スウィートのオリジナル・ベーシスト、スティーヴ・プリーストが72歳で死去
英グラム・ロック・バンド、ザ・スウィート(The Sweet)のオリジナル・ベーシストだったスティーヴ・プリースト(Steve Priest)が6月4日、72歳で亡くなりました。
 
バンドのフェイスブックで元バンド仲間のアンディ・スコットが訃報を伝えていますが、死因は発表されていません。
「俺の心はズタズタだ。スティーヴ・プリーストが他界してしまった。俺は彼の妻モーリーンと連絡を取り合っていた。彼の健康状態は悪化していたが、この瞬間を想像したことは一度もなかった。一度もだ。俺の思いは彼の家族と共にある。
彼は、今まで一緒にプレイした中で最高のベーシストだった。俺たちがバンドとして作り上げたサウンドは非常にパワフルだった。1970年の夏、俺たちの長い音楽旅行が幕を開けた瞬間に世界が開け、俺たちが乗ったジェットコースターが動き出した。結果的に彼は心のままにアメリカへ渡った。最初はニューヨークへ、そしてロサンゼルスへと。
 
安らかに、ブラザー。愛をこめて」
 
イングランド南東部ミドルセックスのヘイズで生まれたプリーストは、ストーンズやザ・フーに影響され、10代からローカル・バンドのベーシストとして演奏し始めました。
 
1968年1月、ヴォーカリストのブライアン・コノリー、ドラマーのミック・タッカー、ギタリストのフランク・トーピーと4人組のバンドを結成しましたが、後にトーピーが脱退し、1970年にアンディ・スコットが加入、このバンドが後のスウィートになりました。
 
スウィートは70年代初期から「Blockbuster」「Hellraiser」「Ballroom Blitz」「Teenage Rampage」などがヨーロッパでトップ10入りを果たし、1975年には「Fox On The Run」が米ビルボードHot 100で第3位に、翌1976年には「Action」がヒットし、アメリカでも成功を収めています。
 
1979年にリード・シンガーのブライアン・コノリーが脱退し、プリーストはシンガーも務め3人組で活動を続けましたが、1982年にバンドは解散しました。
 
その後、ニューヨークへ渡ったプリーストは、アリーズ(Allies)というバンドを結成した後、1985年にアンディ・スコットが再結成したスウィート(Andy Scott’s Sweet)への加入を打診されましたが辞退しました。
続いてロサンゼルスに移住したプリーストは、制作やセッション・ワークにも進出し、デヴィッド・アーケンストーンや後のバンド仲間スチュアート・スミスらとコラボレーションも行なっています。
 
2008年、プリーストはアンディ・スコットのスウィートとは別に、ロサンゼルスで自身のスウィート(Steve Priest’s Sweet)を結成。アメリカとカナダでスウィートの名前とロゴを所有し、フェスティバルを中心に活動を続け、2009年にはライヴCDをリリースしています。
  バンドのフェイスブックで元バンド仲間のアンディ・スコットが訃報を伝えていますが、死因は発表されていません。
「俺の心はズタズタだ。スティーヴ・プリーストが他界してしまった。俺は彼の妻モーリーンと連絡を取り合っていた。彼の健康状態は悪化していたが、この瞬間を想像したことは一度もなかった。一度もだ。俺の思いは彼の家族と共にある。
彼は、今まで一緒にプレイした中で最高のベーシストだった。俺たちがバンドとして作り上げたサウンドは非常にパワフルだった。1970年の夏、俺たちの長い音楽旅行が幕を開けた瞬間に世界が開け、俺たちが乗ったジェットコースターが動き出した。結果的に彼は心のままにアメリカへ渡った。最初はニューヨークへ、そしてロサンゼルスへと。
安らかに、ブラザー。愛をこめて」
イングランド南東部ミドルセックスのヘイズで生まれたプリーストは、ストーンズやザ・フーに影響され、10代からローカル・バンドのベーシストとして演奏し始めました。
1968年1月、ヴォーカリストのブライアン・コノリー、ドラマーのミック・タッカー、ギタリストのフランク・トーピーと4人組のバンドを結成しましたが、後にトーピーが脱退し、1970年にアンディ・スコットが加入、このバンドが後のスウィートになりました。
スウィートは70年代初期から「Blockbuster」「Hellraiser」「Ballroom Blitz」「Teenage Rampage」などがヨーロッパでトップ10入りを果たし、1975年には「Fox On The Run」が米ビルボードHot 100で第3位に、翌1976年には「Action」がヒットし、アメリカでも成功を収めています。
1979年にリード・シンガーのブライアン・コノリーが脱退し、プリーストはシンガーも務め3人組で活動を続けましたが、1982年にバンドは解散しました。
その後、ニューヨークへ渡ったプリーストは、アリーズ(Allies)というバンドを結成した後、1985年にアンディ・スコットが再結成したスウィート(Andy Scott’s Sweet)への加入を打診されましたが辞退しました。
続いてロサンゼルスに移住したプリーストは、制作やセッション・ワークにも進出し、デヴィッド・アーケンストーンや後のバンド仲間スチュアート・スミスらとコラボレーションも行なっています。
2008年、プリーストはアンディ・スコットのスウィートとは別に、ロサンゼルスで自身のスウィート(Steve Priest’s Sweet)を結成。アメリカとカナダでスウィートの名前とロゴを所有し、フェスティバルを中心に活動を続け、2009年にはライヴCDをリリースしています。
 
             
            
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    - 
  nightowl さん投稿日時 2020.06.05 21:36 もう少しいいマネージメントと手を組んでいれば、もっと売れただろうに・・・ 
 アル中だったとはいえ、ブライアンを手放したのは痛かったね。
 The Sweetのリズム隊は、本当に素晴らしかった。
 もう一度日本に来てほしかったな。
 毎日、彼らの楽曲を聞きながら出勤しているのに残念。
 若い頃の彼は、可愛かった!
 スティーブ! 大好きだよ! R.I.P.
 
             
             
             
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