キング・クリムゾンの創設メンバー、作詞家のピート・シンフィールドが80歳で死去

キング・クリムゾンの創設メンバー/作詞家のピート・シンフィールド(Peter Sinfield)が11月14日、80歳で死去しました。

キング・クリムゾンの公式ウェブサイトで訃報が伝えられていますが、死因などは発表されていません。
1943年にロンドンで生まれたシンフィールドは、学生時代に言葉の持つ意味や用法に愛着心を持つようになり、あらゆる種類の文学、特に詩を読み始めました。ギターを習得した後、60年代半ばから詩を書き始め、1967年にザ・クリエイションというバンドを結成しましたが、メンバーの一人だったイアン・マクドナルドに説得され、シンガー/ギタリストから作詞家へ転向しました。

その後、イアン・マクドナルドを介し、ジャイルズ・ジャイルズ&フィリップ(マイケルとピーターのジャイルズ兄弟とロバート・フリップによるトリオ・バンド)と関わるようになり、マクドナルドが1968年後半に同バンドに加入、自身も作詞家として参加し、ピートが「キング・クリムゾン」と命名しました。

シンフィールドは、クリムゾン1969年のデビュー・アルバム『In the Court of the Crimson King』(邦題『クリムゾン・キングの宮殿』)から1971年の『Islands』に至るまで、4枚のアルバムで作詞を手掛けたほか、ステージでは照明オペレーターも担当し、アルバムのアートワークやデザインなどにも関わっていましたが、ロバート・フリップとの衝突により、1972年初頭にバンドを脱退しました。

1973年、シンフィールドはELP(エマーソン、レイク&パーマー)のレーベル、マンティコア(Manticore)から、自身がプロデュースした唯一のソロ・アルバム『Still』を発表し、ELP 1973年のアルバム『Brain Salad Surgery』(邦題『恐怖の頭脳改革』)、1977年の『Works, Vol. 1』(邦題『ELP四部作』)と『Works, Vol. 2』(邦題『作品第2番』)、1978年の『Love Beach』に作詞家として参加しました。

また、ロキシー・ミュージック1972年のデビュー・アルバム『Roxy Music』でプロデューサーを務め、シェールやセリーヌ・ディオンの楽曲にも歌詞を提供していました。

その後、節税のためイビサ島に移住したシンフィールドは、音楽業界の仕事から初めて解放され、芸術家/俳優/画家たちのサークルに参加し、それまで出来なかった旅行などに時間を費やしていたそうです。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
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