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【ミュージック・ライフ写真館】

去りゆく白蛇に想いを馳せて…若き日のデイヴィッド・カヴァデール

【ミュージック・ライフ写真館/ML Imagesライブラリー 撮影:長谷部 宏 pix : Koh Hasebe / ML images / Shinko Music】

時代を築いた数多くのミュージシャンがファンに別れを告げた2025年、11月13日にはデイヴィッド・カヴァデールが引退を宣言しました。確かに近年のホワイトスネイクは開店休業状態でしたが、デイヴィッド自身はいつまで経っても「ゲンキ」(デイヴィッドの口調で)。しかし、70年代中盤にディープ・パープルのブルージーな3代目シンガーとして注目され、1980年代後半からはヘヴィ・メタリックなシャウトを繰り返していた彼──あのヴォーカル・スタイルを長年続けていれば、喉への負担も相当なものだったことでしょう。しかし衰えを見せる前にダンディに去っていくというのも、デイヴィッドらしいと言えるかもしれません。

デイヴィッドと言えば、ホワイトスネイクの1987年作『Whitesnake』、すなわち『サーペンス・アルバス:白蛇の紋章』(サーペンス “アルバム” ではないのでお間違いなきよう)で全米チャートを制覇し、金髪に染めたデイヴィッドがシャウトしまくるゴージャスなメタル・バンドに変身、「俺1人でホワイトスネイク!」になってしまって後のイメージが強いものですが、ホワイトスネイクは元々ブルース・ロックを土台にした渋い職人集団。その渋いバンドを率いてセクシーに歌う、職人肌ながら色々な意味で精力的なキャラクターがデイヴィッドの売りでした。
 
今回の「ミュージック・ライフ写真館」では、そんな渋くてセクシーな若き日のデイヴィッドが堪能できる写真の数々とともに、彼のプロ・キャリア最初の10年を振り返ってみたいと思います。

1975年12月(25歳):第4期ディープ・パープルで初来日

デイヴィッド・カヴァデール(vo)
トミー・ボーリン(g, vo)
グレン・ヒューズ(b, vo)
ジョン・ロード(key)
イアン・ペイス(dr)

デイヴィッドにとって本格的プロ・キャリアの始まりだった第3期パープルは不思議なことに日本公演が組まれなかったので、彼にしてみればこの第4期パープルが初来日。セックス・シンボルとしてミュージック・ライフ読者を悶絶させることになるデイヴィッド、遂に日本上陸!…だったのですが、この頃の彼は髭を生やして、オフの時はサングラス。ちょっとヒッピー入ってます。バンドの音楽性がファンクやソウルに寄った影響でしょうか。これはこれで素敵ですが、ちょっとショック。

パープルの歴史において、曰く付きで語られるのが第4期の時代です。来日直前の公演地だったジャカルタでローディーの死亡事故など地獄のトラブルが連発し、日本に来てみればトミーがギタリストとしての本領を発揮できず(自分の腕を枕にして寝たのでまともに動かなかったというのは本人談ですが、ドラッグの影響という説が有力)、バンド内部も水面下で崩壊が進行し、翌年に解散。さらにトミーも早逝してしまうというパープル史に残る暗黒時代だったことは確かです。

次の写真は東京ヒルトンホテル(現:ザ・キャピトルホテル東急)で歓迎レセプションが行なわれた際のもの。当時のミュージック・ライフで日付を確認すると同年12月9日とのことです。8日・名古屋公演(初日)と11日・大阪公演の谷間に東京でこのパーティーがあり、その後12日に福岡でライヴ、15日に東京・日本武道館で後に『Last Concert In Japan』としてリリースされる公演を録音するわけですから、「本当にパーティーの日付合ってる?」と言いたくなるスケジューリングです。それはともかく、ハッピを着て太鼓を叩き、升酒を飲んだりと、暗黒時代の “あ” の字もない楽しそうな雰囲気。ヒッピーなデイヴィッドもお祭りムード全開です。

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今考えればとんでもなく豪華なメンツのスーパー・バンドですし、新たな音楽スタイルを試みた『Come Taste The Band』は大変な力作。こんな楽しそうな雰囲気で第4期がもっと続いてくれたらよかったのに…。

こちらは1976年2月号掲載のインタビュー。パープル加入の経緯や影響源といった、デイヴィッドの基本事項を確認しています。MLが見た彼の印象は「意外な程、真面目な好青年」だそう。他のメンバーと違ってパープル加入前はまったく無名だったこともあり、この時代はまだまだ控えめキャラな印象もありますが、真面目なのは「意外」だったんですね。ちなみに前任シンガーのイアン・ギランとは「親友」で、「2人でアルバムを出す予定も」あったのだとか。これは実現してほしかった!

1980年4月(28歳):ホワイトスネイク初来日

デイヴィッド・カヴァデール(vo)
ミッキー・ムーディー(g)
バーニー・マースデン(g)
ニール・マーレイ(b)
ジョン・ロード(key)
イアン・ペイス(dr)

パープル解散後のデイヴィッドは2枚のソロ・アルバム制作を経て、1stソロのタイトルをそのままバンド名にしたホワイトスネイクを組んで1978年に『Trouble』でアルバム・デビュー。1979年に一度来日が決まるもののキャンセルになり、2作目の『Lovehunter』を引っ提げて1980年4月にホワイトスネイクでの初来日を実現させています。パープル時代はジョン・ロードとイアン・ペイスが先輩だったわけですが、今度は逆に彼らを従え、リーダーとして堂々の凱旋です。その時の写真がこちらですが…いやーかっこいい! もはや神々しい!

1980年6月号の誌面がこちら(↓)。本誌を含めて当時のコンサート評を見ると、どれもとにかく大絶賛しているものばかりです。一度キャンセルのおあずけを喰らった反動もあるのでしょうが、なにより百戦錬磨のプレイヤー揃いのバンドが “本物” のハード・ロックを味わせてくれた喜びが大きかったはず。余談ですが、来日後に発表されたアルバム『Ready An’ Willing』の日本盤ライナーには星子誠一氏のコンサート評が載っており、「アンコール? そんなもん覚えておらん!」というほど興奮しまくった文章を見て、後追いファンの筆者も当時の熱気を追体験したものです。

パープル時代から格段にスターとしての貫禄を身につけたデイヴィッド。これが快進撃の始まりでした。

1981年6月(29歳):ホワイトスネイク2度目の来日

デイヴィッド・カヴァデール(vo)
ミッキー・ムーディー(g)
バーニー・マースデン(g)
ニール・マーレイ(b)
ジョン・ロード(key)
イアン・ペイス(dr)

ラインナップに変動なく、4作目『Come An’ Get It』をリリースした年に再来日。初期ホワイトスネイクが最も盤石だった時期だと言えます。日本でもゴールドディスクを獲得し、当時のポリドール・レコードから進呈されている写真が残っています。

そして銀座を散策するデイヴィッドとニールを追跡するミュージック・ライフ。山野楽器の店頭には特大のホワイトスネイク・パネルが。

ちなみにこちらは1981年9月号に掲載されたデイヴィッドのギャラリー、その未使用カットです。この時の写真は同年リリースの『ザ・ベスト・オブ・ホワイトスネイク』に使われているので、このテイストに見覚えのあるファンの方も多いのでは?

1983年2月(31歳):ホワイトスネイク3度目の来日

デイヴィッド・カヴァデール(vo)
ミッキー・ムーディー(g)
メル・ギャレー(g)
コリン・ホッジキンソン(b)
ジョン・ロード(key)
コージー・パウエル(dr)

リッチー・ブラックモアのレインボーは日本とヨーロッパで大ブレイク、イアン・ギランの「ギラン」は本国イギリスのチャートを席巻。パープル出身者たちが次々成功を収めた1980年代初頭。ホワイトスネイクも優れた作品とライヴでじわじわと地位を高めていったわけですが、順調と思いきや、裏ではかなりややこしい人事異動が頻発し、マネージメントとの不和とレーベルとの契約問題も勃発。あまりにややこしいので詳細は省きますが、一時的な活動停止を挟み、ホワイトスネイクは新メンバーを加えて再スタートを切ります。

スーパー・ドラム・ヒーローのコージー・パウエルを加えて豪華さが増した一方、ジャズ・ロック・ベースの達人コリン・ホッジキンソンに元トラピーズのメル・ギャレーと、新ラインナップもやっぱり渋い! この後にすぐメンバー・チェンジするので短命な編成でしたが、このメンツでも来日公演を行なっています。

デイヴィッドと言えばこのポーズ(↑)。何がどうとは言いませんが、はっきり言ってデイヴィッドじゃなかったら訴えられるレベルですね。最低にして最高。それでこそデイヴィッド・カヴァデール。

1982年の人気投票で上位に入ったメンバーに記念の盾が送られています。デイヴィッドは男性歌手2位/セックス・シンボル1位、コージーはドラマー1位、ジョンはキーボード・プレイヤー1位。コージーは加入したてで、当時の最新作『Saints And Sinners』にも参加していないので、その前にいたMSGでの活躍が勝因でしょうね。まあコージー人気は不動ですから、今どのバンドに在籍しているのかは人気投票にもはや関係ないと思いますが。

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こちらは1983年4月号のインタビュー。段々とバンドが「俺1人でホワイトスネイク!」状態に近づいていく気配を感じさせる発言が多いです。さらに最後には編集長によるコンサート評が載っていますが、なかなか辛口。

「華々しさや、ある種のスター性を持ったギタリストの存在が望まれる」
「今のホワイトスネイクに、果たして、その “時代の音” としてのパワーがあるのかどうか?」

当時のミュージック・ライフはやけにこの時のラインナップに対する評価が塩辛かったようですが、後の歴史を知っているファンの目からすると「ウッ!?」となってしまう指摘が多いです。このことをデイヴィッドが知っていたのかどうか分かりませんが、ホワイトスネイクはメンバーの出戻りや交替が多発、ジョン・ロードはパープル再結成で離脱、メンバー数は削減と、本格的な変革期に入っていきます。
 

1984年8月(32歳):『SUPER ROCK 84 IN JAPAN』

出ました、『スーパー・ロック84』! 当時ミュージック・ライフを読んでいた方々にとって青春の思い出ではないでしょうか。何しろメンツが凄い。押しも押されもせぬギター・ヒーロー:マイケル・シェンカー率いるMSG! 全米を絶賛席巻中のスコーピオンズ! 当時はまだニューカマーだったボン・ジョヴィ! そしてアンヴィル!(かの映画で描かれたような低迷期に突入することはさて置き、この時代を象徴するバンドだったことは間違いありません) そしてMSGと日替わりでヘッドライナーを務めたホワイトスネイクはこちらの布陣!

デイヴィッド・カヴァデール(vo)
ジョン・サイクス(g)
ニール・マーレイ(b)
コージー・パウエル(dr)
※リチャード・ベイリー(key)はサポート・メンバー

コージーもニールもすでにベテランですが、タイガース・オブ・パンタンとシン・リジィで人気が大爆発した若きジョン・サイクスのおかげでバンドが一気に若返りました。オジー・オズボーンもロニー・ジェイムズ・ディオもイアン・ギランも、70年代から活躍してきたシンガーたちが若くてイキのいいギター・ヒーローを引き入れて当時のメタル・ブームに対応していたのですから、デイヴィッドがこういう新しい血(しかもイケメン)を入れたくなったのも納得です。上記した1983年のインタビューでは「このバンドにギター・ヒーローはいらない!」と言っていたのと矛盾しますが、そんなことはロック・ミュージシャンあるあるです。
 
こちらは他のバンドも含めて、1984年10月号当時の誌面でご覧ください。

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気象庁のデータによれば、1984年の夏は干害も発生するほどの猛暑。近年の殺人的な暑さに慣れた我々でも、写真を見ているだけでリアルな暑さと熱さを感じてしまいます。このフェスティヴァルが “ゴージャス化する前” のホワイトスネイクにとってピークだったことは間違いないでしょう。

『サーペンス・アルバス』で歴史的特大ホームランを打って以降、メンバー交替や活動休止などとあまりにめまぐるしい変化を繰り返し、「俺1人でホワイトスネイク!」な状態が続くので、バンドらしいバンド=ホワイトスネイクを率いるデイヴィッドが見られたのは、今回お見せした写真の時期までだったかもしれません。

と言いつつ…その『サーペンス・アルバス』の完成直後にジョン・サイクス他メンバーを全員解雇、1987年に来日した時のデイヴィッドがこちらですが、うーん、ゴージャス・カヴァデールもかっこいい。

ですが、ブリティッシュ・ハード・ロック継承者の重みを背負いつつ、「天下取ったる!」という野心もダダ漏れだった1980年代前半までのデイヴィッドには、他に代えがたい魅力がありますね。

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さて、MLCでは紹介しそびれてしまいましたが、先の引退宣言時に公開されたメッセージ動画はこちら。

そして、別れのメッセージ・ソング「Fare Thee Well」(2011年『Forevermore』収録曲)のMVはこちら。

こうして長い歴史をしみじみ振り返る動画を発表し、ファンに惜しまれながら現役のステージを降りたデイヴィッド。ですが、その後もX(旧Twitter)ではしょうもない下ネタ画像をリポストしたりして、相変わらずの相変わらずっぷりが流石です(クリスマスの時期に入ってちょっとお休みしているようですが)。これからも「ゲンキ」な姿を見せて、ファンをニヤニヤさせ続けてほしいものです。We wish you well, David!!

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「ミュージック・ライフ写真館」では、こうして弊社のライブラリから、当時誌面を賑わせた/未公開のままだった写真を公開しています。クイーン、レッド・ツェッペリンなど、過去の公開分も併せて是非お楽しみください!

過去の「ミュージック・ライフ写真館」はこちら。

1960〜90年代にかけて、雑誌『ミュージック・ライフ』は、フォトグラファー長谷部 宏氏を中心にした撮影陣で、数多くの海外アーティストの写真を撮り続けて来ました。60年代にはビートルズ、70年代にはクイーン、KISS、チープ・トリック、ジャパン、80年代にはボン・ジョヴィやデュラン・デュラン……などなど、撮りためたポジ・フィルムやプリントは、数十万枚にも及ぶ量になります。しかもその貴重さは世界的レベルのため、海外からのリクエストも絶え間なく寄せられています。

現在我々は、そのコレクションを「ML Images」と名付け、膨大な量の写真を地道に整理整頓しつつ、貸し出すサービスを行なっており、ライブラリへアップロード済みの画像は目下約3万点で、現在も増え続けております。ご利用をご希望のメディア/展示スペースの方は、弊社までご連絡いただければ、具体的なご希望がない場合でもスタッフがお応えいたします。お気軽にご相談ください。メールはこちらから。

※個人の方へのご提供は行なっておりません。
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