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ジョン・レノン、エアロスミス、チープ・トリックらとの仕事で知られる名プロデューサー、ジャック・ダグラス死去
ビリー・コーガンのポッドキャスト番組でエアロスミスについて語るジャック・ダグラス
「彼はとてつもない人生を送った人で、素晴らしい語り部でもありました。とてもとてもお茶目で、おっちょこちょいで、冗談を言うのが大好きでした。自分の仕事に情熱を注ぎ、最後の最期まで仕事を続けていました。私たちはこれから、彼の不在をとても寂しく思うことでしょう」
ニューヨーク市ブロンクス生まれのダグラスは、フォーク・シンガーになることを目指して60年代を送り、1964年のロバート・ケネディの上院議員立候補時には選挙運動のために楽曲を提供したこともありました。1965年、彼はビートルズに憑りつかれた友人たち数名と共に、イギリスのリヴァプールでの音楽活動を志し、就労許可証もビザもないまま貨物船で海を渡りました。
ダグラス本人が2017年のローリング・ストーン誌のインタビューで振り返ったところによれば、彼らはイギリスの入国管理局職員に拘束されたものの、彼だけはこっそりと抜け出して上陸を果たし、早速ザ・ビートルズの『Rubber Soul』を購入した上、船内で拘束された時の体験を地元の新聞社の編集者に話しました。この記事が大きな注目を集め、ダグラスと友人たちは拘束を解かれて、強制送還される前のひととき、リヴァプールの街を楽しむことができたのだそうです。
ニューヨークに戻ったダグラスは、間もなくオーディオ・リサーチ研究所(専門学校)に入学し、卒業と共にオープンしたてのレコード・プラント・スタジオで清掃係としての仕事を確保しました。
最下層からのスタートではありましたが、ダグラスはすぐにエンジニアのアシスタントとして働くようになります。ある日、セッション前の準備として彼がジョン・レノンのためにテープの編集をしていると、レノン本人がスタジオに入って来ました。ダグラスは勇気を振り絞り、自身がリヴァプールを訪れた際の話を切り出すと、レノンは彼が新聞で読んだ “Crazy Yanks”(イカれたアメリカ野郎)のひとりであることにすぐに気づいたのです。
ダグラスは2012年にMusic Radar誌にこう語っていました。「彼(レノン)は僕と会えたことを凄く喜んでくれてね。信じられないような展開だったけど、彼は僕をトラッキング・ルームに招き入れてくれて、僕の家まで自分のリムジンで送ってくれたんだ。それから間もなく、僕は彼のレコードのアシスタントとして仕事をすることを許されたんだ。僕らは友達になったんだよ」
ダグラスはレノンの1971年のアルバム『Imagine』でエンジニアとしてクレジットも与えられています。彼はレノンと仕事を続け、更にその後はオノとも一緒に仕事をするようになりました。またそれと並行して、ザ・フーの『Lifehouse』プロジェクト(後に彼らの傑作として名高い『Who’s Next』となった)や、ルー・リードの『Berlin』、ザ・ニューヨーク・ドールズのバンド名を冠したデビュー・アルバムのセッションでも力を発揮するようになって行ったのです。
ニューヨーク・ドールズのレコードの仕事をしている最中、ダグラスはスーパー・プロデューサーのボブ・エズリンから、プロデュースの仕事をやってみてはどうかと勧められます。彼は間もなくそのチャンスを、デビュー間もないボストン出身のグループ、エアロスミスで手にすることになりました。バンドのセカンド・アルバム『Get Your Wings』では、ダグラスは複数いるプロデューサーたちのひとりとしてクレジットされていますが、続く1975年の『Toys In the Attic』では満を持して単独プロデュースに乗り出したのです。
『Toys~』は空前の大ヒットとなり、これまでにプラチナ・ディスク認定を9回受け(つまりアメリカ国内だけで900万枚以上を売り上げている証)、「Sweet Emotion」や「Walk This Way」をはじめとする大ヒット・シングルも数多く生み出しました。中でも「Walk This Way」については、スティーヴン・タイラーに歌詞の重要なインスピレーションを与えたのは他ならぬダグラスで、彼とバンドが観たばかりだったメル・ブルックス主演の『Young Frankenstein』の一場面を、彼がふざけて延々と再現していたことがきっかけだったのだそうです。『Toys~』の後、ダグラスとエアロスミスは更に1976年の『Rocks』と 1977年の『Draw the Line』という 2作のヒット・アルバムで一緒に仕事をしています。
エアロスミスとの仕事が続いていた70年代ですが、ダグラスは他のアーティストたちとも数多く仕事をしていました。彼はボブ・ディランと共に、アレン・ギンズバーグの幾つかのセッションの共同プロデュースを手掛け、ザ・パティ・スミス・グループの『Radio Ethiopia』でもプロデューサーを務めました。さらにダグラスはチープ・トリックとも密に仕事をしており、彼らのバンド名を冠したデビュー作や、1978年の出世作『Live At Budokan』も彼のプロデュース作品です。彼らは2016年にロックの殿堂入りを果たした際のスピーチで、ダグラスに対しては「一生かかっても返しきれない恩がある」と語っていました。
そして1980年、ダグラスは再びレノンとオノと組んで、結果的に彼らにとって最後の共作アルバムとなった『Double Fantasy』の制作に取りかかりました。レノン殺害から1ヶ月後の1981年1月、ローリング・ストーン誌の取材に応じたダグラスは、特にレノンにとってはその前の数年間、困難な時期が続いた後だけに、レコーディング・セッションでは一貫して祝祭的なムードが漂っていたことを回想していました。
「ジョンがとにかくどうしようもないほど落ち込んでいた時に、僕はロサンジェルスで彼と一緒に過ごしていたから言えることなんだけど、今になって少しだけ気持ちが楽になるのは、亡くなるまでのあの時期、彼は本当に幸せそうだった、恐らく今までの人生の中で一番幸せな時間を過ごしてたんじゃないかと思えるんだよ」、ダグラスはそう振り返りました。「つまり、彼は素晴らしく元気だったし、お喋りが絶えなくて、やたらジョークを飛ばしたりしててね…『Double Fantasy』のセッション中は、ビートルズの昔のレコードはどんな風に作られていたかなんてことを、いつも楽しそうに話してくれていたよ」
ダグラスはその後も数十年にわたって様々なプロジェクトに関わり、精力的に活動を続けていました。エアロスミスとは一度は袂を分かったものの、1982年のアルバム『Rock in a Hard Place』で再合流を果たしており、2004年のブルース・カバー・アルバム『Honkin' on Bobo』も彼のプロデュースによるもので、さらにエアロスミスにとって、全曲新曲で構成されているアルバムとしては現時点での最新作である2012年のアルバム『Music From Another Dimension!』にも、スタジオでは彼が作業に立ち会っていました(それと並行して、ダグラスはギタリストのジョー・ペリーのソロ・アルバムも数枚プロデュースしています)。彼がプロデューサーとしてその名をクレジットされている作品には、他にもグラハム・パーカー、ゼブラ、スターズ、スーパートランプ、スラッシュ等のアルバムが含まれています。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
エアロスミス
『闇夜のヘヴィ・ロック』
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ジョン・レノン&オノ・ヨーコ
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チープ・トリック
『チープ・トリック at 武道館』
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