今だから語るフレディ・マーキュリーと 『ボヘミアン・ラプソディ』トークイべント・レポート PART.1

写真左より増田勇一氏、東郷かおる子氏

今から45年前、クイーンを日本で初めて紹介した音楽雑誌ミュージック・ライフ。同誌の元編集長、東郷かおる子氏と増田勇一氏がクイーンと映画『ボヘミアン・ラプソディ』を語るトークイベントが、2018年12月15日開催されました。ここでは当日の模様を全3回に分けてお届けしていきます。

『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒット

増田勇一(以下増田):増田勇一です、よろしくお願いします。

東郷かおる子(以下東郷):東郷かおる子です、よろしくお願いします。
(場内拍手)

増田:寒い中お集りいただいてありがとうございます。このイベント即完というか瞬間であっという間に定員になってしまったようで。来られなかった方がたくさんいらっしゃるらしいんですよ。今、クイーンの話をしたい、聞きたいって人がすごくたくさんいらっしゃるようで。

東郷:ね〜、どうしちゃったんでしょうね。

増田:どうしちゃったんでしょうねって、東郷さん最近テレビとかでお話される機会が多いと思うんですけど。

東郷:もうねぇ疲れ果てましたね、私は。で、分かったんですけど、テレビでコメントをする方とかが別録りで出るじゃないですか、実はあのコメントの前に小一時間喋ってるんですよ。私も死ぬほど喋ったんですけど使われるの1分。

増田:いいとこ1分ですよね。

東郷:ねえ〜、こんなはずではないと思いながらも、でもクイーンのためならと一生懸命やってますけども。増田っちもそういうことがあったんじゃない?

増田:僕は東郷さんのように、当時取材を通じてメンバーを知ってる──ということがないんですよ。

東郷:また、若ぶる(笑)

増田:映画の舞台になった時代は、僕はミュージック・ライフの一読者でしたから。今テレビ番組とかを作ってる方も同じような年代の方が多いと思うんですけど。

東郷:そうですね、だから「昔、ML読んでました」っていうおじさんがいっぱいいましたね。

増田:そういった方々はやっぱり東郷さんにお話を聞きたいと思うはずで。

東郷:そうですか、それでああいう忙しい状態になったんですね。

増田:東郷さんとカメラマンの長谷部さん。お二人の目を通してクイーンのメンバーは実際どういう人たちだったのかを聞きたいと。

東郷:で、今日お集りのみなさんは、どういうお方なんでしょうか?

増田:一目では分かりかねるんですが、まず映画『ボヘミアン・ラプソディ』はご覧になってますよね。

東郷:観たって言う人手を挙げてください。

増田:3回以上ご覧になっている方。

東郷:おおお〜。

増田:5回以上。

東郷:えええ〜。

増田:10回以上。

東郷:すごい!皆さん、拍手してあげてください!(場内大拍手)

増田:クイーンのライヴを初来日から観てるという方。

東郷:さすがに・・・。

増田:初来日はいない。2回目のときは観てるぞという方。お、3回目、お、なるほど。西武球場辺りでは観てるという方──あ、いますね。

東郷:最後の1985年のを観てるという方。

増田:少し増えますね。

東郷:残念ながらクイーンのライヴは観る機会はなかった、という人。

増田:一番多い。

東郷:やっぱりね。

増田:そういう方はクイーンを知るきっかけは、ここ日本ではドラマのタイアップとかが大きかったじゃないですか、それがきっかけだった方。あ、違う?

東郷:違う──。「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」を聴いたからじゃないんだ。

増田:逆にクイーンの代表曲が「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」だって言われるとムッとする方──あ、うなずいてらっしゃいますね(笑)。

東郷:私もムッとしますね。あれ本当はクイーンの曲じゃないんだよ、ね、フレディ・マーキュリーなのよ。

増田:ということは、どちらかというと70年代終盤〜80年代初頭にクイーンを好きになって、でもライヴには足を運べなかった──もう少し早く生まれたかったっていう方が多いんですまね。

東郷:親戚のお姉さんとかお母さんがロジャー・テイラーの追っかけだったっていう人いるんじゃないですか(笑)。

増田:でも、当時はそういう人も多かったってことですよね。ま、まずは映画の話をさせていただきたいんですが、東郷さんご覧になって率直なところ如何でした?

東郷:私は試写を一回観て、公開から一週間くらい経った頃かな、今みたいにこんな大騒ぎじゃなかった頃、平日の昼間に劇場での反応が知りたくて観に行ったんですが、なんか結構混んでたんですよ、既にその時点で。それでびっくりしちゃって、私の隣の隣が50歳代のおじさんだったんですよ、その前に50代とおぼしき女性が2人いて。なんとなく視界に入るじゃないですか、そしたらまずおじさんがタオルを持って泣き出したんですよ。スゴいなって思ったら、終った頃には私の周りみんなタオルを持って泣いてましたね。

増田:東郷さんご自身は。

東郷:それを見て驚いて、涙も引っ込みましたけど(笑)。

増田:泣いたって方多いですよね。<また、泣きに行きます>っていうツイートとかってよく見るんです。

東郷:そうですね、あの応援ライヴっていう一緒に手を挙げてポーズするやつ、私、実はあれ嫌いなの。

増田:爆音上映会行かれた方いますか? あれ、なかなか楽しいですよね。

東郷:ま、周りを気にしないで歌えると。で、増田っちは字幕監修をやってるじゃないですか。あれはどういう経緯で? 字幕監修って何をやるんですか?

増田:字幕は専門の方が作られるわけなんですけど、監修はそれを手直しというか、微調整とか、音楽の映画であれば音楽的用語の訳し間違いとかありがちじゃないですか。

東郷:そうそう、ありがちありがち。

増田:すごく具体的に言うと曲のタイトルまで訳してしまったり。映画の字幕とかニュースの同時通訳とかでよくありましたよね、そういうことがないように──ということだと思うんですよ。僕は今回たまたまレコード会社の方から推薦があったみたいで、ある日突然20世紀フォックスの方から連絡をいただきまして、そういった所で名前を出してやってもらえないかという話で。

東郷:実際にやってみてどうでした?

増田:オリジナルの字幕がよくできていて──という言い方も失礼なんですけど、完成度が高くて。翻訳された方自身もクイーンのファンだそうで、すごく行き届いてたんですね。だからいわゆる間違いというのはほぼなかった。何が難しかったかというと、昔の映画ってすごく長い字幕がダラダラ出てたんですけど、今はコンパクトになってますよね、あれは、この「このシーンは何秒だから、何文字まで」というのがキッカリ決まっていて、その文字内で作らなきゃならないからなんです。それに沿って直していくのが大変でした。

東郷:そりゃ大変ね。原稿ってダラダラ書いてる方が楽だもんね。

増田:意味を正確に伝えようと思うと長い方がいいじゃないですか。で、「ここは2秒だから6文字まで」って言われるんですけど、6文字読めるんだった8文字も読めるじゃんって思うんですけど、それはダメなんです。だから具体的な所で言うと、冒頭の方でスマイルからティム・スタッフェルが辞めて、そこでロジャーが「脱退かよ」って言ってる字幕が出るんですけど、本当は「そっちを取るのかよ」っていう感じのことを言ってるんですよ。だからやるとすれば、「鞍替えかよ」とか「裏切るのかよ」とかそんなことなんですけど、それだと分かりにくいってことで。でも「脱退」って何か普通会話では使わないけど、物語の流れの中で分かりやすい、しかも短い言葉だとそれだろうということでそうなったり。

東郷:色々字幕も大変なんですね。

増田:結構手間はかかりました。

東郷:それと、最後に全部タイトルロールが終わって、フレディが「ドント・ストップ・ミー・ナウ」を歌っているところがあって、最後に、泣かせやがってこのヤローって感じで、「ショー・マスト・ゴー・オン」が流れるでしょ、知ってる人はあそこでドワッと泣く──みたいな感じになるんですけど、「ショー・マスト・ゴー・オン」だけ歌詞の訳の字幕が出ないんだよね。

増田:そうなんですよ、あれもやっぱり20世紀フォックスの本社側の意向か何からしくて。当然物語は「最後のだめ押しの泣かせ」というか、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」で一旦終わった後で、明るいけど何か寂しいという感じの中で、その後が。

東郷:さぁ泣け!って感じで来るんだけど。

増田:そこの歌詞を出してしまうと直接的過ぎるということことなのか、何か他に理由があるのか分からないんですけど。

東郷:字幕OKが出なかった。

増田:出なかったんです。当然そのサントラ盤を出してらっしゃるユニバーサルさんもそれを凄く希望したんですけど、それはダメだと。なんかそういう理屈では分からないところが結構あったようです。

東郷:でも、そうやって色々言いたいことはありますけど、私、最初ちょっと心配だったのはああいう有名人の評伝物って凄く小奇麗に優等生的に汚いところはフタをして──となるか、例えばフレディだったらゲイであるという所だけを強調した凄いスキャンダラスなものになるか、どっちかになってイヤな映画になったら嫌だなと思ってたんです。でも、ちゃんと音楽の総監督でブライアン・メイとロジャー・テイラーが名前を連ねていて、ということは彼らはちゃんと脚本も見てるしOKも出してるわけだから安心して観たんですけども、そういう意味ではとってもよく出来た映画ですよね。

増田:実際の時系列と違うんじゃないかとか、これは事実と違うぞみたいな所もあって。例えば彼氏の職業は本当は理髪師だったとか、色々ありますけど、物語を2時間半の中にコンパクトに詰め込んで、フレディはこういう人だった、こうやって人格が形成されて──と分かりやすく伝わる上では凄くよくつなぎ合わせてますよね。

東郷:フレディ・マーキュリーという人物、あるいはクイーンというバンドの本質を損なうような描き方をする所はなかったと思うんですよね。

増田:僕が最初、えっ?と思ったのは、スマイルからティムが辞めた話がありましたけど、昔読んだ本だとティム・スタッフェルとフレディ・マーキュリーは繋がっていたはず──同じ学校に通ってたはずなんだけどなぁというのがあって。

東郷:同じ美術学校に通ってた。

増田:最初に知ってる者同士なのに、なぜこういう描かれ方なんだろう?って思ったり、象徴的なこととしては、アメリカ・ツアーが決まって行ったら、いきなり「ファット・ボトムド・ガールズ」をやっていて。当時、あの曲はまだないし、しかも最初のアメリカ・ツアーの時って実際にはモット・ザ・フープルの前座だったわけで。

東郷:日本のこともほんのちょっぴりチラっとだけど出てくるのね。あれ、本来なら日本のこともちゃんとやる予定だったらしいんですよ。

増田:演奏シーンも何かであるんですよ。

東郷:ところが日本公演を入れる──武道館を借りて撮影するとなると凄いお金がかかってしまう。だから唐突にマネージャーが“次は日本ツアーだ!”となって、東洋人の女の子がキャーって騒いで──。知らない人が見たらなんなんだってなるし。

増田:アメリカに日本の女の子がいっぱい行っちゃったみたいにも見えるし。

東郷:でもまぁ、いいんでしょう、あれで。クイーンのファンならその事情をよく分かってるから、あれを入れてくれただけでもね。

増田:日本の市場は早かったっていうのが。

東郷:伝わりますよね。

『ボヘミアン・ラプソディ』で描かれた様々な人間模様

増田:そういう意味では完全に歴史に忠実ではないけれども本質はちゃんと伝わって。あの映画の中でバンドのことも印象的なんですけど、一番悪人に描かれてる人間がいるじゃないですか、ファンの方なら分かると思うんですけど。もちろんポール・プレンターのことですが。

東郷:あの方も、もうこの世の方ではないんですよね、その人にあんな風に鞭打つようなことをしていいのかしら…って。

増田:先ほど東郷さんも仰ったように、ブライアンもロジャーも脚本を読んでるわけで、一切そのことにフォローがない作りになってるということは、本当にあんな悪魔のような人だったんですか?

東郷:でしたね。当時のクイーンってそれぞれにパーソナル・マネージャーが付いていたんです。フレディを除く三人はピート・ブラウンっていう人が一人で担当して、フレディだけはポール・プレンターが一人で担当してました。それで、取材とか、こういう写真を撮りたいとか何か言う場合にはその人を通さなければいけないわけです。ピート・ブラウンにも言うと、「その時間はないな」とか「この時間だったらいいよ」っていうのがあるんですけど、ポール・プレンターは、はっきり言って嫌な奴だったんですよ、悪いけど。

増田:お仕事を通じての<嫌な奴列伝>もあると思いますけど──。

東郷:なかなか外に出せない辛さはあるんですけどね。

増田:そのトップクラスですか?

東郷:トップ・オブ・ザ・ワールドじゃないですか。

増田:えっ!

東郷:いやぁ〜本当にまいっちゃったんですよ。例えば、ライブ・エイドに出ようというのに電話を取り継がないとか、メアリーの電話を取り継がないとか──、だからきっと私の電話もああやって取り継がなかったんだろう!!って。

増田:そういうリアリティがあったと。

東郷:本当になんか笑ってしまいましたね。フレディってイギリスのプレスとは犬猿だったじゃないですか。最後の方じゃないと特に親しい人以外はインタビューをOKしなかったんですよ。ま、最初の頃イギリスのプレスからはひどいことを言われましたからね。

増田:<このアルバムが売れたら帽子を喰ってやる>とか。あれは当時<ひどい書き方をするグランプリ>でもやってたんですかね。

東郷:<グラムロックの残りカス>とかひどいですよ、日本人はそこまで言いませんよね。そういう状況だったからイギリスのプレスとは仲が悪かった。日本に対しては何のイヤな思いもないし、本当に良く思っていてくれたことは確かです。

増田:それは絶対間違いないですね。

東郷:映画の中でもフレディの部屋が映ってると謎の御札とか着物があって。

増田:あの着物もあんまりよくない物だったりするのもリアルで。

東郷:そういう細かいところもよくできてましたよね。

増田:いかにも日本のお土産で買ってきそうな物が彼の部屋にあって。僕はその時代は単純にML(ミュージック・ライフ)の読者でしたから、誌面に載ったグラビア写真とか、当時「きらめくロックの貴公子たち」っていうクイーンのヒストリー本があったんですよ、そこに<レコーディング・スタジオの空き時間を利用してやってた>とか<ダビングがすごく大変だった>とか<フレディは歯を気にしていた>とか色んなことが書かれてたんですけど、そういったものを読んだ記憶と見た記憶が、映画を観たことで頭の中でつながっていく──すごく面白い体験でした。

東郷:あと、カメオ出演がいくつかあって、みなさん分かりました? アダム・ランバートが出てたらしいのよ、私全然気がつかなかった。

増田:僕も1回目は見過ごしましたが、本人が<こういうシーンだよ>ってヒントを出したんです。<トラック、駐車場、電話、トイレ>以上のキーワードで一人しかいないな──と思うじゃないですか(笑)。

東郷:物陰から見てる。

増田:アダム・ランバートのことをフレディ・マーキュリーが見てるわけですよ。

東郷:時空を跳んでますね、なんか怖い(笑)。

増田:そういうカメオ出演もあり、細かい所で面白い物がいっぱいあって。

東郷:あと、スマイル。ティム・スタッフェルが歌う場面があるんですけど、あれは50年ぶりくらいに本当に、ティムとロジャーとブライアンがレコーディングし直したんですよ、あの「ドゥーイング・オールライト」を。ヒマだったんですね。(場内爆笑)

増田:映画が始まる時の「ファンファーレ」からしてブライアンが録ってますから。それで、スマイルの所でティムが2人に辞めるって言うシーンで、それを聞いたブライアンが「Humpy Bong」って小馬鹿にしたように言うんですけど、ハンピー・ボングって移る先のバンド名、そんなのわざわざ台詞に取り入れなくてもいいじゃないですか、誰も知らないんだから(笑)。

東郷:でも、なんかブライアンはそう言いそう(笑)。あと、ライブ・エイドの場面。映画を見た後、家へ帰ってライブ・エイドのDVDを観直しましたね。

増田:みなさんもこれやりますよね。

東郷:絶対確かめたくなる場面があるんです。

増田:まずピアノの上の飲み物。

東郷:飲み物のメーカーと位置、カメラワーク。あれって本当のステージと同じなんですって。しっかしよくやるよね。

増田:映画の世界って凄いですね。警察のプロファイリングに近いような人物分析というか。あの時にフレディが履いていた靴もアディダスに特注で頼んでリメイクしてもらったそうなんです(場内から驚きの声)。で、東郷さんはそのライブ・エイドに実際にいらしてるじゃないですか。

東郷:会場にいましたよ、約80,000人の聴衆の中に。グラウンドの中央のPAテント辺りでウロウロしてました。そんなに息が詰まる雰囲気ではなかったんですが、あのとき確か日本のフジ・テレビで中継したんです。あれはあまり評判良くなかったんですよね、スタジオでつまらないコメントを言う人がいっぱいいて。でも当時は世界中が大騒ぎしたイベントで、それが映画ではよく再現されてましたよね。もちろんステージから見た観客のシーンはCGなんだけど、本当にああいう感じでした。実は私はあのとき出演者のポール・ヤングの取材で行ったんですよ。出演者は会場の近くにいくつか押さえられたホテルに待機してる人がほとんどで、ポール・ヤングもそこに取材に行って、彼の出番一時間くらい前に取材を終えて会場に行ったんです。そこで会場を見てその人の凄さに驚いたんですよ。当時のクイーンは最後の日本公演を終えて何ヶ月かしてた頃で、日本でさんざんコンサート観たしなぁ──と、それに昼間明るい所で観るクイーンって何か変じゃないですか。で、どうなの?って思って観たわけですよ。呆然としましたね、あまりにも素晴らしくて。それまで私が観たクイーンは2時間半とかやってくれてたんですけど、あの20分間のクイーンは私が観た中で最高でした。それは断言できます。ライブ・エイドのDVDでもその片鱗は感じるんですけど、実際会場では凄かったです。

増田:あれはクイーンのためにあったようなコンサートだ──ってよく言われますけど。

東郷:映画の中でもボブ・ゲルドフが「ライブ・エイドはクイーンのためにあったようなものだね」って思わず言ってしまうくらい。私は改めてクイーンを見直しました。あの20分間は誇りうる演奏でした。

増田:映画でもラスト21分が主役みたいに描かれて居て、本当にマジックがあったというかそういう時間だったわけですね。

東郷:何が一番驚いたかっていうと、フレディ・マーキュリーのエンターテイナー振りですよ。それまでもイヤっていうくらいコンサートを観てますが、真っ昼間のステージに出て来て「デオ〜!」とか言うと、皆が集団催眠にかかったみたいに「デオ〜!」っと返すわけですよ。観てるわたしも何か巻き込まれたって感じで。

増田:東郷さんが取材から戻られたとき、僕は当時、隣のBURRN!編集部にいたんですけど、「ライブ・エイド」のTシャツをお土産でくださったんですよ。

東郷:覚えてない(笑)

増田:当時はバンドTシャツとかあまりなかった頃で、結構素材もよくなくていただいたTシャツも1回洗ったらヨレヨレになってしまって。タグをみたら<メイド・イン・パキスタン>とあって。映画でも「このパキが」って露骨に差別されてたんですけど、当時は安い労働力というかそういう物の象徴としてパキスタンが言葉としても使われてたんだろうなって気がしましたし、当時は<ゲイ>とかセクシュアリティについてももっと窮屈な時代だったわけで。

東郷:窮屈どころじゃないでしょ。カミングアウトのカの字でも言おうものなら抹殺ですよね。

増田:だからこそフレディは思い悩み孤独感に打ち拉がれたと思うんです。東郷さんにも、<あ、この人はゲイ>って思った瞬間ってあります?

東郷:いつ頃からそう思ったかは覚えてないですけど、会うたびに<この人は少なくともバイだろうな>と思いました。私、そういうのを敏感に感じるタイプなんで、女性に対するおもてなしの仕方とか、喋っているときの美意識とか。日本に来る度に二丁目とかに行ってるって話も聞いてましたから、別にそれをイヤだなとは全然思わなかったし。でも、当時はそういうことをカミングアウトしたら、ましてや大衆の前に出る人気者だったからね──でも私だけじゃなくて皆知ってました、なんとなく分かるもんですから。

次回PART.2はクイーン来日秘話を中心にお届けします。こちらからどうぞ。

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