アニマルズがまもなく来日! MLC会員限定の優待チケットをプレゼント

MUSIC LIFE CLUB会員限定
『アニマルズ 来日公演』
ご優待チケット・プレゼント
■公演名
『アニマルズ 来日公演』
(招聘元:ALIVE)
■日程
11月19日(月)18:30開場 / 19:30開演
11月20日(火)18:30開場 / 19:30開演
■会場
新宿 MARZ
(東京都新宿区歌舞伎町2-45-1第1トキワビルB1F)
■ご優待
チケット代金 通常価格8,500円のところ4,000円割引
4,500円(税込)※ドリンク代別
(一回の応募で2枚まで申し込めます)
■応募締切
11月12日(月)23:59まで
■当落のご案内
11月14日(水)までに、ご登録頂いたメール・アドレスに当選者様にのみご連絡します。
当選された方は、当日、会場受付にてお名前を確認させて頂き、割引代金をお支払い頂いてご入場いただきます。
(当日、本人確認可能なものをご持参ください)
「応募する」ボタンをクリック後、応募フォームより必要事項を明記の上ご応募ください。
※『MUSIC LIFE CLUB』へ会員登録済みのメールアドレスでご応募ください。会員以外の方は無効になります。
※応募受付は終了しました。
以下、中心メンバーであるジョン・スティールから届いた最新インタビューをお届け!

「今の編成が最高のメンバーだと思う。ライブの3曲目が終わる頃には、エリックがいなくて悲しいという事はなくなる事を保証するよ」
アニマルズが数々の名曲を生み出した1963年から1966年にドラムをつとめていたのジョン・スティール。現在も現役でツアーをこなし、世界中を飛び回っている
彼が、アニマルズの誕生秘話、エリック・バードンとの関係などを語ってくれた。
Q:こんにちは、ジョン。よろしくお願いします! 音楽を関わるようになったきっかけを教えてください。子供の頃に初めて出会った音楽の思い出はありますか?
A: 僕は4人兄弟の中で一番下。我が家にはレコードプレイヤーがあったんだ。兄と二人の姉が買ったレコードを何でも流してた。姉はライトオペラやブロードウェイの音楽、ポップスが好きだった。兄はデキシーランドジャズやスウィングミュージックが好きで。僕もそういう音楽が好きだったから、ルイス・アームストロングやファッツ・ウォーラー、ベニー・グッドマンとか昔のやつを聴いていたね。
Q: どのようにしてエリック・バードンと知り合い、バンドをスタートしてアニマルズとして知られるようになったのでしょうか?
A: 1956年にニューカッスルアートカレッジでエリックと僕は初めて会ったんだ。音楽や映画、本の趣味が同じで、二人ともアメリカのものが好きだった。そして一緒にデクシーバンドを結成することになって、”ペーガン・ジャズマン”と名付けた。トロンボーン&ボーカルにエリック・バードン、バンジョーにジミー・クロフォード、ドラムにアラン・サンダーソン、トランペットが僕という編成だった。デキシーランドジャズやスウィングは10代の間ではダンスミュージックとして定着していたけど、既に流れはアメリカから来た新しいロックン・ロールへ移り変わっていたんだ。バンドもそれに合わせてすぐにザ・ペーガンズに変更して、エリックはボーカルのみ、ジミーはエレキギター、アランはエレキベース、僕がドラムになったんだ。
Q:アラン・プライスとチャス・チャンドラーはどのようにしてバンドに入ったのでしょうか?
A: 1959年の初頭にザ・ペーガンズがニューカッスルのユースクラブでライブをした時、対バンでフランク・ハドリーがピアノのバンドが主演していて、ジェリー・リー・ルイスの曲を演奏していたんだ。古いピアノがステージに設置されていて、僕たちのライブが半ばにさしかかった時、その別バンドのリズムギタリストがピアノの上に座っても良いかって言ってきたんだ。その彼がステージでフランクよりも上手い演奏を見せたから、ピアニストとしてうちのバンドに誘ったんだよ。
僕は1960年に大学を卒業して就職したから、バンドは必然的に解散した。アランはザ・コントーズ (The Kon-Tors)というバンドに入って。その時のベースがチャス・チャンドラーだったんだ。アランは結局そのバンドを辞めて、自身の新しいバンド、ザ・アラン・プライス・リズム&ブルース・コンボ (The A:lA:n Price Rhythm & Blues Combo)というバンドを結成した。アランがキーボードで、チャスがベース、エリックがボーカル、ナイジェル・スタンガーがテノール・サックス、バリー・プリストンがドラムという編成だった。その頃、僕は南の方で仕事をしていたのを辞めて、ニューカッスルに帰ってきたんだ。チャスがバンドに入らないかと声をかけてきて。バリー・プレストンがバンド内で衝突していて、あまり好かれていなかったらしい。僕は賛同してバンド加入を決めて、ナイジェルは大学に行くために脱退した。後釜にはヒルトン・バレンタインがギターとして加入して、素晴らしいラインナップが揃ったところで、優雅さには欠ける名前ではあるけれど、”ザ・アニマルズ”が誕生したんだ。
Q:瞬く間にUKミュージックシーンで大きな存在となったわけですが、若い男子達にとって難しい事だったのでしょうか?今振り返ってみて、当時もう少し違うやり方をすればよかったと思うことはありますか?
A:全然難しくなかったよ。若いうちに世界を見て、有名になれたことがとてもエキサイティングだった。振り返って見ても、幸せな思い出ばかりで、何の後悔もないね。それに、こうすればよかったなんて思ったところで、戻ってやり直すなんて事はできないから、考えても仕方ないと思う。
Q:なぜ「朝日のあたる家」(House of the Rising Sun)をレコーディングしようと思ったのでしょうか?この曲に何か特別なものがあると気づいたのはいつでしょうか?
A:ボブ・ディランの1stアルバムで初めて聴いて、アニマルズが結成された時にアレンジして曲目に入れたいと思ったんだ。その頃、ちょうどチャック・ベリー初のUKツアーのサポートアクトとして、ブッキングされた時で。3週間のシアターツアーで、5月9日~30日まで1日2公演、満員の会場で演奏したんだ。その時に朝日のあたる家(House of the Rising Sun)を演奏していたんだけど、観客のリアクションに特別なものを感じて。ツアーが半ばに入ったところで、時間を見つけて素早くレコーディングをしたんだ。小さなデスクで一発録りをして、6月25日にリリースしたんだ。
Q:アニマルズとして、60年間演奏していますが、曲達が色々な人の記憶に残り、長年愛され続けているのはなぜだと思いますか?
A:僕は「成長した曲」だからだと思う。要は、アニマルズの曲は現実的で人々が自分に置き換えたり、共感ができるものが多い。今でも多くの若い人達がライブに来て、曲の歌詞を知っていて、気持ちがよくわかると言っているんだ。
Q:ご自身のキャリアを振り返って、音楽業界での一番の思い出は何でしょうか?
A:僕はジャズやブルース・ロックが好きで、初めてアメリカに行った時に、素晴らしいジャズのアーティスト達を見る事ができた。ニューヨーク、シカゴ、L.Aでジョン・コルトレーンやチャールズ・ミンガス、オーネット・コールマン、ディジー・ガレスピー、ビル・エヴァンス、アート・ブレイキー、クラーク・テリー、モーズ・アリソン、その他多くのアーティストがもつパワーを垣間見れた事が本当に光栄だった。
Q:アニマルズといえば、多くの日本のファンはエリック・バードンを思い浮かべます。エリックがいない編成のバンドを見ることに抵抗がある人達に何か伝えたいことはありますか?
A:今の編成はオリジナル以降最高のメンバーだと思ってる。ライブの3曲目が終わる頃までには、エリックがいなくて悲しいという事はなくなる事を保証する。きっと満足して幸せな気持ちで会場を後に出来る。
Q:近年エリックとの関係はどんな状況でしょうか?いつ話しましたか?また一緒に演奏する事はあるのでしょうか?
A:残念だけど、関係は良いとは言えないね。初めて会った時から近しい友達だったけれど、今はもう彼の事を知らない。彼は彼自身の映画の中で生きていて、僕が登場する事はない。
Q:何度か来日していますが、日本での思い出はありますか?また、滞在中にやりたいことがあれば教えてください。
A:毎回日本に来るたびに楽しんでいるけれど、今回は東京2日間だからする事が限られて来るね。リードシンガーのダニーが初めてだから彼がどんなものを見るのか楽しみだよ。
Q: 最後に、日本のファンへメッセージはありますか?
A:ぜひ会いに来て一緒に楽しい夜を過ごしましょう。外でサインや自撮りもするよ(笑)
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