ジェントル・ジャイアントの創設メンバー、レイ・シャルマンが73歳で死去
英プログレッシヴ・ロック・バンド、ジェントル・ジャイアント(Gentle Giant)の創設メンバー/ベーシストのレイ・シャルマン(Ray Shulman)が3月30日、73歳で死去しました。

バンドのフロントマンで兄のデレク・シャルマンが訃報を伝えており、レイは長い闘病生活の末に亡くなったそうですが、死因は発表されていません。
「私の弟で親友でもあったレイ・シャルマンが3月30日、ロンドンの自宅で亡くなり、深い悲しみに包まれています。私は、長く闘病生活を送る彼に最後まで寄り添っていました。レイは、実に多くの点で才能にあふれ、とても親切で思いやりがあり、素晴らしい作曲家、ミュージシャン、音楽プロデューサー、そしてテクノロジーの魔法使いでした。彼は真のアーティストで、裏方に徹する方を好み、自分について語るよりも、彼の一連の作品で自分を物語るのが好きでした。レイと私、兄のフィリップは、サイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウンドと、ジェントル・ジャイアントの創設メンバーでした。 彼はまた、ザ・サンデーズ、ザ・シュガーキューブス、イアン・マカロックなど、多くのアーティストをプロデュースし、最近では、技術と音楽の専門知識を他のアーティストのオーサリングとリミックスに捧げていました。 彼の死は、音楽コミュニティ全体から深く惜しまれることでしょう」
「私の弟で親友でもあったレイ・シャルマンが3月30日、ロンドンの自宅で亡くなり、深い悲しみに包まれています。私は、長く闘病生活を送る彼に最後まで寄り添っていました。レイは、実に多くの点で才能にあふれ、とても親切で思いやりがあり、素晴らしい作曲家、ミュージシャン、音楽プロデューサー、そしてテクノロジーの魔法使いでした。彼は真のアーティストで、裏方に徹する方を好み、自分について語るよりも、彼の一連の作品で自分を物語るのが好きでした。レイと私、兄のフィリップは、サイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウンドと、ジェントル・ジャイアントの創設メンバーでした。 彼はまた、ザ・サンデーズ、ザ・シュガーキューブス、イアン・マカロックなど、多くのアーティストをプロデュースし、最近では、技術と音楽の専門知識を他のアーティストのオーサリングとリミックスに捧げていました。 彼の死は、音楽コミュニティ全体から深く惜しまれることでしょう」
1949年にイングランドのポーツマスで生まれたレイは、ジャズ・トランぺッターだった父の影響でトランペットを習った後、ヴァイオリンとギターを習得、オーケストラに入る予定でしたが、兄のデレクから説得され、1966年にレイとデレク、フィルの3兄弟で、サイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウンドを結成しました。
このバンドが1970年にジェントル・ジャイアントになり、3兄弟にマルチプレイヤーのゲイリー・グリーン、キーボーディストのケリー・ミネア、ドラマーのマーティン・スミスが加わり、同年トニー・ヴィスコンティがプロデュースしたデビュー・アルバム『Gentle Giant』を発表しました。
レイはレコーディングで、ベースのほか、ヴァイオリン、リコーダー、トランペット、アコースティック/エレキ・ギターも演奏し、レイとケリー・ミネアがバンドの楽曲の大半を共作していました。
バンドは1980年の解散までに、様々なレーベルから11枚のスタジオ・アルバムをリリースしたものの、どれも商業的な大成功には至らず、1975年に発表した7作目のアルバム『Free Hand』が、ビルボード・チャートのトップ50入りを果たした唯一のアルバムになりましたが、特にジェスロ・タルとイエスのオープニング・アクトとして人気を博しました。
レイは、1980年のラスト・ツアーまで参加した後、80年代後半から90年代にかけてレコード・プロデューサーとして活動し、シュガーキューブスやサンデーズ、トラッシュ・キャン・シナトラズ、イアン・マカロック、ザ・デフェクツらを手掛けました。
また、ビデオ・ゲームの『Privateer 2:The Darkening』や『Azrael’s Tear』などの音楽制作を担当したほか、“Head-Doctor” のペンネームで、トランス音楽のEPも2枚リリースしていました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
このバンドが1970年にジェントル・ジャイアントになり、3兄弟にマルチプレイヤーのゲイリー・グリーン、キーボーディストのケリー・ミネア、ドラマーのマーティン・スミスが加わり、同年トニー・ヴィスコンティがプロデュースしたデビュー・アルバム『Gentle Giant』を発表しました。
レイはレコーディングで、ベースのほか、ヴァイオリン、リコーダー、トランペット、アコースティック/エレキ・ギターも演奏し、レイとケリー・ミネアがバンドの楽曲の大半を共作していました。
バンドは1980年の解散までに、様々なレーベルから11枚のスタジオ・アルバムをリリースしたものの、どれも商業的な大成功には至らず、1975年に発表した7作目のアルバム『Free Hand』が、ビルボード・チャートのトップ50入りを果たした唯一のアルバムになりましたが、特にジェスロ・タルとイエスのオープニング・アクトとして人気を博しました。
レイは、1980年のラスト・ツアーまで参加した後、80年代後半から90年代にかけてレコード・プロデューサーとして活動し、シュガーキューブスやサンデーズ、トラッシュ・キャン・シナトラズ、イアン・マカロック、ザ・デフェクツらを手掛けました。
また、ビデオ・ゲームの『Privateer 2:The Darkening』や『Azrael’s Tear』などの音楽制作を担当したほか、“Head-Doctor” のペンネームで、トランス音楽のEPも2枚リリースしていました。
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商品詳細
ジェントル・ジャイアント
『オクトパス』
・Amazon Music・MP3(1972/12/1)¥1,530
・CD+Blu-ray(2015/12/18)¥4,400(Blu-ray Disc付)
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Gentle Giant
『Front Row Center:US Dates 1976-1980』
10LP Box Set & 60pg Book
10LPs(2022/9/23)輸入盤
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『Civilian』
CD(2022/5/20)輸入盤
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ジェントル・ジャイアント
『フリー・ハンド』
・Amazon Music・MP3(2021/6/25)¥1,200『Free Hand(Steven Wilson 2021 Mix)』
・CD+Blu-ray(2021/7/29)¥4,950(Blu-ray Disc付)
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『ザ・パワー・アンド・ザ・グローリー』
・Amazon Music・MP3(1974/9/20)¥1,500
・CD+Blu-ray(2016/1/25)¥4,400(Blu-ray Disc付)
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