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5月30日(土)@東京・三省堂書店神田神保町本店 3Fイベントスペース

小川隆夫 × 内山繁『マイルス・デイヴィス大百科』発売記念トークイベント・レポート

「マイルスに一番近い日本人」と言われる音楽ジャーナリストにして、『マイルス・デイヴィス大百科』の著者である小川隆夫氏と、「マイルスを撮り続けたカメラマン」内山繁氏が語る、マイルス・デイヴィスのリアルタイム・エピソード。

『マイルス・デイヴィス大百科』
写真左から小川隆夫氏、内山繁氏。
生誕100年没後35年を迎えるジャズの帝王マイルス・デイヴィス。

「マイルスに一番近い日本人」と言われる音楽ジャーナリスト、小川隆夫氏による『マイルス・デイヴィス大百科』の発売を記念したトークイベント&サイン会が5月30日三省堂書店 神田神保町本店にて開催された。当日は「マイルスを撮り続けたカメラマン」内山繁氏も登壇。氏によるマイルスの写真を投影しながら取材にまつわるお二人の当時のリアルタイム・エピソードが紹介された。

■登壇者プロフィール

・小川 隆夫(おがわ・たかお)
1950年東京生まれ。音楽ジャーナリスト、整形外科医、ギタリスト。77年東京医科大学卒業。81〜83年、ニューヨーク大学大学院留学。留学中に、アート・ブレイキー、ギル・エヴァンス、デクスター・ゴードン、ウイントン・マルサリスなどのミュージシャンや、マックス・ゴードン(「ヴィレッジ・ヴァンガード」オーナー)、マイケル・カスクーナ(プロデューサー)といった関係者の知己を得る。帰国後ジャズを中心とした原稿の執筆、インタヴュー、翻訳、イヴェント・プロデュースなどを開始。レコード・プロデューサーとしても多くの作品を制作。

『ブルーノートの真実』(東京キララ社)、『証言で綴る日本のジャズ』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)、『マイルス・デイヴィス大事典』『ジャズ超名盤研究(1〜3)』『ビバップ読本 証言で綴るジャズ史』『伝説のライヴ・イン・ジャパン』『レーベルで聴くジャズ名盤1374(1、part 2)』(いずれもシンコーミュージック・エンタテイメント)など著書も多数。

 

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・内山 繁(ウチヤマ・シゲル)
1951年 大阪市生まれ。1975年からジャズを撮り始め、音楽専門誌を主に各社レコード(LP、CD、LD、DVD)ジャケットやコンサート・プログラムなどの媒体に作品を提供する一方、国内で開催される主なコンサートを記録。また都内ジャズ・クラブの専属フォトグラファーとして刻々と変化を続けるジャズ・シーンを独自の視点と感性で撮り続けている。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスを10 年間にわたって追った写真集『MILES SMILES』(小学館刊)をはじめ『マイルス・デイヴィス写真集 NO PICTURE!』(東京キララ社刊)などを出版。写真展を多数開催。

まずは小川さんによる『マイルス・デイヴィス大百科』&既刊『マイルス・デイヴィス大事典』の内容紹介。

小川:この2冊は姉妹本みたいなものなんです。『マイルス・デイヴィス大事典』は3年くらい前に出したディスク・ガイド本。『マイルス・デイヴィス大百科』は僕が今まで書いてきたマイルスのいろんな原稿をまとめた本。それで、ディスク・ガイドの方はこの3年間にまたいろいろと未発表作とかが出たので、それを補完する意味で、『〜大百科』の方にそのデータを付け加えました。それも『〜大事典』と同じ書式になっています。ですから両方お持ちになると、マイルスのディスクガイドの現時点でのコンプリートになるという仕掛けです(笑)(ブートレッグ盤は含まず、公式発売盤のみ収載)。

ステージ奥のスクリーンには内山さん撮影のさまざまな時期、シチュエイション、表情のマイルス・デイヴィスが映し出されている。
内山:僕がジャズの写真を撮り始めたのが1975年の秋、今年 51年目です。マイルスがエレクトリック期の『アガルタ』で来日したのは75年の1月末から2月頭、だから間に合わなかった。だけど、ジャズ・フォトグラファーを名乗るからには、マイルスを撮りたくて撮りたくて──撮りたかったけど、その時点ではもういないような人だった。
小川:秋で、もう引退というか休養生活。
内山:全然出てこない状況だったから、僕はもうマイルスを撮れないジャズ・フォトグラファーだと思った。

カムバック──ということもわからないまま6年が過ぎた1981年、マイルス復活のニュースが世界のあちこちで報じられる。アメリカはボストン、ニューヨークでの復帰復活コンサート、そしてその後日本ツアーの話が早々に決まっていった。

内山:6年間、もう撮れないと思っていたジャズの帝王が来るわけだから、もうジャズ・フォトグラファーとしては撮らないわけにいかないですよ。でも、撮りたいけどどんな人なのかドキドキして、嬉しいという状況で、秋に来日した時に初めて会うことができました。

スクリーンには、成田空港の入管を通って通路を歩いてくるマイルスを捉えたカットが映し出される。ジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』からのオファーの撮影。同誌が総力を挙げてマイルス大特集を組むことになっていおり、編集者の中山康樹さんと共に取材に入っていた。

内山:とにかく撮りまくれ! 内山行ってこい! 追いかけろ! 追いかけまくれ! もうパパラッチになってやってこいってことですよ(コートを脱いで、フロアに出てきたマイルスとシシリー・タイソンのカット、乗り込んだ車のシートからこちらをギロッと睨むマイルスのカット映し出される)。空港には何十人ものカメラマンが押しかけていて、当時はもちろん面識はないから、マイルスもそんな中の一人、ウザい奴がいるよっていう目で見てたんだと思います。

81年のコンサートは、現在、都庁が建っているエリア(新宿西口の旧淀橋浄水場跡地)に設けられた特設ステージで最初の3日間が行なわれた。会場を見下ろす歩道からもステージを見ることができ、それを整理する警察官のアナウンスが会場まで届いたという(超満員の会場とステージ、それを見下ろす人の溢れた通路を捉えたカット。そして体調も万全ではなく足を引きずるようにステージを移動するマイルスの足元のカットが映し出される)。

内山:舞台を歩き回って、お医者さんの観点から言うと、止まるとさらに痛くなる。歩いてても痛いんだけれども、止まるともっと痛くなる。
小川:止まったり椅子に座ると、もう痛くて立ち上がれない、動かなくなるんじゃないかっていう恐怖感があって動いてた。
内山:ちょっと哀れというか気の毒という感じで。だけど足を引きずるのがすごい印象に残ったんで、足だけ撮った。最悪のコンディションだったと思います。
小川:後年、この時の話をマイルスに訊いたんだけど、寒いし足は痛いしコンディションも悪いからこのまま帰ってしまおうかと思ったって。でも日本のファンは耳が肥えていて素晴らしい、会場に行ったらファンが、スタンディングオベーションですごい拍手をもらって。アメリカでももちろんそういう拍手はくるんだけど、日本は違うって言うんです。それで、頑張りましたと言ってました。
内山:耳の肥えたファンの前で、こんなコンディションでっていう不安はすごくあったと思う。
小川:だけど、この時の演奏を聴くとすごくいいんだよね。見た目はもうヘロヘロ、ヨレヨレなんだけど、音は出てるし。僕はニューヨークに行ってたから見れてないんだけど、音を聞くと本当に素晴らしい(10月4日のステージをコンプリートで収めた日本規格編集のアルバム『Miles! Miles! Miles!』が発売されている)。
内山:追加公演の中野サンプラザでバンドのグループ・ショットも撮ることができた。
小川:よく撮らせてくれたね。
内山:ドラマーのアル・フォスターは昔からの知人で、アルがグループ・ショットのセッティングをして、マイルスに撮らせてくれって実現したのがこのカット。2。3枚しか撮れなかった(無表情のマイルス、笑顔のないメンバーのカットが映される)。
内山:マイルスは撮った後も、無言で無表情。こちらをギロッと睨みながら部屋を出て行った。

81年の日本公演では大阪、名古屋と内山さんはマイルスを追って、ホテルから移動の新幹線まで追跡しては撮影を繰り返した。

内山:マイルスにしてみれば僕は〈ウザいカメラマンのこいつ〉じゃなくて、まだ他にもいっぱいいるカメラマン・報道陣の一人だったんですね。で、初めて言葉をかけられたのが名古屋。同じ新幹線に乗って追いかけて、駅からホテルに向かうのをまた追跡して、ホテルに着いたところをまた後ろから追っかけたんです。 そのままホテルに後を追って行ったら、マイルスはエレベーターの前で突然止まって、振り返って僕の方に向かって、こうやって歩いてきて。
小川:怖いね。
内山:怖いですよ、それで目の前まで来て、「NO PICTURE 撮るな!」。
小川:で、撮ったんでしょ。
内山:撮れないですよ、そんな状況で。「NO PICTURE」の表紙は、後に小川さんと一緒にいた時に撮ったもの。
それで、83年の来日の時はもうマイルスは僕のことを認知してました、『スイングジャーナル』が出版されてたから、マイルスは自分の家で見てる。「あの野郎が撮りやがった、あん時の写真だな」って。あの野郎だ、というふうに認識して。83年に来た時は、「撮るな!」じゃなくて、「お前か、来い!」ってなる(プールから上がってくる自然体のマイルスのカットが映される)。
小川:よくこういう写真を撮らせたね。
内山:大阪のホテルのプール、この時も私は追いかけていたけれど、パブリックな所にカメラは持って入れないから、入り口の受付にカメラを置いて行った。そうしたら「俺が泳いでるのに何でお前カメラ持ってない?」 って。それで戻って撮ったのがこの写真。優雅に自信たっぷりに下手な平泳ぎで。「さぁ撮れ」(笑)。
小川:マイルスはプール好きなんだよね。日本に来るとだいたいプールがあるホテルにしか泊まらない。
内山:そんなこんなで、やっとマイルスから認知された。この大阪フェスティバル・ホール公演の時、ちょうど5月26日がマイルスの誕生日。最後の一曲が終わったらいきなりバンドが「ハッピーバースデー」を演奏し始めて、ちょっとにんまりする間もなく豪華なケーキのワゴンが運ばれてきて、マイルスは得意げにローソクを吹き消して、ペロッとケーキをなめた。でもサングラスをしたままだったから、クリームが付いて。
小川:それは可愛い場面(ケーキのデコーレーション面のカットが映される)。
内山:これはステージ袖で、運び出される寸前に撮った。袖にはギル・エヴァンスもいて、このツアーはギルとのダブル・ビル・コンサート。みなさんご存知の通りギルとマイルスはよくコラボしていて、素晴らしい楽曲がたくさんあります。

マイルスに認知された内山さん。それでもシークレットなレコーディング・セッションの撮影の機会などはガードにブロックされる。そんな時は「マイルスに呼ばれているから、はやく行かないと、どいてくれ」と突破した。

小川
:内山さんは本当にどこにでも行く、すごいね。マイルスに限らないけれど、随分いろんな取材を彼と組んでやった。ものすごく信頼を置けるのは、そうやってどこにでも行って、いい写真を撮ってきちゃうんです。普通は編集者が色々と撮影の指示をするんだけど、彼は本当に自由自在にどこかに行って撮ってきちゃう、それもいい写真を。 で、ミュージシャンの懐に入っていっちゃうんだ、そこがすごい。

内山:割とね、なんていうか幸せなことに、なんか嫌がられないタイプみたいで。でも編集者の指示通りに撮れない時もあるんです。中山(康樹)には「なんで撮らへんねん!!」って何度も怒られました。ギルとマイルスが同じエレベーターに乗り合わせたシーンがあって、僕も乗ったんですけど写真撮ってないんですよ。中山は怒るんですけど、撮れる状況じゃないから。今撮るべきかどうか──マイルスは特にそういうことをよく考えながらやらないと、もういきなりカメラ向けたら、「撮るな!」というやつで。逆に、〈なんか撮られたそうだな〉というフリをするときもあって。
小川:そうそうそう。マイルスは気配じゃないけど、考えてることが結構こっちはわかるんだよね。撮って欲しいな──っていうときとか、やめて欲しいなってとき。
内山:小川さんもそう感じるのに長けてる。
小川:だからマイルスといる時は、本当にマイルスの気配を察しようと思って、それに集中する。
内山:小川さんは余計なこと言わないし。かといって、ただぼーっとしてるんじゃなくて、何か話させてしまう──なんか持ってますね。
小川:それでもう、マイルスが飽きたなと思ったら帰るとか、その辺を察知する能力は、僕は自分事なんだけどあったと思う。 だから嫌がられなかった。内山さんも引き際とかがわかってるから、いつでも写真を撮れた。どんどんどんどん図々しく撮りに行くと、もう次からは認識されてる〈あのカメラマン〉じゃなかった。

続いて、小川さん(取材)、内山さん(撮影)、中山さん(編集)チームによる海外でのマイルスのインタビューの話題に。きっかけは、1985年2月22日ニューヨークで行なわれる「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」というブルーノート・レーベル復活記念コンサートの取材。ここにマイルスの新作『ユア・アンダー・アレスト』のライナーノーツ執筆オファーと、4か月後の来日が決まっていたマイルスの〈来日記念ムック〉作成企画が相乗りしニューヨークでのマイルス取材が予定された。しかし到着後インタビューはキャンセルという連絡あり、なんとマイルスはニューヨークを離れ西海岸のマリブに居る。そこで数回の交渉末ようやく3月3日12時から2時間だけ取材時間が取れる。しかし、6時間かけて移動する飛行機が遅れに遅れてマリブ着は昼を過ぎていた。それでも、1時間だけなら──ということでマリブの別荘へ。

内山:もう行く途中は三人で「ダメか…もうダメだ──」って。
小川:それと、実はこの段階で僕はまだ新作の音を聴いてないんです、音はまだレコード会社にも届いてなかった。だから音を聴いてないのにインタビューしなきゃいけない、しかも遅刻もしました、しかも英語だってそんなにできません──三重苦ですよ。 でも、そういう時にも平然としてるんだよ。 内山さん。
内山:まぁ飄々として。
小川:僕なんか居心地が悪いというか、もう生きた心地がしなくて。 マイルスに会いたいんだけど、だんだん近づいていく──それこそ死刑台のエレベーターに乗ってるみたいなものでね。

部屋に通された一行、姉のドロシーに呼ばれたマイルスは意外にも軽い足取りで2階から降りてきて、「飲み物は何にする? 新車を見るか?」と上機嫌。しかし小川さんは心中穏やかではない。

小川:新作のインタビューなのに音を聴いてない──と正直に白状したら、ポケットからカセットテープを出して「そりゃそうだ、ここにあるんだ。まだレコード会社に渡してない、これ聞くか?」って。それで音を聴かせてくれた。あとはもう勝手に喋ってるわけ、マイルスが。
内山:そうそう、絵を描きながら。話しながら書いてはその絵を切り取ってって僕らにくれた。
小川:「今日は何だ?」とか言うから、まず「絵を描いているところの写真を撮りたい──」って言ったら、僕に紙の画用紙の束を渡してね。
内山:終始ご機嫌だったね。
小川:新作聞きたいだろうとか、車見たいだろうとか、そういう感じでね。自慢のものを。
内山:ちょっと目配せして、ついてこいみたいな感じで、バスルームとかクローゼットを僕に平気で見せる。
小川:この時、僕なんか最初だったし、まあ内山さんもマイルス家まで行ったのは初めてでしょ。 だからちょっと勝手が分からなかったけど、マイルスは写真撮って欲しい人だから、勝手に着替えてくる。それをある程度撮ると部屋に入って。 どうしたのかなと思ったら着替えて出てくる。 これまた撮らなきゃいけない。
内山:来いとか撮れとか、目でわかる。
小川:そのあうんの呼吸が、たまたま僕たちは分かったから、まあ気に入ってもらえたんでしょう。

マイルスはマリブの別荘のデッキに出て笑顔で両手を上げる。この時撮った内山さんの写真が気に入り、後にパネルにして贈ったものを部屋に飾り、訪れる人に「ジャップが俺をこんな笑顔にしやがって」と見せていたそうだ。

内山:マリブで撮った写真、こんな顔は普通ステージの上では見せない。
小川:マイルスは笑わないって思ってたけど、笑ってる。最初から笑ってた。
内山:最初会った時からジュースはオレンジかアップルかって聞いた。大歓迎って感じで。
小川:びっくりしたよね。だって僕ら遅れて行って、マイルスにとってはたぶん迷惑な客なんだよ。だけど何かウェルカムだった、なんでもOKみたいな。
内山:すごいハッピーな、だけどハードな一日。
小川:だけどここで調子に乗って色々やると、もう二度と来るなってなるから。 僕は良かったんだよ、その接し方が。僕がマイルスと近しい気持ちになれたのはこの時。

1時間で取材は終わった後の雑談で、話すことなくなったので、「実は僕は整形外科の医者で、たまたまニューヨーク大学でリハビリテーションの勉強とか研究をしてたんですよ」って話をした。「これからどうするんだ?」ってマイルスが僕に聞いてきたから、「夜の便で帰ります」って言ったら、「まだ時間あるじゃないか、どうするんだ?」って。飛行場ででも時間潰すつもりと答えると、「なんでここにいないのお前ら?」って言われるから、じゃあ「イエス」って言った。
でも写真も随分撮ったし、話も新作の話は聞けないだろうし、世間話をして。 そしたらマイルスがなんかまた着替えるからと部屋に連れていかれ、どんどん脱いで、ズボンも脱いで、さっきの話が頭にあったのか「傷を見ろ、この傷どう思う?」って言うわけです。見ると、とんでもない手術をされていて、普通股関節の手術では「大腿部の外側」を切るんですよ。何か理由があるんだろうけど、「外側」を切らないで「正中」で切ったために大腿四頭筋が硬くなって膝の曲げ伸ばしができなくなる。 膝を曲げようとすると痛くて足を引ずってしまっていた。
そこでリハビリテーションのノウハウが役立ったんです。〈こういうことをやるといいですよ〉っていうのをいくつも言って、実際に動かした。 マイルスは「それのメニューを書け」 と。リハビリとかはやらないだろうな──と思ったけど書いたんです。その時はそれで終わったんだけど、7月にマイルスが日本に来た時に、制作したムックを中山康樹と2人で渡そうとレコード会社に交渉したら、マイルスには会わせられませんと。プロモーターの鯉沼(利成)さんに話してもダメ。
内山:みんなピリピリしててね。マイルスに余計なこと近づけたくない。
小川:だから僕らが行って、マイルスが機嫌を損ねたらコンサートがキャンセルになるかもしれないからダメだって。ただ、ホテルと到着の時間だけはわかっていたので、来たら渡そうと中山と僕でムックを持って行ったんです。
到着してお付きの人たちといるマイルスに、中山がムックを掲げたらマイルスが気がついて、周囲の人を避けて、「来い、来い」と言うんです。僕らのことを呼んでる──とわかったので、「これですか」「そうだ」とムックを渡したんです。
内山:嬉しいね、それ。

小川:渡したら、マイルスが僕の耳元でさ、「お前分かるな」って言うわけ。「ちゃんと歩いてたろ」「だからお前のリハビリやったんだよ」って。リハビリとかはやらないだろうな──と思てったんだけど、マイルスはやったんです。
僕と中山、僕なんか首根っこ捕まえられて、そのままエレベーターに乗せられて、そういう話をしながらマイルスの部屋に連れていかれて拉致されちゃった。それから、スウェーデンから日本に来て──とマイルスはもう延々と喋って、結局夜中まで喋って、2時ぐらいまで僕らはいた。あの人は疲れを知らない。 それで、ルームサービス取ってくれたりね、いろんなことをした。それで帰り際に、「お前は俺のドクターだ」 と言われて、僕は「ユア・ドクター」って言うようになった。どうせ僕の名前とかは覚えないだろうなと思って。さらに「ニューヨークへ来たらいつでもここへ電話しろ」ってマイルスの自宅の電話番号の紙をくれたんです。

僕は年末年始はニューヨークに行ってたから、その年の12月に行った時、多分マネジメントの番号だろうなと思って電話してみたんです。そうしたらあの声で出てくるんですよ。試しのつもりで「マイルスに会えますか?」って言おうと思ってたんだけど。本人が出てきたから、とっさに「会えますか?」 って言っちゃった。そうしたら「今から来い」って。
当時僕は部屋を借りていて、マイルスのアパートへはタクシーでも30分以上かかった。 着いてみるとマイルスはもう出かけていて不在だったので、翌日再度連絡を。同じように電話口からマイルスの声、「昨日は──」って言いかけたら、「すぐ来い」って言い訳も何も聞いてくれなくて。今度はアパートの近くから電話をしたので、数分で行ったら「もう、来たのか」。そこから始まって5〜6時間いたんですけど、「今日はカメラマンはいないのか?」ってがっかりしてたな。で、入るとマイルスは絵を描いていて、「これはなんの絵で、ここがいいだろう」とか勝手に喋って、こちらは「はいはい」と。こういう時、こちらから質問したらダメ、ムッとしちゃう。だから話に相槌をうちながら聞くだけ。「このあいだの日本公演はどうだった? 81年に行った時は寒かった」とか。
内山:ものすごい断片的な話が飛び飛びで出てくる。
小川:そういう話をしつつ、絵を描いて。時々テレビのスイッチひねって、でも音消して映像だけにしてまた絵を描いたり。そういうことをやって、だらだらだらだら時間が経つんだけど、どうしていいかわからない。メモは取れない、テープレコーダーは回せない、頷きながら時々「good」とか「great」しか言えない。時々何も言わない時間もあって。
内山:その状況を想像すると面白いというか、小川さんの心中はいかばかりか。
小川:マイルスはもうある種のムードの中にいて、たまに僕が喋ったことを無視して話し出して。
内山:でも、マイルスも慮っていて、こいつ何を聞きたいのか?と探りながらいたのかも。
小川:僕の反応も見てた。それで3回目ぐらいに会った時かな、「お前なんでそんなに来るんだ?」って言う。 こっちはただ会いたいだけなんだけど、変に勘違いされてもいけないから、苦し紛れに、全くそんなアイデアも話も出てないんだけど、「あなたの本を書きたいです」って言っちゃったんです。それがよかったのか「そうか、いくら出す?」って。
日本でジャズの本って売れないから〜みたいな話はまた怒られるって思ってたら、「100冊だ」。「日本語ですよ」と言っても、「いいんだ。お前のサインを入れろ」と。それ以降彼は会うたびに「俺の本はどうなった」って聞き出したのと同時に、勝手にいろんな話をしてくれるようになった。で、それもアットランダムだから、今回はパーカーの話をしたと思えば、次はモード時代の話をしたり、行ったり来たりしながら。でも結局ラッキーなことに、何回か会ってるうちに、僕が聞きたいマイルスの大体のストーリーは全部話してくれた。それが結局『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと:マイルス・スピークス』。この本にはその時の会話が全部、会見をした順に書いてあります。でもあれは不思議な、本当に今思うと夢みたいな体験だった。今にして思うと僕はすごくラッキーで、いつだってもう帰れとか言われてもおかしくないような状況に常にいたと思うんだけど。
内山:「帰れ」は言われてない。僕はね、3回ぐらい出て行けって言われた。マイルスは二人だけで会ってる時には「帰れ」とか、ああしろこうしろは言わないんだけど、誰か、例えばお客さんの前とか、スタッフの前、マネージャーの前とかだと言うんです。「部屋に来い、シャドーボクシング見せてやるから写真撮れ」って連れていかれて、Tシャツに描いた絵を広げて見せてああだこうだ言うんだけど、マネージャーが入ってくると、突然「このジャップをつまみだせ!!」って。だからマイルスは自分を帝王然とし見せていなきゃいけない人なんですね。
小川:自分のイメージをすごく作ってる。
内山:でも「つまみだせ!!」って言った後にウインクしてる、僕に。
小川:やっぱりすごくイメージを作ってる人。それこそマイルスはメンバーも自由に会えない人。若い頃は知らないけど、エレクトリック・マイルスの時代とかは。
内山:周りのミュージシャンの方が僕よりビビってる。
小川:例えばあのジョン・スコフィールドがバンドを辞める最後、筑波でのコンサートで、終演後に楽屋に僕行ったら、彼が楽屋の前のサインの列に並んでたんだ。「マイルスだったらサインもらってくればいいのに」って言ったら、「いや並ばないとダメなんだ」。ジョン・スコフィールドだってマイルスと会えるのはそれこそステージでだけ、 だから会話なんかしない。飛行場だとマイルスはVIPルームに入って会えない。席も彼はファーストだし僕らはビジネスとだからから会えないいって。
内山:僕らは超特別の。
小川:だからそういうことになるね。

トークイベントはここで終了、まだまだ続きそうな内容なので次回も──という声も上がった。この後小川さんのサイン会が行なわれた。

マイルス・デイヴィス大百科

マイルス・デイヴィス大百科

5,500円

著者:小川隆夫
マイルスに一番近い日本人」小川隆夫が、これまでに書いたマイルス関連の原稿を総まとめ!
ライナー、雑誌やWEBに提供した評論やインタビュー、レビューなど、これでマイルスの全てを鷲掴み!


今年で生誕100年、没後35年となるジャズ界の巨人マイルス・デイヴィス。マイルスとは取材はもちろん、整形外科医としての知見を求められるなどで深い付き合いがあった音楽ジャーナリスト小川隆夫が、これまでに書いてきたマイルス関連のライナーノーツ、評論、インタビュー、レビューなどの原稿169本を集大成した一冊である。マイルス全作品の解説書「マイルス・デイヴィス大事典」(2021年)の兄弟本とも言え、21年以降の作品も紹介。カヴァー・アートワークは「大事典」同様、独自のテイストが人気の藤岡宇央が担当している。
ジャズの帝王、マイルス・デイヴィスの生誕100年の記念日である、2026年5月26日、「マイルスに一番近い男」と呼ばれる、音楽ジャーナリスト、小川隆夫の書籍「マイルス・デイヴィス大百科」が発売されます。「マイルス・デイヴィス大百科」は、小川氏がこれまでに書いたライナー、雑誌やWEBに提供した評論やインタビュー、レビューなど等、マイルス関連の原稿169本を総まとめした一冊。カヴァー・アートワークは「大事典」同様、独自のテイストが人気の藤岡宇央が担当しています。今回、生誕100年を記念して、出版元である株式会社シンコーミュージック・エンタテイメントの直販サイトS.M.R.S.(SHINKO MUSIC RECORDS SHOP)では、購入特典して、小川氏の直筆サイン入りポストカードを付けての販売をいたします。

S.M.R.S.(SHINKO MUSIC RECORDS SHOP)

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