パーラメント/ファンカデリックのヴォーカリスト、カルヴィン・サイモンが79歳で死去
ジョージ・クリントン率いるパーラメント/ファンカデリック(Parliament - Funkadelic)のヴォーカリストだったカルヴィン・サイモン(Calvin Simon)が1月6日、79歳で死去しました。
元バンド仲間のブーツィー・コリンズとジョージ・クリントンがSNSで訃報を伝えており、コリンズは次のように綴っています。
「パーラメント/ファンカデリックのオリジナル・メンバーをまた一人失いました。友人、バンド仲間であり、クールなクラシック・ガイだったカルヴィン・サイモンは、パーラメント/ファンカデリックの元メンバーでした。彼は1997年、Pファンクのメンバー15人と共にロックの殿堂入りを果たしました。R.I.P」
またジョージ・クリントンは、「我がPファンクのブラザー、カルヴィン・サイモン。長年にわたりパーラメント/ファンカデリックのヴォーカリストだった。カルヴィン、天国で安らかに!」と追悼しています。
元バンド仲間のブーツィー・コリンズとジョージ・クリントンがSNSで訃報を伝えており、コリンズは次のように綴っています。
「パーラメント/ファンカデリックのオリジナル・メンバーをまた一人失いました。友人、バンド仲間であり、クールなクラシック・ガイだったカルヴィン・サイモンは、パーラメント/ファンカデリックの元メンバーでした。彼は1997年、Pファンクのメンバー15人と共にロックの殿堂入りを果たしました。R.I.P」
またジョージ・クリントンは、「我がPファンクのブラザー、カルヴィン・サイモン。長年にわたりパーラメント/ファンカデリックのヴォーカリストだった。カルヴィン、天国で安らかに!」と追悼しています。

サイモンは1942年にウェストヴァージニア州のベックリーで生まれ、教会の聖歌隊で歌いながら育ちました。10代でニュージャージー州へ移住し、地元のハーモニー・グループ、クリスタルズに参加していたサイモンは、ジョージ・クリントンや後のパーラメンツのメンバーらと出会い、1955年にドゥーワップ・グループのパーラメンツを結成しました。
クリントン率いるパーラメンツは、初期の数年間ヒットに恵まれず、1967年の「(I Wanna)Testify」が全米R&Bチャートの第3位にランクインしましたが、まもなくサイモンはヴェトナム戦争に徴兵され、1968年にグループに復帰しました。
その後、グループ名を巡り契約上の問題が勃発し、クリントンがグループ名をファンカデリックに変え、5人のオリジナル・シンガーと5人のミュージシャンと共にファンク・ロック・バンドとして活動を開始。サイモンは、ファンカデリック1970年のデビュー・アルバム『Funkadelic』に収録された「I’ll Bet You」や「Qualify and Satisfy」にフィーチャーされていました。
その他にも、サイモンはザ・パーラメンツから改名したパーラメントの代表的アルバム『Mothership Connection』や『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』、ファンカデリックの『Maggot Brain』『Cosmic Slop』などに参加していましたが、1977年にクリントンとの金銭的トラブルにより、パーラメンツのオリジナル・メンバーだったファジー・ハスキンスとグラディ・トーマスと共にグループを脱退しました。
その後3人は、1981年にファンカデリック名義で『Connections & Disconnections』をリリースし、1998年には3人にレイ・デイヴィスを加えたオリジナルPを結成。オリジナルPは、1998年のアルバム『What Dat Shakin’』や2001年の『Hyped Up Westbound Soljaz』を発表し、サイモンは2007年まで在籍していました。
その後、サイモンは子供時代に大好きだったゴスペル音楽に戻り、自身のレーベル「Simon Says」を立ち上げ、2004年に初ソロ・アルバム『Share the News』をリリース。同作はゴスペル・チャートで32位にランクインし、最近では2016年のアルバム『It’s Not Too Late』に続き、2018年に『I Believe』をリリースしていました。
なお、サイモンは1997年、パーラメント/ファンカデリックのメンバーとして「ロックの殿堂」入りを果たし、20年ぶりにオリジナル・メンバーらと再会したサイモンは、「Cross Rhythms」のインタヴューで次のように語っていました。
「グループ内の摩擦や訴訟が何年にも及び、オリジナル・メンバー全員が顔を揃えたのは、あの時が初めてだった。俺がパーラメント/ファンカデリックと再びステージに立つことは2度とないだろう」
「クリントンとは何年にもわたり問題を抱えてきたが、俺はブラザーとして彼を愛している。ファミリーだからこそ起こる問題があり、その時の判断や、お互いに対する態度に同意できなくても、その愛は変わらない」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
クリントン率いるパーラメンツは、初期の数年間ヒットに恵まれず、1967年の「(I Wanna)Testify」が全米R&Bチャートの第3位にランクインしましたが、まもなくサイモンはヴェトナム戦争に徴兵され、1968年にグループに復帰しました。
その後、グループ名を巡り契約上の問題が勃発し、クリントンがグループ名をファンカデリックに変え、5人のオリジナル・シンガーと5人のミュージシャンと共にファンク・ロック・バンドとして活動を開始。サイモンは、ファンカデリック1970年のデビュー・アルバム『Funkadelic』に収録された「I’ll Bet You」や「Qualify and Satisfy」にフィーチャーされていました。
その他にも、サイモンはザ・パーラメンツから改名したパーラメントの代表的アルバム『Mothership Connection』や『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』、ファンカデリックの『Maggot Brain』『Cosmic Slop』などに参加していましたが、1977年にクリントンとの金銭的トラブルにより、パーラメンツのオリジナル・メンバーだったファジー・ハスキンスとグラディ・トーマスと共にグループを脱退しました。
その後3人は、1981年にファンカデリック名義で『Connections & Disconnections』をリリースし、1998年には3人にレイ・デイヴィスを加えたオリジナルPを結成。オリジナルPは、1998年のアルバム『What Dat Shakin’』や2001年の『Hyped Up Westbound Soljaz』を発表し、サイモンは2007年まで在籍していました。
その後、サイモンは子供時代に大好きだったゴスペル音楽に戻り、自身のレーベル「Simon Says」を立ち上げ、2004年に初ソロ・アルバム『Share the News』をリリース。同作はゴスペル・チャートで32位にランクインし、最近では2016年のアルバム『It’s Not Too Late』に続き、2018年に『I Believe』をリリースしていました。
なお、サイモンは1997年、パーラメント/ファンカデリックのメンバーとして「ロックの殿堂」入りを果たし、20年ぶりにオリジナル・メンバーらと再会したサイモンは、「Cross Rhythms」のインタヴューで次のように語っていました。
「グループ内の摩擦や訴訟が何年にも及び、オリジナル・メンバー全員が顔を揃えたのは、あの時が初めてだった。俺がパーラメント/ファンカデリックと再びステージに立つことは2度とないだろう」
「クリントンとは何年にもわたり問題を抱えてきたが、俺はブラザーとして彼を愛している。ファミリーだからこそ起こる問題があり、その時の判断や、お互いに対する態度に同意できなくても、その愛は変わらない」
安らかなる眠りをお祈りいたします。


商品詳細
Parliament
『5 Classic Albums』
5CDs(2016/7/29)輸入盤
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商品詳細
ファンカデリック
『Maggot Brain』
・Amazon Music・MP3(1971/7/12 )¥1,600
・CD(2007/7/30)輸入盤
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