今だから語るフレディ・マーキュリーと 『ボヘミアン・ラプソディ』トークイべント・レポート PART.3

写真左より増田勇一氏、東郷かおる子氏

今から45年前、クイーンを日本で初めて紹介した音楽雑誌ミュージック・ライフ。同誌の元編集長、東郷かおる子氏と増田勇一氏がクイーンと映画『ボヘミアン・ラプソディ』を語るトークイベントが、2018年12月15日開催されました。ここでは当日の模様を全3回に分けてお届けしていきます。

PART.2はこちら

2000年代のクイーン

増田:そしてこの後もお話は尽きない所なんですけど、2000年代に入ってから、今現在でいうとクイーン+アダム・ランバートのアメリカン・ツアーが決まってますけども、その前にポール・ロジャースとやったりとかがありました。ああいったフレディ不在のクイーンに関して東郷さんはどんなご意見をお持ちですか?

東郷:これはさっき控え室でも話してたんだけど、アダム・ランバートいいっすよ、考えうるパズルがハマったなって感じはしました。でもポール・ロジャースが意外と良かった。フリーの頃からヴォーカリストとして最高に上手いと思ってたし、何を歌わせても上手い──まぁ演歌歌手みたいなものですけど、クイーンでやった時は感動しましたね。だって「ボヘミアン・ラプソディ」をあんな風に歌っちゃうんだもの、地声でテープ無しで。凄いと思いました。アダム・ランバートはアダム・ランバートで凄く柄に合ってる。まぁ若いからね。一般的にフレディの幻影を求める人はポール・ロジャースは受け入れがたいが、アダム・ランバートはいいって人は多いですね。

増田:僕はポール・ロジャースを起用したのは、この大先輩を起用したら誰も文句は言わないだろう──っていう世の中に文句を言わせない人選であったはずだと思うんですけど、さすがにあれだけ完璧に歌われると何の文句も言えない。

東郷:ポール・ロジャースはブライアンと親交があったみたいで。

増田:ブライアン自身も凄く尊敬してましたから。でも僕は立派すぎちゃう気がして、何か強すぎるな──って。

東郷:自分のスタイルで歌いきるっていう。

増田:ということですよね。アダムの場合はフレディの要素を彼なりに消化してやっているんだけどもパフォーマンスとかは自分なりのことをやっている。だから音楽は崩さずに彼のパフォーマンスをしているというのができていて。お互い甲乙つけがたいというのも変ですけど。

東郷:そうですね、あとは好き嫌いの問題だから。

増田:他に誰か、ここに加わることができる人がいたとすれば…。

東郷:他にはジョージ・マイケルしかいないでしょ。

増田:一時期噂がありましたけど。

東郷:でも、やらないと思ってた。だってリスクが高いじゃないですか。ジョージ・マイケルはジョージ・マイケルで自分のステイタスを築いているのに、でもあのフレディ・マーキュリー追悼コンサートでの彼はすごかった。あそこにも私いるんですよ実際、ウエンブリーの会場に。

増田:僕もいました。

東郷:感動したでしょ。

増田:東郷さんも〈これまでご覧になったベストのコンサートは?〉とかよく聞かれると思うんですけど、これって一番難しい質問ですよね。僕はアレを答えにして逃げることが多いです。他のコンサートとは感動の種類が違うので。

東郷:なるほどね。ジョージ・マイケルの「愛にすべてを」は別格として他によかったのが「ボヘミアン・ラプソディ」をバラードの部分をエルトン・ジョンが歌ってハード・ロックになる所をいきなりアクセル・ローズがクルクル廻りながら歌うのはよくできてましたよね。

増田:エクストリームのメドレーが意外と凄かったんですよ。「ムスターファ」から始まって。

東郷:「ムスターファ」やるのって凄いですね。

増田:あとはロバート・プラントとかも。「イニュエンドウ」とかも歌えちゃうのも凄いなって。

東郷:「イニュエンドウ」はロバート・プラントのオリジナルかと思いましたよ。凄くツェッぺリンぽくやってましたよね。

増田:僕はあのとき滝のような涙だったのが、モット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども(All The Young Dudes)」をデヴィッド・ボウイ、イアン・ハンター、ミック・ロンソンがいて──という状況でやった時。

東郷:ミック・ロンソンがまだご存命で。

増田:しかもボウイもそうじゃないですか。そうやって感動的な演奏をしてる時にステージの後ろの方でデフ・レパードのメンバーがコーラスをやってるんですよ。僕はそこが凄くきて。

東郷:思い出した! ジョージ・マイケルの次によかったのがメタリカ「ストーン・コールド・クレイジー」。

増田:東郷さんはジェイムズ(ヘットフィールド)好きなんですよね。

東郷:ガッと開いた太ももが好き(笑)。でも、あの時のメタリカはカッコよかった。いやあ、あの曲はアルバムにも入ってるんだけど、まぁ選びも選んだりだよね。

増田:ハマりましたね。しかもあの時のジェイムズはギターを弾かないで歌ってたんで異常に手持ち無沙汰で(笑)。

東郷:メタル嫌いの私としてはメタリカは割と好きだったんですよ。だから彼らがあの曲をやった時は、よくやった!って思いましたね。

増田:そもそもはエレクトラ・レコード40周年のアルバムの中で、〈エレクトラのアーティストがエレクトラの曲をカヴァーする〉っていうやつで。あれは本当にハマりで、僕の周りで40歳代前半のメタル・バンドをやってる人たちも、あれでクイーンを知ったっていう人が結構いますよ。

東郷:メタリカのオリジナルだと思ったんじゃない?最初は。

増田:ええ。でも、ああいうカヴァーが語り継いでいったのかな──とも思わされました。あの追悼コンサートの時は…。

東郷:私はミュージック・ライフはもう辞めていて。ファンクラブの観覧ツアーがあったのよね?

増田:僕はBURRN!の編集部にいたんですけど、ライヴ取材を申し込むのが不可能、これ以上取材では人は入れないって状況で。僕も当時のレコード会社の担当ディレクターになんとかして見せてくれって言ったんですけど無理で。「どうしても見たいんだったらファンクラブ主催のツアーに参加するしかないよ」って。当時渡辺プロダクションが旅行会社と組んでツアーを企画していたので、そこに僕も参加して。

東郷:そこにいたんだ。

増田:そうです。団体の中に何人か関係者がいるんです、で、コンサートを見て最後の日にケンジントンのホテルで昼食会があったんですよね。

東郷:あたしもいたんじゃない?

増田:いらっしゃいました(笑)。そこで、「皆さんで〈伝説のチャンピオン〉を合唱しましょう」っていうスゴい企画があったんですけど。

東郷:私なんか恥ずかしくて下向いてました。

増田:そんな感じだったんですけど、本当にあれは行ってよかったです、行かなかったら後悔してたと思います。それで、どうですか正直なところ「ボヘミアン・ラプソディ」という映画がここまでの反響を得るとは?

東郷:思ってませんよ、誰も思ってなかったよね、こんなことになるなんて。

増田:最初、20世紀フォックスさんに声をかけていただいて、出向いて行って色々説明を受けたんですよ。そこでまず言われたのは「音楽映画ってお客さん入らないんですよ」。

東郷:特にロック映画。

増田:そこで〈「音楽映画」「ドキュメント映画」「伝記物」「ミュージカル」…この映画をどうやって打ち出すべきか。この映画はミュージカルじゃないのは明らかなので、音楽映画でドキュメンタリー性のあるもの、ドキュメンタリーって言っちゃうとあらかじめ目標が下がっちゃうのでヒューマン・ドラマとして打ち出さないとダメなんです──。見てくださいこれまでの音楽映画ってこんな惨憺たる成績なんですよ〉って数字を見せられたんですね。他のヒット映画の興行収益が、何十億って書いてあるのに、音楽絡みの映画は0.0…億って感じになっちゃってるんですよ。で、これをなんとかしたいんでどうしたらいいんでしょうね──って言ってたら、こうなっちゃったんです。

東郷:これは20世紀フォックスさんも驚いてます。最近聞いたんですけど、あの大ヒット映画『ラ・ラ・ランド』の興行成績を越したそうです。来年になるとアカデミー賞とか、その前哨戦のゴールデングローブ賞ってあるでしょ、そのゴールデングローブ賞の作品賞と主演男優賞にノミネートされちゃってるんですよ(註:結果、両賞共に受賞!)、驚きました。アメリカでもヒットしてるしイギリスでもヒットしてるし、世界的にクイーン現象が、もう一回来ちゃってるみたいですね。

増田:日本でも、サントラ盤が売れてるだけじゃなくてオリコン・チャートのベスト20にオリジナル・アルバムが何枚も入っていて、『オペラ座の夜』も60位くらいに入ってるんですよ。アメリカでもラジオのオンエアとかをベースにしたロック・チャートとか見ると、トップ10に5曲くらい入ってたりするんです。

東郷:「ボヘミアン・ラプソディ」がまたもの凄く売れてるみたいだし、あの映画『ウエインズ・ワールド』で使用されて以降ね。

増田:何回再評価されるんだ!っていうくらい。

東郷:ビートルズとかローリング・ストーンズとかそういうバンドと同じになっちゃいましたね。

増田:──同じなのか、ちょっとどこか違いますよね

東郷:何が違うのかなぁ…。もう無いってところも──ビートルズはそうですし、まぁストーンズはまだ頑張ってやってますけど。何か日本人の心の琴線に触れるバンドなんですよね。日本で最初に人気が出たというのももちろんありますけど、音楽そのものに、日本人の琴線に触れるものが多いというのが凄くあるんじゃないですか。

増田:最初はルックスで飛びついたって見る向きもありましたけど、それがあったからこそ長続きしている、持続性のあるものになっているということですね。

東郷:今回、私感心しちゃったのは、若い人が観に来てるわけですよ。始まって1週間くらいはやっぱりおじさんやおばさんが多かったのね、そうしたら最近のニュースで見てると、映画を見た20歳くらいの女の子が泣きながら話してるの、「あんなに凄い人があんなに頑張ってるのに──私も頑張ろうと思いました」って。大丈夫か?って思いましたけど(笑)。

増田:だからヒューマン・ドラマ(笑)、ある意味ストーリーも日本人の琴線に触れるんですね。

東郷:成功物語があって、孤独があって、1回落ちて、またもう1回みんなでやろう!っていう。あと、今あれほどのロック・バンドっていないじゃない。

増田:残念ながら、いないですね。

東郷:90年代後半から2000年代に入って、ロック・バンドであれだけ世の中に影響力があって、多くの人がみんな曲を知ってて大変な騒ぎになる──なんていうのがなかったから、ライブ・エイドの最後の場面を観て「これは本当のことなのか?」って若い人たちはひっくり返っちゃったみたいね──本当なんですよ。

増田:知人が中学生くらいのお子さんと一緒に観に行った時に、「ライブ・エイドを全世界19億人が同時に体験したというのは凄く羨ましく思う」ってその子が言ってたそうなんです。「多分それはYouTubeで何万回再生っていうのとは違うことでしょう」って。

東郷:自分が生きていた時代に本当にそういうことがあった、テレビだけど観たっていう原体験。

増田:クイーンもそれぞれの世代で原体験のあり方が違うわけですけど、バンドが活動を止めた時期に知った人たちも、テレビ・ドラマの主題歌で知った人も、その時代なりの原体験ってあって。どこが出発点であっても掘り下げたくなる面白さを思ってる。

東郷:まぁ、とにもかくにも曲がいいんですよ結局は。

増田:そうですね。

東郷:「伝説のチャンピオン」はスポーツ番組でよく使われるから、愛国的な歌だと思ってる人が多いと思うんですけど、全然違うんです。映画の中で「伝説のチャンピオン」の字幕が出るから分かったと思うんですけど、あれは〈俺たちはみんな人生の敗者じゃない、みんながチャンピオンなんだ〉って歌。そうやって励まされるからそれで泣いちゃう。

増田:そうですよね。だからこの映画が思いがけない程のヒットになって、これからも語り継がれて行くんでしょうし、来年はDVDとかになって出てくるでしょうし。

東郷:DVDになったら私買うわ、あれはちょっと持っておきたい。

増田:ちょこちょこ確認したいシーンもありますものね。最初の空港のシーンで荷物を積み降ろしするフレディの手が一瞬止まるところがあるじゃないですか、あれってちょっと謎でしょ。

東郷:そんなシーンあった?

増田:ある一個の荷物でフレディの手が止まったものだから作業が滞って、「このパキ野郎!」って罵声が飛ぶんですけど、あれトランクにエルトン・ジョンのパスが貼ってあるんですよ。

東郷:へえ〜、細かいね。

増田:それを確認したくてDVDを買います(笑)。たしかそうなんですよ。最初の字幕を作っていて未だ文字が入ってない状態で見せていただいた時に、もっとはっきり見えてたので覚えてたんですけど。

東郷:その後にエルトン・ジョンのマネージャー、ジョン・リードと契約するもんね。

増田:そういう伏線を張ってたのかな──って。

東郷:ジョン・リードってイヤな奴だった(笑)

増田:あの人もゲイなんですよね。

東郷:そうそう。ゲイかどうかはどうでもいいんですけど、ジョン・リードって「俺はエルトン・ジョンをやってるんだ!」っていう大御所で、自分のビジネスのやり方を押し付けてくるんです。でも日本には日本のやり方があるし、それこそ誰のお陰でこんなに立派になったんだ!って一瞬心の中で思いました。というくらいビジネスライクな人だった。

増田:まぁ、よくいるタイプっちゃいるタイプ。あの〈マイアミ〉ジム・ビーチは?

東郷:あんまり存在感なかったね。

増田:『メイド・イン・ヘヴン』が出た時にジム・ビーチが来日して、インタビューしたことがあったんですけど、凄く丁寧に答えてくださって。

東郷:フレディが亡くなった後、増田っちはブライアンに会ってるでしょ。

増田:その時は本当にバックステージで会って挨拶しただけなんですけど、「僕はミュージック・ライフをやっています」って言ったら、ブライアンが、「ミュージック・ライフか…、KOHとRUEにはとてもお世話になった」──東郷さんと長谷部さんにはとてもよくしていただいた──と。僕なんかブライアンからすれば年齢的にも若造なんですけど、「ミュージック・ライフの編集長にお会いできて光栄です」って言い方をされて、エエ〜ってなっちゃったんです。いかに諸先輩方がクイーンの歴史の中で大きかったか、それを彼ら自身がいかに認識をしてるか──ということを感じたんですね。で、ついこの間映画の俳優たちが来た時の合同インタビューに参加させていただいたんです。最後に映画会社の方が、「この方は字幕監修をしてくださった方で」と紹介した時に、ブライアン役の方が同じようなことを言ってくださったんですよ。「ミュージック・ライフの方がやってくださったのはとても光栄です」って。あれ、俺、ブライアンにもお礼言われたし──。

東郷:いい奴じゃん(笑)。私もブライアンには『イニュエンドウ』が出る少し前に電話インタビューしたことがあるんです。その時はもうミュージック・ライフは辞めていたので、ブライアンにはそれを言っておかないと…と思って、「インタビューの前だけど実は私ミュージック・ライフを辞めたのよ、今はフリーランスとして初めてあなたにインタビューするの」って言ったら「RUE、それで今、君はハッピーかい?」って。そこで「すごくハッピー」って言うのも変なんだけど、「私は満足してるしハッピーよ」って言うと、「そうか、それはよかったね」って言ってくれたの。いい人よね〜本当に。

ミュージック・ライフ Q&Aコーナー

pic: KOH HASEBE / Music Life / Shinko Music
増田:話は尽きないところですが、いくつか質問にお答えしましょう、是非。目についた順にいきましょう、
 
Q:クイーンが活動していた頃は、観客がライヴで大合唱して参加するのは珍しいことだったんでしょうか? 例えば70年代お客さんが大合唱して参加するというのはよくあることだったんでしょうか?

東郷:クイーンに限らず言えば一応ありましたよ、ディープ・パープルのコンサートとか。でも必ずそうなるとも言えなくて、でもクイーンの場合は必ずそうなってしまう曲、例えば「伝説のチャンピオン」とかがあって。ただ「ボヘミアン・ラプソディ」を一緒に歌うというのはね(笑)。70年代、それが定番だったという感じはありませんね。

増田:しかも客席から立てませんでしたから。

東郷:リッチー・ブラックモアズ・レインボーのコンサートで観客の方がお亡くなりになる酷い惨事があったので、それ以来警備が厳しくなっちゃたんですよ。

増田:座って手拍子をして手を挙げてくらいが精一杯。で、次の質問。これはもし東郷さんの記憶にあればなんですけど。
 
Q:フレディや他のメンバーのお気に入りの香水ってあったんでしょうか?

東郷:無味無臭…はっきり言って。側に行ってクンクンなんて嗅げないし。

増田:逆に、あっフレディが来た!っていう匂いとか。

東郷:ないですね。あまりそういう趣味はなかったみたい。
 
Q:私は新しいファンです。なぜフレディは多くのジャンルに渡る多彩な曲を作ることができたんだと思いますか?

東郷:それはフレディが小さな頃からロックに限らず色んなジャンルの音楽を好きだったから。例えばライザ・ミネリが好きだったし、ジャズや、モンセラート・カバリエみたいなオペラ、フランク・シナトラみたいなスタンダード・ジャズも好きだったんです。だからこれだって決めなくて色んな音楽の要素を自分の感性の赴くままにしたのが「ボヘミアン・ラプソディ」みたいな曲に結実したんだと思うんです。俺はロックのために生きる!っていうタイプの人じゃないんですよ。
 
Q:クイーンの4人の仲の良さを感じた印象的なエピソードがあれば教えてください

東郷:80年代に入ってからはみんな大人だしバラバラだったけど、初来日とかその頃は、ジョンとフレディが一緒に名古屋城に行ってやたら感激したとか、そういう観光をする時は何人か一緒に行ってましたね。リハーサルも垣間みた時は凄く真剣だったし、冗談も言ってたし。当時は〈来日したアーティストは神社仏閣に連れて行く〉というパターンがあって、何でもいいから写真を撮りまくって〈in Japan〉とかってタイトルを付ける。そうすると東京以外の、それこそコンサートも行けなかったファンにも、「ああ、日本に来たんだな」って分かってもらえるじゃないですか、それが大事なのね。

増田:それと70年代の海外取材は記者の方がアーティストと一緒に写ってる写真が必ずあって。

東郷:イヤだったんですけどね(笑)。会ってきましたよ!っていう証拠写真。でも神社仏閣で撮るとメンバーも喜んでくれました。だって彼ら日本のことなんか全く分からないわけで、最初アメリカでロジャーに会った時、「ハロー」って言っても、誰この女?って顔されましたもん。でもミュージック・ライフを見せたら態度がコロッと変わって。だって向こうの音楽誌ってペラペラのタブロイド版みたいな物が多いじゃない。あちらのプロモーションで一番大事なのは雑誌じゃなくてラジオとツアーだから。でも日本は雑誌が重要だからこんな厚いわけですよ。それを見せた途端にコロッと態度が変わって、「見て見て、これ僕が出てる!」って喜んでくれたのは覚えてます。ロジャーは若い頃可愛かった(笑)。私が最近会ったのが2011年。ロンドンでバンド結成40周年記念の
もの凄く大きなクイーン展があって、そのパーティに取材でブライアンとロジャーに10数年振りに会ったんです。ブライアンは髪が真っ白で、ロジャーもブロンドだから髪は白くて髭も白かったし、でも素敵なおじさんになってました。

増田:僕は2016年、アダム・ランバートと来日した時。でも日本ではインタビューできなかった──ライヴのある日はインタビューを受けない──ので、日本に来る前のシンガポール公演の空き日にテレビ用の取材で行ったんです。ブライアンの服装が心配だったんですけど。

東郷:昔から、何これ?って服を着てくるから。

増田:その時は凄く落ちついたシックな黒い上下でホッとしました。ロジャーはむしろお洒落ですよね。
 
Q:メンバーの好きな食べ物とかご存知ですか?


東郷:全然ご存知ない(笑)、一緒に食事もしてないし。これだけ取材してるから肩組んでルンルン〜なんて皆さん思うかもしれないけど、そんなこと全然ないですよ。そこははっきりケジメをつけてたから、あれだけきちんと取材させてくれたんだと思います。私、凄く感激したことがあって、ライブ・エイドの翌年。ライブ・エイドでバンドが起死回生で生き残ったわけじゃないですか、それからずっとヨーロッパ・ツアーをして、ライヴ・アット・ウエンブリーで大成功に終わったわけでしょ。その後、お忍びでフレディだけ日本に来てるの。普通プライベートで来たら取材なんかできないじゃないですか、そうしたら「ミュージック・ライフならいい」ってミュージック・ライフだけ取材できたんです。でも私その時海外にいて居なかった──それだけが心残りですけど、「取材させてくれてありがとうね、フレディ」って思いました。長谷部さんが撮影したんですけど、部屋中段ボールだらけで火鉢10個とか所狭しと箱が積まれていて。

増田:あれデパートで買ったんですよね、なんでそこから送ってもらわなかったんですか?

東郷:ひとつずつ開けてニマニマしたかったんじゃない(笑)。前に、フレディから、「これは伊万里で、これは九谷」って高い焼き物を見せてもらったことがあるんですけど、そんなもの触って落としたら大変でしょ、ひとつで何10万円もするんだから。だから離れて「ああ素敵ね」って。

増田:ということでお話は尽きないのですが、そろそろ時間ということで。

東郷:みなさん、楽しんでいただけましたでしょうか?(場内大拍手)

増田:私も東郷さんに、〈増田っち〉と呼ばれているのがバレてしまいました。

東郷:〈増田さん〉なんて言うと他の人みたいで。

増田:東郷さんはこの後、夜の部もあるんですが、僕はこの昼の部までで。

東郷:増田さんに拍手!(場内大拍手)

増田:東郷さん!(場内大拍手)ありがとうございました。

東郷:ありがとうございました。
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