【ミュージック・ライフ写真館】ジョージ・マイケル/ワム!【ML Imagesライブラリー】

【ミュージック・ライフ写真館/ML Imagesライブラリー 撮影:長谷部 宏、小嶋秀雄(☆) pix : Koh Hasebe, Gutchie Kojima(☆) / ML images / Shinko Music】

ジョージ・マイケルが亡くなったのはもう4年前、2016年の12月25日。奇しくも彼の歌声が鳴り響くこの季節のことでした。いくつかの病状が見受けられたとのことですが、死因としては自然死。53歳のあまりにも早すぎる死でした。本日はそんな彼の命日ということで、ワム!とソロ・アーティストとしての彼の「ミュージック・ライフ写真館」をお送りします。

といってもグループとしての活動はたった3年。間も無くソロとして再デビューを飾るも、レーベルとの関係悪化で作品をリリースしなかった期間もあり、ソロとしてのオリジナル作は5作のみ。『ミュージック・ライフ』にも鳴り物入りだったデビュー時には相当量の写真が残されていますが、日本に来たのはワム!時代にプロモーションで1回と公演で1回、ソロとしては公演での2回のみのため、トータルで残されている写真は、実はあまり多くありません。

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(以下すべての画像はタップ/クリックで拡大できます)

 

ワム!は1982年にインナー・ヴィジョンというインディーズからデビュー。アルバム『ファンタスティック!』も同レーベルから翌83年にリリースして全英で初登場1位に。しかしその後レーベルとのいざこざがあってエピックに移籍したそうなのですが、日本では『ファンタスティック!』も次作以降と同じエピックから発売されていたため、そうした経緯はあまり知られていないかもしれません。

最初の写真はそんな頃、1983年の12月にプロモーションで来日した際のもの。撮影の順序は日の陰り具合から想像するに、順に最初の3枚はおそらく新宿公園、4枚め奥には西新宿の高層ビル群が見えるので、二人の向こうに写っている空き地には現在東京都庁が建っているということになるでしょう。そして最後の2枚は代々木八幡宮のようです。当時ジョージは20歳、アンドリューの方は22歳。「あどけない」という年ではありませんが、後々の彼も知っている今見ると、どこか垢抜けない感じが微笑ましいです。

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続く6枚も同じプロモーション来日時に行なわれたスタジオでのフォト・セッション。外での撮影と打って変わって、キメキメのカットではやはりアイドル〜スターとしての、格の違うオーラを放っているように思えます。カメラ目線の笑顔も様になっており、最後の二人での2枚なんて、これそのままマクセルのCMかポスターで使われてなかったっけ?と思うほど。
こちらの2枚はおそらくこのプロモ来日時に書いてもらったと思われる、1984年の直筆グリーティング。同年2月号のアーティストからの年賀状コーナーに掲載された際は、いかにも写真に直接書き込まれているかのようになっていますが、実際には写真と手書き部分は別々だったのでした。左がジョージ・マイケル、右がアンドリュー・リッジリー。

当時の誌面によるとこの1983年のプロモーション来日は14日間にも及び、にもかかわらずその間のオフは1日だけだったとか。我が社だけでも『ミュージック・ライフ』の他に『Rio』でも二人をスタジオに招いてフォトセッションを敢行、他社の雑誌やテレビ/ラジオなど他メディアも含めるとかなりの露出だったはずで、この年のうちにマクセルのカセットテープCMにも起用されるほどに。つい先日発売された『ジャパニーズ・シングルズ・コレクション』にはDVDでそのCMも収録されているので(10月14日MLCニュース参照)、ファンの方は必携です。

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(☆)
 
出すシングルはことごとく大ヒット、彼らの姿を目にしない/曲を耳にしない日はないのではないか?という中、そのの勢いのまま84年の10月にセカンド・アルバム『メイク・イット・ビッグ』発売。「ラスト・クリスマス」が発売されたのはこの年のことで、そして年明け85年の新年早々に来日公演も実現。初日は1月5日の福岡で、東京・横浜・名古屋・大阪の全国5ヵ所での7公演でした。写真は東京・日本武道館公演のステージより。1年前のプロモーション来日の際と比べると髪も伸び、どこか風格さえ感じさせる佇まい。たった1年でこれほどまでに変わるのか……と感心せずにはおれません。

この年には中国での公演も実現させて話題を呼び、無敵状態は当分続きそうだと思われましたが、年が明けて86年には解散発表、そして6月には最後のコンサートと、まるで短距離ランナーのような実働3年間でした。しかし「ケアレス・ウィスパー」はほぼジョージのソロ名義だったこともあり、突然ではあったもののさもありなんという印象で、ファンの間でもさほど驚きはなかったのではないでしょうか。

実質的なソロ活動はアレサ・フランクリンとのデュエットからスタート。最初のアルバム『フェイス』は1987年の10月リリースで、同名シングルとともにこれが大ヒット。資料によると、ワールドワイドで累計2,000万枚以上にも上るセールスを挙げているそう。ワム!時代の記憶も色褪せぬ間に無敵状態再び! そしてその勢いのままワールド・ツアーをスタートさせたのが、ここ日本だったのでした。

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1988年2月19日、東京・日本武道館公演がジャパン・ツアーの幕開けであり、このあと10月まで続くワールド・ツアーの初日でした。頰から顎にかけて短いヒゲを蓄え、Tシャツにデニムとレザーのジャケットという『フェイス』そのままのスタイルで、ワム!時代の曲も交えつつ全13曲。東京は武道館3回とNHKホール、大阪では大阪城ホール2回、愛知では愛知県体育館1回、そして横浜文化体育館で1回の全8公演。日本とジョージ・マイケルの蜜月の頂点は、この時だったように思います。

このあと所属レーベルともめ、移籍してそれが解消されてもリリース間隔は3〜5年おきと、結果的にすっかり佳作に。ソロ・セカンド『リッスン・ウィズアウト・プレジュディス Vol.1』リリース後、1991年に再び来日して今度は東京ドームで4公演を行ないますが、残念ながら以後日本に来ることはありませんでした。
 
*     *     *

フレディ・マーキュリー他界後、クイーンはヴォーカルにポール・ロジャースを迎えて復活、その後今ではすっかりアダム・ランバートがその位置にすっかり違和感はありませんが、そこに最も相応しいのはジョージ・マイケルでは?という声はずっと絶えなかったようです。その一因……というか最大の要因は、1992年4月20日に行なわれたフレディ・マーキュリー追悼コンサートでの「サムバディ・トゥ・ラヴ」。弊社コレクションではありませんが、ジョージ・マイケルによるまさに名唱と呼ぶに相応しい何度見ても素晴らしいそのパフォーマンスで、今回の写真館の結びにしたいと思います。ではまた来年。
Queen & George Michael
Somebody to Love
(The Freddie Mercury Tribute Concert)
1960〜90年代にかけて、雑誌『ミュージック・ライフ』は、フォトグラファー長谷部 宏氏を中心にした撮影陣で、数多くの海外アーティストの写真を撮り続けて来ました。60年代にはビートルズ、70年代にはクイーン、KISS、チープ・トリック、ジャパン、80年代にはボン・ジョヴィやデュラン・デュラン……などなど、撮りためたポジ・フィルムやプリントは、数十万枚にも及ぶ量になります。しかもその貴重さは世界的レベルのため、海外からのリクエストも絶え間なく寄せられています。

現在我々は、そのコレクションを「ML Images」と名付け、膨大な量の写真を地道に整理整頓しつつ、貸し出すサービスを行なっており、ライブラリへアップロード済みの画像は目下約3万点で、現在も増え続けております。ご利用をご希望のメディア/展示スペースの方は、弊社までご連絡いただければ、具体的なご希望がない場合でもスタッフがお応えいたします。お気軽にご相談ください。メールはこちらから。

※個人の方へのご提供は行なっておりません。
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