アイアン・バタフライのドラマー、ロン・ブッシーが79歳で死去

1968年のヒット曲「ガダ・ダ・ヴィダ」で知られる米サイケデリック・ロック・バンド、アイアン・バタフライ(Iron Butterfly)で長年ドラマーを務めていたロン・ブッシー(Ron Bushy)が8月29日、食道ガンのためサンタモニカの病院で死去しました。享年79。

バンドがフェイスブック・ページで訃報を伝えており、ブッシーは妻のナンシーに見守られながら、安らかに息を引き取ったそうです。
1941年にワシントンD. C.で生まれたブッシーは、海洋生物学者を目指してサンディエゴの大学に通い、ブッカー・T&ザ・MG’sの「Green Onions」を聴きながら、大学時代にドラムの演奏を始めました。

アイアン・バタフライには、ブルース・モースの後任として1966年に加入し、ブッシーはダグ・イングル(key)、エリク・ブラン(g)、リー・ドーマン(b)と共に、クラシック・ラインナップの一人となりました。バンドは1968年のデビュー・アルバム『Heavy』に続き、同年にセカンド・アルバム『In-A-Gadda-Da-Vida』(邦題『ガダ・ダ・ヴィダ』)を発表、同名のタイトル曲がヒットし、この曲で披露したブッシーの長いドラム・ソロが高く評価されました。

発売後1年以内に全世界で800万枚以上を売り上げたアルバム『In-A-Gadda-Da-Vida』は、当時のレコード史上最も売れた作品になり、結果的には全世界で3,000万枚を売り上げ、アメリカでプラチナ・ディスクに4回認定されています。

バンドは1971年に解散しましたが、ブッシーは1974年のバンド再結成時に再加入し、1977年に脱退するも、翌1978年に再び加入しました。その後、1985年に2度目の解散となったバンドは1987年に再結成し、現在に至るまでメンバー・チェンジと解散を何度か繰り返しましたが、ブッシーはバンドが1975年までに発表した全アルバムに参加した唯一のメンバーでした。

バンドは1975年以降、スタジオ・アルバムを発表していませんが、何十年にもわたりツアー活動を続け、ブッシーは2010年代半ばに健康問題を理由にツアーから引退したものの、それでも時折、バンドのゲストとして参加していました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
Iron Butterfly - Butterfly Bleu
In-A-Gadda-Da-Vida - Live 1999
商品情報
アイアン・バタフライ
『In-A-Gadda-Da-Vida』


CD(1990/10/25)輸入盤
商品情報
アイアン・バタフライ
『Iron Butterfly - Original Album Series』


5CDs(2016/11/18)輸入盤
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