デッド・ケネディーズのドラマー、D.H. ペリグロが63歳で死去

米ハード・コア・バンク・バンド、デッド・ケネディーズ(Dead Kennedys)で長年ドラマーを務めていたD.H. ペリグロ(D.H. Peligro)が10月28日、63歳で死去しました。

バンドが訃報を発表しています。
「デッド・ケネディーズのドラマー、D.H. ペリグロ(本名ダーレン・ヘンリー)が10月28日、転落(転倒)事故後の頭部外傷により、ロサンゼルスの自宅にて他界しました。葬儀については、後日お知らせいたします。皆様のお気遣いと慰めのお言葉に感謝しています」
1959年にミズリー州セントルイスで生まれたペリグロは、デッド・ケネディーズのオリジナル・ドラマー、テッドの後任として1981年に加入、バンドが同年12月にリリースしたEP「In God We Trust」でデビューしました。続いて1982年のアルバム『Plastic Surgery Disasters』、1985年の『Frankenchrist』、1986年の『Bedtime for Democracy』に参加しましたが、バンドは1986年12月に解散しました。

ペリグロは1988年、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(RHCP)のドラマー、ジャック・アイアンズの後任としてRHCPに加入し、1989年のアルバム『Mother’s Milk』(邦題『母乳』)に収録された「Taste the Pain」「Stone Cold Bush」「Sexy Mexican Maid」を共作しましたが、バンドがアルバムをレコーディングする前に解雇されました。

その後、ペリグロはデッド・ケネディーズが2001年に再結成した際に復帰し、2008年に一時的に活動停止したものの、2009年から再び復帰し、亡くなるまでケネディーズのドラマーを務めていました。

またペリグロは、ジャングル・スタッズ1986年のアルバム『Jungle Studs』や、ネイルボム1995年のアルバム『Proud to Commit Commercial Suicide』に参加したほか、自身のバンド「ペリグロ」として、1995年のアルバム『Peligro』、2000年の『Welcome to America』、2004年の『Sum of Our Surroundings』をリリースしています。

ペリグロの訃報を受け、RHCPのフリーがSNSに追悼メッセージを発表しました。

「親愛なる友人、ブラザー、キミがいなくなって本当に寂しい。 僕は今日、とめどなく涙が流れ、打ちのめされているけれど、一秒一秒を大切に生きていくよ。1981年にデッド・ケネディーズでプレイするキミを初めて見た時、そのパワー、魂、無謀なプレイに度肝を抜かれた。キミは僕の大切な友達になり、いろんなことが何度もあったね。僕らは大いに楽しみ、喜び、お互いに助け合ってきた。キミを心から愛しているよ。キミは真のロッカーで、RHCP の歴史において重要な役割を果たしてくれた。D.H. ペリグロは、僕らの心の中で永遠に生き続ける。キミはワイルドで、喜びをもたらす心の広い人だった。僕はこれからもキミを尊敬する。安らかに、そしてすべての拘束から解放されますように」
商品情報
Dead Kennedys
『Give Me Convenience or Give Me Death』


CD(2007/4/17)輸入盤
商品詳細
デッド・ケネディーズ 
『プラスティック・サージェリー・ディザスターズ/イン・ゴッド・ウィー・トラスト・インク』


CD(1997/7/2)¥2,165
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