R.I.P ジョン・メイオール 1933-2024

すでに各所で報じられている通り、「英国ブルースの父」と称されるジョン・メイオールが他界しました。享年90。ここでは『ミュージック・ライフ』の記事なども交え、彼の足取りを辿っていきます。
ジョン・ブラムウェル・メイオールは1933年11月29日、英国のチェシャー州マクルスフィールドで生まれました。パブなどで演奏するギタリストだった父親マレイ・メイオールの影響でブルースの世界へと足を踏み入れ、レッドベリー、アルバート・アモンズ、パイントップ・スミスやエディ・ラングなどに夢中になり、ピアノ、ギター、ハーモニカを独学で習得。大学入学前には兵役で韓国に派遣されていたそうですが、その休暇中に訪れた日本で初めてのギターを購入したのだとか。その後マンチェスターの芸術大学を経て一旦はデザイナーとして就職。同時にセミ・プロとしてプレイしながら、1963年にプロのミュージシャンを目指してロンドンへ。我々が知る彼のキャリアはそこから始まりますが、それにあたっては前年にマンチェスターで観たアレクシス・コーナーのライヴが大きな転機となったようです。彼と親しくなるとロンドンへ来るよう説得され、当時最先端のブルース・シーンへと招かれたのでした。

拠点をロンドンへ移し1963年2月にブルースブレイカーズを結成。その後も含めメンバー構成は頻繁に変わりますが、この頃の顔ぶれにはすでにジョン・マクヴィ(フリートウッド・マック)やヒューイ・フリント(マクギネス・フリント)などの名があり、1964年のジョン・リー・フッカー英国ツアーのバックも務めました。1965年3月には最初のレコード『John Mayall Plays John Mayall』をリリースしますが、セールスはふるわず契約は解除。しかしここで最大の転機が訪れます──ギタリスト、エリック・クラプトンの加入です。

加入後も一時的な離脱(代役としてピーター・グリーンが演奏)や、ジョン・マクヴィの離脱(代役にジャック・ブルースが加入)といった紆余曲折を経つつも、当時の歴史的な音源は断片的に残され、様々な形でリリースされています。それがようやくまとまった形となったのが、1966年2月にリリースされた『ブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』でした。全英チャートでは最高位6位を記録。以後本作は現在に至るまで、ブルース・ロックのみならずロック/ポピュラー・ミュージック界における「歴史的な一枚」としての評価が揺らぎません。

ところが『ブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』のリリース前にクラプトンは新バンド、クリームを結成し、残念ながら早々にブルースブレイカーズを脱退。対策としてメイオールはピーター・グリーンを再び呼び寄せることに。そして彼の在籍時に制作/リリースされたのが、次のアルバム『A Hard Road』……なのですが、彼もまたすぐに次のステップへと歩を進め、ジョン・マクヴィとともにピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックを結成します。ちなみにドラムスのミック・フリートウッドも短期間ながらブルースブレイカーズに在籍していたことがあったため、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックは3人が「元ブルースブレイカーズ」なのでした。

その後もメンバーの出入りは頻繁にあり、次に注目すべきギタリストとして活動したのはミック・テイラー(加入当時17歳)。在籍したのは2年余りでアルバム4枚分と、前任者らに比べれば長めでしたが、彼も1969年にはローリング・ストーンズのギタリストとなるため脱退。そして70年代ストーンズの名盤群に大きく寄与することになります。

メイオールが(プロのミュージシャンとして)初めて日本にやってきたのは1970年12月のこと。上掲MLCツイッターで速報的にご紹介したのは、その模様を伝えた『ミュージック・ライフ』1971年2月号のもので、モノクロながらグラビアのトップで5ページを割いてステージや記者会見の模様をリポート(以下画像)。さらにインタヴュー・ページでもトップで彼の取材を8ページにわたって掲載。これに続く関連記事としてまとめられたB.B.キングやアイク&ティナ・ターナーを含めると、記事の最初の11ページが「ジョン・メイオール〜ブルース/R&B」特集ということになります。当時メイオールの評価がいかに高かったか、そしてブルース/ブルース・ロックがシーンの中心にあったことの証明と言っても過言ではありません(ちなみにこの時同行したギタリストはハーヴィ・マンデルで、キャンド・ヒートのギタリストとして知られていますが、ミック・テイラーが脱退したストーンズの新メンバー探し、通称「グレイト・ギタリスト・ハント」での有力候補でもありました。その演奏は『ブラック・アンド・ブルー』にも収録されています)。

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しかしこうしたML誌面でのフィーチャーぶりはブームとしてのブルース/ブルース・ロック最後の輝きであったともいえ、同特集の次に控えていたのはレッド・ツェッペリンの解説記事でした。ルーツを同じくする彼らではありましたが、その後ツェッペリンはサウンドや音楽性を変化・拡大させながら成長し、それに伴って周囲をも変化させていきます。シーンの中心は70年代に入って新たな時代を迎えつつあり、注目の焦点はメイオールのようによりストイックにブルースを希求するタイプのミュージシャンから、ツェッペリンのような新時代を感じさせるものたちへと移っていくのでした。

嫌な言い方をすれば、この頃を境として次第に彼は「時代とともに檜舞台から姿を消していった」ということになりますが、現実的には「世間の注目が別なものへと移ろっていった」だけで、彼自身の仕事ぶりはこの後もまったく変わることはありませんでした。70年代前半以後も近年に至るまで、2〜3年に1作はアルバムを出し続けていたのです。

プロとして活動をスタートさせた1963年以後、彼の活動はずっとブルースとともにあり続けました。2005年にはその活動ぶりが評価され、大英帝国勲章(OBE)を授与され、2016年にはいよいよブルースの殿堂入りを果たします。英国の白人としては、前年に殿堂入りを果たしたエリック・クラプトンに続いて二人目だったのはないでしょうか。そして実は今年、彼は「音楽的影響部門」でロックの殿堂入りを果たしました。式典は10月に開催されることになっていたので、あと数ヶ月その命が続いていれば、と思わずにいられません。これまでの自分の仕事が、また一つ評価される瞬間を目にすることができたのに……。

安らかなる眠りをお祈りいたします。

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