バディ・ホリー&ザ・クリケッツのドラマー、ジェリー・アリソンが82歳で死去

The Crickets『The "Chirping" Crickets』(Brunswick:1957年)

ジャケット左から二人目がジェリー・アリソン。左端がニキ・サリヴァン、アリソンを挟んでバディ・ホリー、ジョー・B・モールディン。

バディ・ホリーが結成したザ・クリケッツのドラマーで、ソングライターでもあったジェリー・アリソン(Jerry Allison)が8月22日、82歳で死去しました。

バディ・ホリーの公式フェイスブック・ページで訃報が伝えられていますが、死因は発表されていません。

「ザ・クリケッツのドラマーで、バディの大親友の一人であり、何十年にもわたってドラマーたちに影響を与えてきたジェリー・‘JI’・アリソンが、本日82歳で亡くなりました。ご家族と友人の皆様に心からお悔やみを申し上げます。

JIは時代の先端を行くミュージシャンで、クリケッツとロックンロールに貢献した彼のエネルギーとアイディア、並外れた技能が、大きな成功をもたらしたのは間違いありません。バディは独創的なシンガー/ソングライターとして知られていますが、JIもまた不朽の名曲となる多くの曲を書き、インスピレーションを与えました」
1939年にテキサス州で生まれたアリソンは、50年代半ばからバディ・ホリーとコラボレーションを始め、当初二人はデュオとして活動していましたが、1957年にベーシストのジョー・B・モールディンと、リズム・ギタリストのニキ・サリヴァンが加わり、バディ・ホリー&ザ・クリケッツが結成されました。

クリケッツは同年11月、デビュー・アルバム『The “Chirping” Crickets』を発表し、ホリーとアリソン、ノーマン・ペティ(プロデューサー/エンジニア)が共作したシングル「That’ll Be the Day」がビルボード・チャートで第1位に輝き、バンドの初ヒットになりました。

またアリソンは、バディ・ホリー1958年のデビュー・アルバム『Buddy Holly』にも参加し、ドラム演奏のみならず、収録曲「Peggy Sue」と「Look at Me」をペティと共作しています。
その後、1958年にホリーだけがニューヨークへ移り、ホリーは1959年1月からウェイロン・ジェニングスらとアメリカ中西部のツアーに乗り出しましたが、2月3日にチャーター機の墜落事故により22歳の若さで他界しました。

テキサスに残っていたクリケッツは、ホリーの死後も活動を続け、エヴァリー・ブラザーズやボビー・ヴィーのバックを務めたほか、1960年から2005年にかけて、ソニー・カーティスやグレン・ハーディンをはじめとする追加メンバーらと13枚のアルバムをリリースし、アリソンは、全アルバムで演奏していました。

またアリソンは、ソニー・カーティスと共にエリック・クラプトン1970年の初ソロ・アルバム『Eric Clapton』にも参加しています。

なお、アリソンは2012年にクリケッツのメンバーとして「ロックの殿堂」入りを果たし、2016年にクリケッツの解散を発表しました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
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