多数の大物ミュージシャンとコラボしたシンガー/ソングライター、エスラ・モホークが75歳で死去
彼女のフェイスブック・ページで訃報が伝えられており、死因は発表されていませんが、モホークはしばらくの間、ホスピスケアを受けていたそうです。
1948年にフィラデルフィアで生まれたモホーク(本名 Sandra Elayne Hurvitz)は、1964年にジェイミー・カーター名義でファースト・シングル「The Boy with the Way」をリリースした後、プロデューサーのジョージ・“シャドウ”・モートンに発掘され、シャングリラス(「I’ll Never Learn」)や、ヴァニラ・ファッジ(「The Spell That Comes After」)に曲を提供していました。
その後、1967年にフランク・ザッパと親しくなったモホークは、翌年からザッパとコラボするようになり、1968年にザッパのレーベル、ビザール・レコーズから(サンディ・ハーヴィッツ名義で)デビュー・アルバム『Sandy’s Album is Here at Last』をリリースし、同作はマザーズ・オブ・インヴェンションのイアン・アンダーウッドがプロデュースを手掛け、モホークは同バンドと共演していた時期もありました。
また1967年には、NYCのクラブ「カフェ・ア・ゴー・ゴー」でプロコル・ハルムの前座を務め、バンドの作詞家キース・リードが彼女のために「Quite Rightly So」を書き、同曲はプロコル・ハルムのセカンド・アルバム『Shine On Brightly』に収録されました。
モホークは1970年に発表したセカンド・アルバム『Primordial Lovers』が高く評価され、70年半ばに土曜朝のTVシリーズ『Schoolhouse Rock』で歌い、70年代後半からキャロル・キング、ジョン・メレンキャンプ、クール&ザ・ギャング、ジェリー・ガルシア・バンドなどのバック・ヴォーカリストを務め、80年代にはセサミ・ストリートのコーナー「Teeny Little Super Guy」のテーマ曲も歌っていました。
モホークは2019年の最新アルバム『The One and Only』に至るまで、自身のアルバムをリリースし続けましたが、主な収入源はソングライティングで、1986年にシンディ・ローパーがカヴァーした「Change of Heart」がヒットし、1989年にはティナ・ターナーが「Stronger Than the Wind」をカヴァーしていました。
また2001年には、ブルース・ミュージシャンのケブ・モと「Infinite Eyes」を共作し、この曲は彼のアルバム『Big Wide Grin』に収録されています。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
サンディ・ハーヴィッツ
『Sandy's Album Is Here At Last』
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Essra Mohawk
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