※関連ニュースをご覧になる場合は、こちら↑のタグ(アーティスト名/項目)をクリック。
● イベント・レポート
9月13日(日)東京 @ 阿佐谷ロフトA
ロックの激情 延長戦 ロックな夫婦のトーク・バトル〈前編〉
「ロックの激情」高密度なトーク・バトルの延長戦+「超速報!! ラモーンズ50周年記念ライヴ」レポートなどあれやこれやてんこ盛り!
ロックな夫婦のトーク・バトル「ロックの激情 延長戦」が9月13日 阿佐谷ロフトAにて開催された。これまでの「ロックの激情」の高密度なトーク・バトルの延長戦、さらに「超速報!! ラモーンズ50周年記念ライヴ」のレポートも──ということで場内は超満員。
登壇者は《ロックな夫婦》元クロスビート誌編集長・大谷英之と、ロック・フォトグラファー/ラモーンズ・ファンクラブ会長・Yuki Kroyanagi。元ミュージック・ライフ誌編集者・赤尾美香の司会進行でトークは進められた。
『1997年フジロックのパンフ制作と台風被害』
赤尾:今や伝説になっている「第1回フジロック・フェステイバル」は、1997年7月富士天神山スキー場で行なわれました。
大谷:97年の年明けにSMASHの小川さんにロック・フェスをやる──と聞いたのが最初。何かしらの形でこのイベントに関わりたいと思ったから、すぐに「パンフレットを制作させてください」とこちらからお願いしました。
Yuki:パンフレットのデザイン担当は私でした。小川さんはラモーンズを88年からずっと招聘してくれた人だし、ラモーンズのラスト・ツアーのパンフも私が作っていたから、フェスの1回目だし──っていう軽いノリでやることになりました。
大谷:やることになったんですが、当時は全然電子化されていない写植の時代。でもそれまでのパンフレットにはないものにしようと、出演者に《意気込み、メッセージ》をもらって欲しいとSMASHにお願いしました。いきなりレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーがメッセージをくれて、続いてリー・スクラッチ・ペリーや、少年ナイフ、↑THE HIGH-LOWS↓、電気グルーヴたちがFAXでメッセージを送ってくれました。SMASHからはオフィシャルのカメラマンの依頼の話もあり、こちらから《ステージ上から撮らせてほしい》とお願いしました。ドームやスタジアムではなく、屋外のスタンディングで滅茶苦茶盛り上がっている光景を撮りたかったので。
会場のスクリーンに映し出された第1回フジロックの模様。ステージ上からYukiさんにより撮影された写真には、そういった生々しい観客の姿やアーティストたちが捉えられている。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン演奏時に雨と熱気による湯気が発生して靄になった様子や、バイク事故で怪我を負った腕を吊って歌うヘッドライナー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアンソニー・キーディスの姿が続く。台風直撃、暴風雨の中、想定外のライヴになる。ずぶ濡れになった軽装備の観客は着替えもなく寒さに唇の色が変わっていく。
Yuki:当時カメラはまだフィルム撮影。ものすごい湿気でフィルムが中でくっついて動かなくなる。撮影は頭3曲だけだから、慌ててTシャツの中にカメラを入れてフィルムを巻き戻すっていうアナログな時代。感光したらアウトだからね。雨も凄くてステージもグラグラして見ているだけで結構怖かった。
大谷:結局レッチリは45分くらいのステージになっちゃってね。この後がとんでもない状況で、観客は寒さでダウンして、簡易トイレの中に雨をしのぐために籠ったり、ステージを避難場所にしたり。夜中2時過ぎには、僕たちが泊まっている旅館に「助けてください!」って人が来たから、入り口側の風呂に「入っちゃいな!」って入れてました。
当時ザ・クラッシュのジョー・ストラマーがDJで来ていて、夜中に出演する予定だったけどそれどころじゃなくなった。最後はスタッフ総出で毛布を配って、ジョー・ストラマーも手伝って配っていました。
Yuki:深夜に2日目の中止が決定されたけれど、翌日は朝から天気はすごくよかった。カメラもまだ濡れてたけど現場をおさえに行かなきゃと持って出た。もう、すごかったね。 こてんぱんにやられたって感じ。
大谷:会場のダメージも観客のダメージもあって、この経験でフェスはみんなで作らなきゃいけない──っていう風に観客も思った。それで、2回目以降が続けられた。
赤尾:そうですね、少しずつ学んでいく。
大谷:中途半端に成功するよりは、これがあったからこそ。
こうして始まった「フジロック」。回を重ねていくにつれ、取材もライヴ撮影だけではなく取材エリアを設営しての撮影やインタビューも行なわれるようになる。当時映画『ミッション・インポッシブル』の主題歌で当たっていたリンプ・ビズキットは、突然、撮影・取材をスッポかしてステージの様子を見に走って行ってしまう。そのため10ページのロング・インタビューを、移動のバンの中やステージ裏の立ち話で行なった。挙げ句の果てに急に観客の中に入り、カメラマンはそれを追って突撃撮影。結果、ファンとも会えてメディアも混乱させてご満悦なフレッド・バーストの姿を撮ることはできた。
大谷:2000年のグリーン・ステージのトリがプライマル・スクリーム。その前がイアン・ブラウン。このライヴが終わった後ボビー・ギレスビーとイアン・ブラウンが談笑してるんです。これはどうしても撮りたい。
Yuki:撮りに行け行けって言うんです。フェスで日本の山の中に来てると、バックステージで和んだムードになることがある。すごく撮りやすいシャッター・チャンスが来るから、これはどうしても撮りたくて、隠し撮りを。
大谷:オフィシャルで入っているスペース・シャワーTVの取材カメラの横から撮って。
Yuki:その瞬間、相手に光が当たる方向に移動して狙います。その場の空気と、光の当たり方の読みは大事。
赤尾:今、オアシスの映画が公開されていますが、オアシスも取材では結構いろいろありましたね。
大谷:オアシスはYukiもいっぱい撮ってるんですけど、リアム・ギャラガーは絶対手を後ろに組んだポーズをする。もうそれは見飽きたからそういう写真はいらない、とリクエストしました。
Yuki:クロスビートで撮る時はリクエストが多くて⋯⋯。このバンドはこうしろとか、よくわかってるから指示がいっぱい来る。でもリアムはずっと後ろ手を組んでる。
大谷:でも時々、あっという瞬間が。
Yuki:それは連写で。他にもちょっと違う動きをしたところばかり追ってる。
大谷:だからいい写真。
Yuki:ありがとうございます。
『その後のフジロック撮影の思い出』
2009年のフジロックのオアシス撮影の日は朝から豪雨、フジロック史上この時までで一番の土砂降り。カメラマンはもちろん合羽に長靴。機材にも全部合羽を着せる。観客もステージが始まると盛り上がるけれど、ずっと続くとだんだん疲れて遠い目になってくる。でも雨は容赦なく降り続けテント内にも垂れて来るし、荷物も多くて重い上に足元もどんどん悪くなっていくという惨状だった。
この後はライヴ写真でフジロック出演アーティストを振り返る。今では考えられないレイジ・アゲインスト・マシーンとプロディジーの共演、ニュー・オーダーのステージにスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンがいたり、プライマル・スクリームにダイナソーJr.が飛び入り、ヘッドライナーだったモリッシーの直前キャンセルの穴埋めに出たトリビュート・バンドの偽モリッシー、グリーン・ステージに登場したCJラモーンとその姿を涙で見入る大谷、深夜の手品テントに突如登場したシガー・ロス。フジロック大好きジョー・ストラマーはDJ参加の97年、ザ・メスカレロスを率いた99年に続いて2002年にはキャンプだけでの参加、その時ファンとの交流で生まれた聖地『JOE'S GARAGE』といった写真が次々と紹介された。この熱狂的な筋金入りのファンとザ・クラッシュの出会いが、書籍『ザ・クラッシュと日本』の制作につながっていく。その一端が語られた。
『来日アーティスト撮影エピソード』
◎マリリン・マンソン:1997年3月の初来日から撮影。作品ごとに衣装、マイク・スタンド、演出が変わリ撮影上の魅力が大きかった。ライヴ撮影の際、マネージャーに5曲まで撮影OKの許可を得ていたにもかかわらず、4曲目に本人から水をかけらセキュリティに退場させられた。のちにマネージャーから連絡があり、マリリンへの5曲撮影報告を失念していたことを謝罪された。
◎リンプ・ビズキット:2002年単独来日時はホテル、さいたまスーパーアリーナ、福岡と取材場所・時刻が繰り返し変更された。最終的に福岡のライヴ後バッティング・センターに向かったフレッド・ダーストを確保してようやく撮影、インタビューは焼肉店で行なわれた。こうした対応を通じてアーティストとの関係性が形成されると説明。
◎シンディ・ローパー:2011年東日本大震災時に来日、震災直後の公演と、翌年にシンディが被災地を訪問した際の様子を撮影した。訪問時は、被災地の状況と本人の心情を踏まえ、声をかけるタイミングを慎重に判断した。
◎レミー・キルミスター(モーターヘッド):音楽・バンドの背景を理解したうえで接すれば、強面のアーテイストでも短時間で撮影の信頼関係を築ける。写真は、レミーに中指を立てたポーズを依頼し、本人が応じてくれたもの。亡くなる約3か月前の記録。体調が悪く、支えられてステージへ向かった一方、普段見せることがない笑顔で満足げな表情を見せていた。
◎マイケル・モンロー:事務所からビデオ・クリップ制作を依頼され、Yukiが監督手配やコーディネートも担当。ライヴ後、深夜0時から歌舞伎町方面で撮影を開始し、花園神社や街中で撮影を継続。マイケルはライヴ後なのに集中力を切らさず撮影に臨み、終盤の午前4時半頃までメンバーを率いた。
『CBGBでのニューヨーク・ハードコア撮影経験』
Yuki:1981年、ニューヨークの伝説のライヴハウスCBGBには毎日ライヴの撮影に行きました。入場料も5ドルで安かったしハードコアもうるさい音も好きだったから。フォトパスも要らないし、しまいには顔パスで入ってた。場内は98パーセントが男。ハードコア・ブームが終わる頃だったけど、それまではMTVとかでしか観られなかったバンドを、生でその時代の現場で観ることができて楽しかったし、貴重な体験でしたね。その中で、私が撮ってた日のライヴ映像が、殺傷の喧嘩があったことでニュースになって、急にYouTube に上がったこともありました。
フォトピットなんてないですよ、トイレは男女分かれてるけどドアはナシ。男はストレートエッジだから「禁酒」「禁煙」「禁セックス」。ライヴが終わってCBGBを出るのが深夜3時頃、辺りは危険なエリア。するとストレートエッジが入り口で待っていて、付いてこいって途中までは無言でガードしてくれる。素敵でしょ(笑)。
MOVIE|MUSIC・2026.10.26
映画『CBGB ニューヨーク、PUNKが生まれた場所』公開! 監督・脚本家らも登壇した初日舞台挨拶オフィシャル・レポート到着
ランドール・ミラー監督、ジョディ・サヴィン(脚本)、畔柳ユキ(フォトグラファー)登壇! 10.23(金)実施、初日舞台挨拶オフィシャル・レポート。
ここで前半が終了。後半のテーマともなる会場入り口に展示された、CJラモーンとジョニー•ラモーンの奥さんのリンダさんのサイン入りフラッグや、トリビュート・ポスターを描いたデザイナーのユースケさんのエピソードが紹介された。
後半は11月10日(火)公開、どうぞお楽しみに!
─────────────
─────────────
I Love RAMONES Deluxe Edition
Yuki Kuroyanagi 著
ザ・クラッシュと日本
パンク・ヒストリーにおいて最も大きな影響力を誇ったザ・クラッシュ。日本ツアーはたった1回しかなかったが、その後の活動も含めて様々な伝説を残していたことが発覚。長崎から来た高校生のファンをジョー・ストラマーが自分の部屋に泊めたり、日本から来た17歳の女の子をロンドンのスタジオで見学させたり、ポール・シムノンが自宅にファンを招いたり、今まで知られていない「ザ・クラッシュと日本」の絆を一冊にまとめた本。『ロンドン・コーリング』のジャケットを撮影したペニー・スミスの日本ツアー密着写真も初公開!! 日本のファンの熱を封じ込めた決定版!!
商品情報
ラモーンズ
『ラモーンズの激情』(MQA-CD / UHQCD・完全生産限定盤)
・Amazon Music・MP3(1976/4/23)¥1,500
・CD(2019/8/7)¥2,851
商品情報
ラモーンズ
『Ramones Mania』
Amazon Music・MP3(1988/5/31)¥2,000
この記事へのコメントはまだありません
RELATED POSTS
関連記事
-
2024.04.02 【動画】関係者が語る雑誌『ミュージック・ライフ』の歴史【全6本】
-
2023.03.07 直近開催予定のイベントまとめ(2026/11/6更新)
LATEST POSTS
最新記事
-
2026.05.12 ビートルズ関連 最新ニュースまとめ2026
-
2026.05.11 クイーン関連 最新ニュースまとめ2026
-
2024.04.02 【動画】関係者が語る雑誌『ミュージック・ライフ』の歴史【全6本】
-
2023.03.07 直近開催予定のイベントまとめ(2026/11/6更新)