ジャニス・ジョプリン・バンドのサックス奏者 “スヌーキー”・フラワーズが死去

中央がジャニス・ジョプリン、右端がスヌーキー・フラワーズ。画像は下の動画「Janis Joplin - Dick Cavett Show(1969)」より。
60年代後半にジャニス・ジョプリンのバック・バンドだった「コズミック・ブルース・バンド」に加入し、サックス奏者として活動していた“スヌーキー”・フラワーズ(“Snooky” Flowers)が、3月9日に死去しました。ネット上には様々な報告があるようですが、死因や年齢は分かっていません。
 
スヌーキーは、ジョプリンがビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー脱退後に結成したコズミック・ブルース・バンドに加入し、彼らが1969年の夏に発表したアルバム『I Got Dem Ol’ Kozmic Blues Again Mama !』(邦題:コズミック・ブルースを歌う)は、全米チャートの第5位を記録、ジョプリンが共同作曲した「Kozmic Blues」がマイナー・ヒットしました。このアルバムには、ロジャース&ハートのカヴァー「Little Girl Blue」や、ビージーズのカヴァー「To Love Somebody」なども収録され、スヌーキーはサックスとバック・ヴォーカルを担当しています。
Janis Joplin - Dick Cavett Show (1969)
このバンドは、1969年のウッドストック・フェスティバルにも出演しましたが、その後解散し、ジョプリンは新たなバック・バンド「フル・ティルト・ブーギー・バンド」を結成したものの、1970年10月に他界してしまいました。
 
“スヌーキー”の本名はコーネリアスで、学生時代はルイジアナのハイスクール・バンドでバリトン・ホルンを演奏していました。1964年にはアメリカ陸軍に入隊したこともありましたが、最終的にはカリフォルニアの音楽シーンに身を置くようになり、60年代から70年代にかけて、ジョプリン以外にもマイク・ブルームフィールドやエルヴィン・ビショップらと演奏していました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
Snookie Flowers
live at the 37th Haight St Fair
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