ボニーMを創設したプロデューサー、フランク・ファリアンが82歳で死去

ボニーMやミリ・ヴァニリを創設した独レコード・プロデューサー/シンガー/ソングライターのフランク・ファリアン(Frank Farian)が1月23日、マイアミの自宅にて82歳で死去しました。

BBCニュースが訃報を伝えており、死因は発表されていませんが、ファリアンは2022年に心臓弁の移植を受けていたそうです。
1941年にドイツ西部のキルンで生まれたファリアンは、60年代にソロ・ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせ、70年代前半に海外のシンガーとダンサーをフィーチャーしたディスコ・グループ、ボニーM(Boney M)のアイディアを思い付きました。

1976年に創設されたボニーMは、同年の「Daddy Cool」や1977年の「Ma Baker」、1978年の「Rasputin」(邦題「怪僧ラスプーチン」)、1978年の「Rivers of Babylon」(邦題「バビロンの河」)などが世界的にヒットし、グループのメイン・ソングライターを務めていたファリアンは、スタジオで男声パートのヴォーカルも担当していました。

その後、ミート・ローフ1986年のアルバム『Blind Before I Stop』をプロデュースしたファリアンは、1988年に独ポップ・デュオのミリ・ヴァニリをプロデュースしましたが、ミリ・ヴァニリのヒット曲のヴォーカルが口パクだったことが発覚し、大きなスキャンダルになりました。

ミリ・ヴァニリのファブリス・モーヴァンは、「プロデューサーに騙された。僕らはシンガーとして契約したが、一度も貢献させてもらえなかった。あれは悪夢で、僕らは嘘をついて生きていた」と語り、翌年ファリアンは、ミリ・ヴァニリのレコーディングにスタジオ・シンガーを雇ったことを認め、ミリ・ヴァニリは受賞していたグラミー賞の最優秀新人賞を剥奪されてしまいました。

なお、“ミスター・ジャーマン・ヒット” と称されたファリアンは、マイケル・ジャクソン1991年のアルバム『Dangerous』のプロデュースを依頼されたものの、ボニーMの仕事を理由にオファーを断り、その後スティーヴィー・ワンダーや、テレンス・トレント・ダービー、ダンス・デュオのラ・ブーシュ(La Bouche)らを手掛けました。

ラ・ブーシュ1995年のシングル「Be My Lover」は、ドイツ、イタリア、オランダ、スイスのチャートで第1位を獲得し、史上最も成功したドイツのポップ・プロデューサーは、世界中で8億枚以上のレコードを売り上げています。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
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