R&Bヴォーカル・グループ、ルード・ボーイズのエドワード・“バディ”・バンクスが死去
クリーヴランド出身のR&Bヴォーカル・グループ、ルード・ボーイズ(The Rude Boys)のオリジナル・メンバーでキーボーディストだったエドワード・“バディ”・バンクス(Edward “Buddy” Banks)が12月10日に亡くなりました。死亡年齢や死因は発表されていません。
当初バンクスと4人のメンバーで結成されたルード・ボーイズは、R&B歌手のジェラルド・リヴァートに見いだされ、1990年にアトランティック・レコードからデビュー・アルバム『Rude Awakenings』を発表。リヴァートのリード・ヴォーカルをフィーチャーした同アルバムのセカンド・シングル「Written All Over Your Face」と、サード・シングルのバラード「Are You Lonely For Me」がR&Bチャートの第1位に輝きました。
その後もリヴァートとオージェイズ(The O’Jays/ジェラルド・リヴァートの父エディが在籍)のツアーで前座を務めたルード・ボーイズには、後にソウル界のスターとなるフランク・マッコム(Frank McComb)がキーボーディスト/音楽ディレクターとして参加していました。
続いて1992年にセカンド・アルバム『Rude House』をリリースしましたが、デビュー・アルバムほどの成功を収めることは出来ず、グループの解散に繋がりました。
1997年には何人かのメンバーで再結成し、アルバム『Rude As Ever』をリリースしたものの、こちらも商業的に成功しませんでした。
才能あるキーボーディストだったバンクスは、ジェラルド・リバート1995年のアルバム『Father and Son』に参加し、後に同郷のR&Bグループ、メン・アット・ラージ(Men at Large)のプロデュースも手掛けましたが、脚光を浴びていた時期は長くありませんでした。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
その後もリヴァートとオージェイズ(The O’Jays/ジェラルド・リヴァートの父エディが在籍)のツアーで前座を務めたルード・ボーイズには、後にソウル界のスターとなるフランク・マッコム(Frank McComb)がキーボーディスト/音楽ディレクターとして参加していました。
続いて1992年にセカンド・アルバム『Rude House』をリリースしましたが、デビュー・アルバムほどの成功を収めることは出来ず、グループの解散に繋がりました。
1997年には何人かのメンバーで再結成し、アルバム『Rude As Ever』をリリースしたものの、こちらも商業的に成功しませんでした。
才能あるキーボーディストだったバンクスは、ジェラルド・リバート1995年のアルバム『Father and Son』に参加し、後に同郷のR&Bグループ、メン・アット・ラージ(Men at Large)のプロデュースも手掛けましたが、脚光を浴びていた時期は長くありませんでした。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
Rude Boys『Rude Awakening』
(Atlantic)1990年
(Atlantic)1990年
Rude Boys『Rude House』
(Atlantic)1992年
(Atlantic)1992年
Rude Boys『Rude As Ever』
(Warlock Records)1997年
(Warlock Records)1997年
この記事についてのコメントコメントを投稿
この記事へのコメントはまだありません
RELATED POSTS
関連記事
-
2023.03.01 ホイットニー・ヒューストン、新ゴスペル・アルバムから「He Can Use Me」公開
LATEST POSTS
最新記事
-
2024.01.26 祝・クイーン+アダム・ランバート来日! 2024年来日公演記念特設ページ
-
2024.01.26 【新刊『QUEEN OF MY LIFE』特別企画】ぬり絵カセット・レーベル作品募集!
-
2023.03.07 直近開催予定のイベントまとめ(3/26更新)