6月29日(土)、30日(日)東京・六本木 ABBEY ROAD Tokyo

「In Memorial The Beatles live in Japan Vol.2〜Vol.4」イベントレポート

ビートルズによる最初で最後の来日公演が行なわれた1966年から58年が経った2024年6月29日(土)、30日(日)に、ビートルズ研究家・藤本国彦さんがナビゲートする「In Memorial The Beatles live in Japan Vol.2〜Vol.4」が、六本木のライヴハウスABBEY ROAD Tokyoにて開催された。
66年6月29日早朝にビートルズ来日、翌30日がコンサート初日というメモリアルな日程でのイベント、それぞれVol.2 音楽評論家・湯川れい子さん、Vol.3 ミュージシャンChageさん、Vol.4 音楽プロデューサー・髙嶋弘之さんをゲストに迎え開催。ビートルズ・トリビュートバンド、The Parrots、The Mayfairがゲストに合わせ、それぞれ趣向を凝らした内容のステージで彩りを添えた。

Vol.2 音楽評論家・湯川れい子さん

初日6月29日(土)昼の部には湯川さんが登壇。ビートルズ来日取材時のエピソードや、来日騒動を取り巻く当時の世情、また現在公開中の映画「ジョン・レノン 失われた週末」に関してなどの秘話などが披露された。
当時、週刊読売のビートルズ来日特集号の編集長を務めていた湯川さん、厳重な警備によりなかなかメンバーに接することが叶わなかった。そして最後の最後、ビートルズを招聘した協同企画・永島達司さんの妙案〈日本武道館の腕章をビートルズが欲しがっているということにして、それを届けにいく〉により湯川さんはメンバーの部屋に入ることができた。
メンバーの印象については、「私が入って待っていた部屋のとなりの部屋で食事をしていたポールが、衝立を開けて私の部屋に飛び出して来て、『君はどこから入ってきたの?』って大きな瞳を丸くして驚いてましたね、ジョン・レノンは長いソファーの端に座ってそっぽを向いていて、意地が悪かった」

『ジョン・レノン 失われた週末』は73年秋〜75年初めまでジョンとヨーコが別居し、その間秘書だったメイ・パンがジョンとロスで暮らしていたエピソードが描かれている。のちジョンとヨーコは復縁するが、湯川さんの元には75年2月にヨーコから電報が入った。そこには ”John is back  love” の文字が。
「短い電文の中に気持ちが詰まっていて、私は泣いてしまいました」と湯川さんは述懐した。

後半はThe Parrotsの演奏。48年前の武道館を思い起こさせるようにいきなり「Rock and Roll Music」からスタート。その後も武道館ライヴのメニューで当時の空気を再現。2時間に及ぶイベントを締めくくった。

Vol.3 ミュージシャン・Chageさん

6月30日は記念すべきビートルズ公演初日。昼の部のトーク・ゲストはミュージシャンのChageさんが登壇。トークを挟んだ2回のライヴ・パートはThe Mayfairが担当。ライヴ・パート前半は日本公演の再現、全11曲が演奏された。

ビートルズマニアを公言するChageさん、初めて彼らの音楽に接したきっかけは親戚の伯父さんだった。
「小学校2〜3年の頃一回り上の伯父さんがまさにビートルズに心を撃ち抜かれた人で、ジョン・レノン・パートのギターも歌も上手かった。ビートルズのレコードをかけてくれて、『いいか。この4人が世界を変えるからな』って言ってたのをすごく覚えてます」
伯父さんは日本公演も観戦、最終日7月2日のチケットを大切に部屋に飾っていた。1979年Chageさんがプロとしてデビューした時に、 『お前がお守りとして持っておけ』とそのチケットを渡してくれた。今でも部屋に飾って創作活動で煮詰まった時などに眺めている。
「最初に武道館のステージに立った時、伯父さんがビートルズを観た席はどのあたりかな?と探した。ステージ袖の天井に近い2階席、ちょっと見切れてる辺りだった。僕は、〈武道館でライヴをする〉というのは本当に嬉しかった、憧れの音楽家の聖地、だから伯父さんには本当に感謝しました、その頃は病気でご報告できなかったのが心残りです」

映画に関しても伯父さんから教わった。小学生の時連れて行かれた『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!(HARD DAYS NIGHT)』で、伯父さんは人が変わったようにスクリーンに釘付けになっていた。Chageさんはカメラに向かって金切り声を上げ、悲鳴を上げながらメンバーを追いかける若い女性たちを観て “何なんだこの映画は!? ” と驚いたが、後年、 “この映画は最初のプロモーション・ビデオだったんだな──” と思った。
「ライヴ映像を見ると、武道館の観客の反応っておとなしい、それに比べてアメリカのシェイ・スタジアムでは絶叫で演奏も聞こえない。リンゴ・スターが前の3人の肩やお尻の動きを見てリズムを取ってたそうですが、僕らも横を向いてアイコンタクトはできないから、互いの肩や指先を見てリズムやきっかけを取ってた」
来日の話題流れでビートルズが宿泊した赤坂の東京ヒルトン・ホテル(現キャピトルホテル東急)の話に。「MULTI MAXでライヴが終わった後、知り合いのキャピトルホテル東急の方から『ビートルズが泊まった部屋に泊まりませんか?』と話をいただいた。泊まる!!!と即答し、メンバーも全員連れて行き、至福の時でした。特別なスイート・ルームでお風呂もたくさんあり、(広くて)ベッドまでたどり着けないくらいだった(笑)」
この後も話題は多岐にわたり、夏開催の「ポール・マッカートニー写真展 Eyes of the Storm」、昨年出たビートルズ赤盤・青盤のリミックスとAIの可能性の是非、作詞方法、先日レコーディングが終わった自作品まで話が及んだ。

新曲「飾りのない歌」は直木受賞作家・万城目学氏が作詞を担当7月31日から配信され、その後8月にアルバム、9月からツアーを行なうことが告知された。

ライヴ・パート後半もThe Mayfairが担当。Chageさんのリクエスト曲を交えヒット曲を演奏した。

Vol.4 音楽プロデューサー・髙嶋弘之さん

6月30日夜の部のトーク・ゲストは、ビートルズの初代担当ディレクター・髙嶋弘之さんが登壇。トークを挟んだ2回のライヴパート前半は髙嶋さんが名付けたビートルズの邦題曲をThe Mayfairが演奏。

「デビュー曲「Love Me Do」を初めて聴いた時には、こんなこと(半世紀超えのイベントで盛り上がる)になるとは夢にも思わない、ビートルズってやっぱり凄いですね」との髙嶋さんのコメントでトークはスタート。興味深すぎる内容のエピソードが次々と披露された。

◎最初の「Love Me Do」は、単にイギリスから送られてくるレコードの一枚として聴いた。ただ同時にイギリス、アメリカの音楽情報誌や音楽新聞(『メロディメーカー』や『ビルボード』)でビートルズの名前は見ていたし、朝日新聞夕刊の芸能記事に数行紹介されていたのを覚えていて、存在は認識していた。それからビートルズに注目しだして、「Please Please Me」が好きな曲だったこともあり、これはえらいことになるなと思っていた。
◎ラジオ局に探りを入れたけれど最初は無視もいいところ。TBSの女性ディレクターだけが“売れるかどうかわからないけど、私はこんな曲好き”と言ってくれた。そこで若い女性ターゲットで売ろうと決めた。でも当時の50年代ポップスのようなタイトルを付けてはいけない、というのは頭にあった。「Love Me Do」「Please Please Me」「From Me To You」「She Loves You」「I Want To Hold Your Hand」とシングルが続いた。ただ「I Want To〜」だと長過ぎる──。そこで「抱きしめたい」という邦題がフッと浮かんだ。今と違って当時の感覚では「抱きしめたい」は勢いのある言葉だった。カップリングの「This Boy」は「こいつ」。ファンの間で評判が悪いけれど(笑)、歌詞を読むと三人称的な “This Boy”=「こいつ」という表記は、実は精神的な自分のことを言っていて、いいタイトルだったと思う。翻訳として間違ってると言われる「ノルウェーの森」もいいタイトルだと思う。シタールのイントロからジョン・レノンの物憂げな声が聞こえる、僕には靄のかかったノルウェーの森しか浮かばなかった。
◎1965年に来日記念盤として出す予定だったアルバム『ベスト・オブ・ザ・ビートルズ』、EMIから許諾が下りずに幻となった。2014年にジョージ・マーティンさんに会った時に「アルバムの発売許諾を出さなかったのはあなたですか?」と尋ねたところ、「いや、当時の私にそんな力はなかった。EMIの力だね、今はもうEMIもなくなったけど──」と笑っていた。
◎好きな邦題。「恋する二人(I Should Have Known Better)」は曲のリズム感から付けた、「ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)」はどうやって付けたかは思い出せないけれど、改めて翻訳詩集を読むといい邦題だと思う。ビートルズ以外でも、クロード・チアリの「夜霧のしのび逢い」は僕。ギリシャ映画の映画音楽にクロード・チアリのギター演奏をすり替えて公開、映画もレコードも大ヒットした。
◎来日したビートルズには加山雄三さんと東芝の上司と3人で会いに行った、僕の前にはリンゴ、加山さんにはジョージ、上司にはポールが立って出迎えてくれた。ジョンは?と思ったら突然現れ、ふざけて加山さんを羽交い締めにしてそれで緊張がほぐれた。その後すぐに別室でブライアン・エプスタインと打ち合わせ会食。ビートルズとは食事ができなかったけれど、エプスタインの美意識や品格に触れることができた。ただ、織田信長の前に出た木下藤吉郎(豊臣秀吉)みたいにひれ伏していたけど──。対面後〈日本でビートルズを売り出すのにあれだけ頑張ったのに〉と煮え切らない思いの自分がいた。武道館でのコンサート開催を実現してしまうほど手が届かない大きな存在となったことで、自分の中でビートルズが遠のいて行った。自分はもうやらない!  やっている場合じゃない! と思った。
◎ビートルズは後輩の水原健二が『リボルバー』辺りから担当、『リボルバー』には邦題曲は入ってない。でも「愛こそはすべて(All You Need Is Love)」は彼が付けたし、ジョンのソロ・アルバムに『ジョンの魂』と付けたのも彼。ヨーコさんがすごく気に入って、次の『イマジン』の時にニューヨークのホテルを借り切り、3週間ジョンとヨーコと水原で過ごしてインタビューも行なった。
◎この後プロデュース作品フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの『赤ちゃんのための名曲集』(ベビー用品メーカー、テレビ番組などをからめて20万枚の大ヒット)のゴールド・ディスクなどを紹介。ここで時間となったため、また次回に──とトークは終了、場内からは大拍手が沸き起こった。

ライヴ・パート後半は今回のテーマ日本公演にちなみThe Mayfairにより「Rock and Roll Music」から始まる武道館公演が再現され、最後に「Twist And Shout」を加え2日間のイベントは終了した。
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