人が突然変異的にいきなり始めてしまったものが、それから数年経つとチャーリー・パーカーみたいになりたいという後続の人がたくさん出てくる。でも一方でパーカーみたいになりたいからといってドラッグやってダメになっていく人もたくさんいて。
大友:パーカーは異常に体力のある人でドラッグなんか物ともせずにやってたんだと思うんです。普通の人があんなにやったら死んじゃいますよね。
池上:この本でドラッグに関しては新しい発見があって、交通事故に遭ったパーカーがその治療で使われたヘロインで味をしめた──のがきっかけだったそうなんです。ま、それはさておき、後続の人が挫折するような──という演奏はどういうものだったかを。
大友:聴きましょう、聴きましょう。
池上:チャーリー・パーカーの「ココ」。
村井:これはスタンダードの「チェロキー」のコード進行を使って、「チェロキー」のテーマは吹かないでいきなりアドリブに入ります。
大友:ドキドキしますね。

♫ M3「ココ」チャーリー・パーカー

大友:凄いですね、当時音楽をやっていた若い人たちは憧れると思いますよ。
池上:今でいうと、ロック・ギタリストの早弾きみたいな感じで。
大友:ロック・ミュージシャンの早弾きってこれ見よがしなエンターテインメント感があるんだけど、チャーリー・パーカーは残された数少ない映像を見ても淡々と吹いているんですよ、そこもクールでカッコよかったのかな。
村井:当時クラブで目の当たりにしたら、これをやりたい!って思うよね、きっと。
大友:その前のカウント・ベイシーはダンス・ミュージックで、大人たちはそれを聴きながら踊ってるわけですよ、そこにこういう〈ダンスなんかさせない〉って勢いで吹いたら、今でいえばノイズとかと近い、そういう衝撃だったんじゃないかと勝手に思ってます。このSP盤って片面一曲じゃないですか、それも3〜4分で。そこであまりテーマらしいテーマも出てこなくて、ただずっとアドリブをやってるのは前衛というか、当時としてはかなり行き切ってると。だからその後出てくるフリー・ジャズとかは明らかにパーカーが扉を開いたからで、そこからフリー・ジャズとかヨーロッパのインプロヴィゼイション・ミュージックが出てきた──と僕は思ってます。フリー・ジャズとパーカーは技術的に、理屈的に全然違うんですけど、パーカーがそれまでの音楽に対して出してきたインパクトを受け継いでいる感じはします。僕、フリー・ジャズの味方ですから(笑)。
村井:今、話にあがった中では、エリック・ドルフィーは完全にチャーリー・パーカーですよね。
大友:エリック・ドルフィーは恐ろしいくらいチャーリー・パーカー・メソッドをさらに進めて、まったく適当には吹いてないんですよ。今日はかけないですけど、あれこそビバップの行き着く先、極みだと思う。それと、オーネット・コールマンみたいに謎の進化を遂げちゃった人たちが一緒に60年代はずらずらといるわけで。その歴史の最初を切り開いたのがチャーリー・パーカー。前衛とか黒人解放とか一切言わずに、ニヤニヤとドラッグをやっていっぱい食べながら吹きまくっただけなのに、そういうシンボリックな存在になっていって。そのあり方もカッコいい。
池上:そういう色んな魅力がある人だからこそ、ああいう音楽を残してこういった評伝もできて。
大友:でもこの本を読むと、魅力もあるけど近くにいたら凄ぇイヤじゃないですか(笑)。人の家に来てずーっと居着いて、靴のまま寝て、人の楽器を勝手に質に入れて、本当にひどいよね(笑)。
池上:若い人には「お前は絶対ドラッグをやるな」って言って。
村井:パーカーは「俺のやることをやるな、俺の言うことをやれ」って言ってます。自分でよく知ってるから、「生活態度は絶対真似するな」と。
大友:超説得力のない(笑)。マイルスが一時期パーカーと一緒に暮らしていて、マイルスはチャーリー・パーカーが大好きで、小僧っ子のようにくっついて、チャーリー・パーカー・メソッドを彼なりの形でやったけど、ガレスピーみたいには吹けなかったことで、あのマイルスの音が生まれたような気がして。で、繋げるみたいですけどちょうどマイルスの「ドナ・リー」があるので。
池上:聴いてみましょう。準備の間に曲の説明をお願いします。
村井:じゃ、次にマイルス・デイヴィスの「ドナ・リー」を。作曲はマイルス・デイヴィスですけど、曲の感じは完全にチャーリー・パーカーのアドリブをそのままテーマにしたような。
大友:マイルスは、チャーリー・パーカー・コンセプトで、このコード進行でやるとこうなる──というのをテーマにしたような気がします。
村井:凄いカッコいいテーマなので、その後カッコいいアドリブを吹くのは大変だったと思います。
池上:後にジャコ・パストリアスも弾いてますね。
村井:ビバップのアイコンみたいなもの。

♫ M4「ドナ・リー」マイルス・デイヴィス 

ビバップの誕生には録音技術の進化が関わっている…
大友:これぞビバップという感じの演奏ですよね。当時みんなこういうSPの蓄音機で聴いてたんですよね。
池上:電気式のプレーヤーはありましたけど、まだまだこういった蓄音機が多かったですね。
大友:これは勝手に言ってる僕の仮説なんですけど、チャーリー・パーカーが生まれたのが1920年。ちょうどジャズが生まれて、こういったSP蓄音機が出始めた頃なので、録音でジャズを聴く最初のネイティヴがチャーリー・パーカーたちの世代なんじゃないかと思ってるんです。子供の頃から繰り返して聴くことができたからこんな風に発展した──と。音楽ってそんなに簡単には進化していかないと思うんですよ。西欧の音楽がどんどんスタイルが変わっていったのは、譜面に残せて譜面を分析できたからだと思うんです。おそらくジャズの場合は録音が残ったおかげでアドリブが分析できた。チャーリー・パーカーには実際、回転数を落とした蓄音機でアドリブをコピーしたという話もあるので。
村井:アメリカでラジオ局ができたのが同じく1920年で、それまでは演奏を聴きに行く音楽だった。
大友:もちろん曲をやってるわけだから、同じ曲は再現できるじゃないですか。でも目の前でやられている音楽では、アドリブは二度と同じものは出てこない。でもコールマン・ホーキンスやレスター・ヤングとかのアドリブが繰り返し聴けるとなったら、多分人はそれを分析しだすから。おそらくビバップの誕生には録音技術の進化が関わってると僕は思うんです。チャーリー・パーカーは数学的な天才とも言われてるから繰り返し聴いて、コード、ハーモニーを数学的に分析して、一つのハーモニーからいくつものハーモニーを導き出して繋げていくという理屈が成り立ったんじゃないかな。
村井:濱瀬元彦さんの本でも、パーカーはコールマン・ホーキンスやチュー・ベリー、レスター・ヤングとかのアドリブの中で自分がすごく好きな場所を徹底的にコピーして、そのフレーズを自分のアドリブの中に入れた──とあるんです。つまり前の世代の人が偶然かどうかビバップ的な音使いをしたところを何度も聴いて、吹けるようにしている、と。
池上:それに加えて、ディスク・レコーダーが開発されて、録音を自分でできる最初の世代でもあるんです。パーカーが40年に録音した盤が残ってますから。
大友:直接レコード盤に録音するんですよね。
村井:そんな時代にそんなことができたんだ……って逆にびっくりしますけど。
大友:近代テクノロジーを使って、アドリブを聴いて分析して録音して。これが最初かどうかわからないけど、ここまで大胆に取り入れて自分のものにした最初の人がチャーリー・パーカーなんじゃないか──。
池上:それは新しい発見ですね。
大友:おおっ、俺、根気があればこれで一冊本を出せるんだけど(笑)。証拠を掴むのは難しいでしょうね、ただ想像と時代背景から考えると、そうであろうと。
池上:チャーリー・パーカーがビバップを作った、というのがジャズ史の中では一番大きなわかりやすい功績だと思うんですね。ビバップというのが感じられれば、チャーリー・パーカーがどれだけ凄かったのかがわかると思うんです。パーカー以降はみんなビバップになっちゃって今に至ってる。
大友:今、ジャズって言われるものはほぼチャーリー・パーカー・メソッドみたいな──全部じゃないですけどね。
池上:では少し休憩をして、第二部は〈今に至る──〉辺りのお話を。

続きの第二部は、1月12日(火)に公開いたします。お楽しみに!
「バード    チャーリー・パーカーの人生と音楽」

バード チャーリー・パーカーの人生と音楽

チャック・ヘディックス 著、川嶋文丸 訳
四六判/368ページ


¥ 2,750 (本体 2,500+税)
 
生誕100年記念刊行! 生地カンザスでの徹底した取材と調査から今、明らかにされる数々の新事実。“バード” 真実の姿がここに。

モダン・ジャズの創造者の最新評伝が、待望の邦訳で登場! 日本語版のみの貴重写真も掲載!

(訳者あとがきより)本書の特徴は、膨大な資料を調査、検証し、新たな視点でパーカーの歩んだ道が再構成されている点にある。
(中略)彼が通った小学校、バードというニックネームの由来、麻薬に惑溺するきっかけなど、さまざまな事柄について通説を否定する新事実が披露されているのも興味深い。街の風景や登場する人物などの具体的な描写、主観を排した語り口で紹介されるさまざまなエピソードが、全体のストーリーに真実味を与えており、音楽に生き、麻薬と格闘し、女性を愛したパーカーの奔放不羈の人生が、生き生きしたイメージとともに浮かび上がる。

【CONTENTS】
序文/カンザスシティ・ブルース/バスターズ・チューン/フーティ・ブルース/ビバップ/リラクシン・アット・カマリロ/デューイ・スクエア/パーカーズ・ムード
この記事についてのコメントコメントを投稿

この記事へのコメントはまだありません

ページをめくるとジャズが聞こえる 村井康司《ジャズと文学》の評論集

ページをめくるとジャズが聞こえる 村井康司《ジャズと文学》の評論集

2,200円
ジャズ音楽の鑑賞 復刻版 日本初のジャズ評論集

ジャズ音楽の鑑賞 復刻版 日本初のジャズ評論集

2,640円
100年のジャズを聴く

100年のジャズを聴く

2,200円
伝説のライヴ・イン・ジャパン 記憶と記録でひもとくジャズ史

伝説のライヴ・イン・ジャパン 記憶と記録でひもとくジャズ史

3,080円

RELATED POSTS

関連記事

LATEST POSTS

最新記事

ページトップ