元トラフィックのデイヴ・メイスン死去
商品情報 デイヴ・メイスン & Cass Elliot『Dave Mason & Cass Elliot』
Amazon Music(MAR 01 1971)
4月18日、トラフィックの創立メンバーであり、脱退後もソロとしてエリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、フリートウッド・マックをはじめとする多くの著名なミュージシャンらと共演したデイヴ・メイスンが亡くなりました。享年79。代理人の声明によれば、メイソンはネヴァダ州ガードナーヴィルの自宅で安らかに息を引き取ったとのことで、「音楽と愛する人々への献身に満ちた素晴らしい人生でした」と付け加えています。直接の死因については現時点では不明です。
メイスンの公式フェイスブックには、家族からの投稿としてこう記されています。「彼は愛する妻ウィニフレッドと一緒に素晴らしい夕食を作った後、足元にやって来た愛犬のスター(マルチーズ)と共に昼寝を始めました。そして大好きなカーソンヴァレーの美しい景色に囲まれ、お気に入りの椅子の上で、安らかに眠ったまま息を引き取りました。まさしく物語のようなエンディング、彼らしい最期でした。彼は最後の最期まで、自分流を貫いてその生涯を終えたのです」
メイスンの公式フェイスブックには、家族からの投稿としてこう記されています。「彼は愛する妻ウィニフレッドと一緒に素晴らしい夕食を作った後、足元にやって来た愛犬のスター(マルチーズ)と共に昼寝を始めました。そして大好きなカーソンヴァレーの美しい景色に囲まれ、お気に入りの椅子の上で、安らかに眠ったまま息を引き取りました。まさしく物語のようなエンディング、彼らしい最期でした。彼は最後の最期まで、自分流を貫いてその生涯を終えたのです」
1946年にウースターシャーで生まれたメイスンは、トラフィックの結成メンバーでありフロントマンでしたが、バンド最大のヒット曲の幾つかを作詞作曲し、パフォームしたものの、ラインナップからは出たり入ったりを繰り返す変則的な在籍期間を記録しています。
シンガーでありギタリストでもあったメイスンがバンドを結成した相手は、当時まだ10代だったマルチインストゥルメンタリストで、スペンサー・デイヴィス・グループにおいて数々のヒット曲を生み出した後に同バンドを脱退していた若き天才、スティーヴ・ウィンウッドでした。同バンドでバッキング・ヴォーカルを務めていたメイスンは、ドラマーのジム・キャパルディや木管楽器奏者だったクリス・ウッドとも共演経験があり、この顔ぶれでトラフィックのラインナップが固まったのです。「スティーヴ・ウィンウッドがラインナップに入ってる時点で、このバンドは当たるってのは予見できた。問題は、一体どんなサウンドにするかってところだったんだ」
ウィンウッドの経歴のおかげで彼らはアイランド・レコードとの契約を手に入れ、デビュー・アルバム『Mr. Fantasy』のレコーディングに取り掛かりました。このアルバムには、トラフィック最大のチャート・ヒットとなった「Hole In My Shoe」(1967年に全英最高位第2位を記録)が収録されています。この曲はメイスンが作詞作曲し、歌ったものでした。
ウィンウッドの後の回想によれば、このレコーディングの時点でバンド内には不和が生じていました。「デイヴは自分が歌う気マンマンで、ひとりで書き上げた曲をスタジオに持って来て、僕ら全員に何をどう演奏して欲しいか、一方的に指示してくるんだ。話し合いの余地も何もあったもんじゃない、僕らに対してはまるで自分のバックバンドみたいな扱いなんだよ」。メイスンは1967年にトラフィックを脱退しますが、2024年に『ガーディアン』紙に語ったところでは、その理由は「時代を超えて愛される曲を書くには、もっと人生経験を積む必要があると気づいたから」だったのだそうです。
しかしやがて彼はバンドに復帰し、バンド名を冠したセカンド・アルバムの収録曲の半分を作詞作曲しています。その中には、メイスンがリード・ヴォーカルを取ったバンドの代表曲「Feelin' Alright?」も含まれていました。トラフィックのヴァージョンはそれほど大きなヒットにはならなかったものの、この曲はその後思いがけないほどの人気を集め、ジョー・コッカー、ルル、ジャクソン5、グラディス・ナイト、ポール・ウェラーなど、数多くのアーティストによってカヴァーされています。
シンガーでありギタリストでもあったメイスンがバンドを結成した相手は、当時まだ10代だったマルチインストゥルメンタリストで、スペンサー・デイヴィス・グループにおいて数々のヒット曲を生み出した後に同バンドを脱退していた若き天才、スティーヴ・ウィンウッドでした。同バンドでバッキング・ヴォーカルを務めていたメイスンは、ドラマーのジム・キャパルディや木管楽器奏者だったクリス・ウッドとも共演経験があり、この顔ぶれでトラフィックのラインナップが固まったのです。「スティーヴ・ウィンウッドがラインナップに入ってる時点で、このバンドは当たるってのは予見できた。問題は、一体どんなサウンドにするかってところだったんだ」
ウィンウッドの経歴のおかげで彼らはアイランド・レコードとの契約を手に入れ、デビュー・アルバム『Mr. Fantasy』のレコーディングに取り掛かりました。このアルバムには、トラフィック最大のチャート・ヒットとなった「Hole In My Shoe」(1967年に全英最高位第2位を記録)が収録されています。この曲はメイスンが作詞作曲し、歌ったものでした。
ウィンウッドの後の回想によれば、このレコーディングの時点でバンド内には不和が生じていました。「デイヴは自分が歌う気マンマンで、ひとりで書き上げた曲をスタジオに持って来て、僕ら全員に何をどう演奏して欲しいか、一方的に指示してくるんだ。話し合いの余地も何もあったもんじゃない、僕らに対してはまるで自分のバックバンドみたいな扱いなんだよ」。メイスンは1967年にトラフィックを脱退しますが、2024年に『ガーディアン』紙に語ったところでは、その理由は「時代を超えて愛される曲を書くには、もっと人生経験を積む必要があると気づいたから」だったのだそうです。
しかしやがて彼はバンドに復帰し、バンド名を冠したセカンド・アルバムの収録曲の半分を作詞作曲しています。その中には、メイスンがリード・ヴォーカルを取ったバンドの代表曲「Feelin' Alright?」も含まれていました。トラフィックのヴァージョンはそれほど大きなヒットにはならなかったものの、この曲はその後思いがけないほどの人気を集め、ジョー・コッカー、ルル、ジャクソン5、グラディス・ナイト、ポール・ウェラーなど、数多くのアーティストによってカヴァーされています。
その後、メイスンは再びグループを離れますが、今度は脱退ではなく解雇でした。1968年12月、バンドのミーティングとして呼び出されたメイスンに、ウィンウッドは単刀直入に告げたと言います。「僕はキミの曲の書き方が好きじゃない。キミの歌い方も好きじゃない。プレイの仕方も好きじゃない。そして僕らはもうキミにはこのバンドにいて欲しくない」
トラフィックを自分にとっての究極のバンドと位置付けていたメイスンにとって、これは頭を殴られたような衝撃であり、打ちひしがれた彼はバンドを去るしかありませんでした。
それから2枚のアルバムを出した末にトラフィックが解散すると、メイスンは自らの解雇がウィンウッドの嫉妬に端を発したものだったと主張しました。当時のバンドの最もよく知られていた曲はいずれもメイスンのオリジナルだったからです。「たまたま俺の書く曲がコマーシャルだったってだけなんだよ」彼は2024年の『ガーディアン』紙のインタヴューで語っていました。「でもそれが、あいつにとっては脅威だったんだろうな」
トラフィック脱退後の彼はしかし、そこからソロとして目覚ましいキャリアをスタートさせます。手始めはジミ・ヘンドリックスとの共演で、「All Along the Watchtower」でアコースティック・ギターを、「Crosstown Traffic」ではバッキング・ヴォーカルを担当。ザ・ローリング・ストーンズの “Street Fighting Man” の曲作りにも貢献しました。デラニー&ボニーのツアーに参加し、そこでジョージ・ハリスンと近づきになると、彼の名作『All Things Must Pass』にも関わり、更にエリック・クラプトンのグループ、デレク&ザ・ドミノズにも僅かの間ですが参加しています。トラフィックのジム・キャパルディとも再び合流を果たし、彼の1972年の初ソロ・アルバム『Oh How We Danced』で「Big Thirst」を共作しました。
セッション・ミュージシャンやツアー・ミュージシャンとしての活動と並行して、彼はソロ・アーティストとしても成功を収めており、これまでに15枚のスタジオ・アルバムをリリースしています。そのうち最初の7枚(ママス&パパスのキャス・エリオットとのデュオ・アルバムを含む)は全米トップ50入りを果たし、彼の最大のヒット作となった1977年の『Let It Flow』はプラチナ・ディスクを獲得。ここからはヒット・シングル「We Just Disagree」も生まれました。
トラフィックを自分にとっての究極のバンドと位置付けていたメイスンにとって、これは頭を殴られたような衝撃であり、打ちひしがれた彼はバンドを去るしかありませんでした。
それから2枚のアルバムを出した末にトラフィックが解散すると、メイスンは自らの解雇がウィンウッドの嫉妬に端を発したものだったと主張しました。当時のバンドの最もよく知られていた曲はいずれもメイスンのオリジナルだったからです。「たまたま俺の書く曲がコマーシャルだったってだけなんだよ」彼は2024年の『ガーディアン』紙のインタヴューで語っていました。「でもそれが、あいつにとっては脅威だったんだろうな」
トラフィック脱退後の彼はしかし、そこからソロとして目覚ましいキャリアをスタートさせます。手始めはジミ・ヘンドリックスとの共演で、「All Along the Watchtower」でアコースティック・ギターを、「Crosstown Traffic」ではバッキング・ヴォーカルを担当。ザ・ローリング・ストーンズの “Street Fighting Man” の曲作りにも貢献しました。デラニー&ボニーのツアーに参加し、そこでジョージ・ハリスンと近づきになると、彼の名作『All Things Must Pass』にも関わり、更にエリック・クラプトンのグループ、デレク&ザ・ドミノズにも僅かの間ですが参加しています。トラフィックのジム・キャパルディとも再び合流を果たし、彼の1972年の初ソロ・アルバム『Oh How We Danced』で「Big Thirst」を共作しました。
セッション・ミュージシャンやツアー・ミュージシャンとしての活動と並行して、彼はソロ・アーティストとしても成功を収めており、これまでに15枚のスタジオ・アルバムをリリースしています。そのうち最初の7枚(ママス&パパスのキャス・エリオットとのデュオ・アルバムを含む)は全米トップ50入りを果たし、彼の最大のヒット作となった1977年の『Let It Flow』はプラチナ・ディスクを獲得。ここからはヒット・シングル「We Just Disagree」も生まれました。
商品情報
デイヴ・メイスン『アローン・トゥゲザー 』
Amazon(2010/11/24)¥1,559
デイヴ・メイスン『Alone Together Again』
Amazon Music(DEC 04 2020)
デイヴ・メイスン『アローン・トゥゲザー 』
Amazon(2010/11/24)¥1,559
デイヴ・メイスン『Alone Together Again』
Amazon Music(DEC 04 2020)
左はメイスンの初ソロ『Alone Together』(Blue Thumb:1970)。LPは変形ジャケットの代表格の一枚として有名。右は2022年にリリースされた『Alone Together Again』(Barham Productions Inc.:2022年)で、CDサイズで『Alone Together』アートワークを再現。CDは公式サイトでのみ販売された。共に中央部分がジャケットとなる。
彼はまた、エレキギター会社RKSを設立し、その楽器はローリング・ストーンズのメンバーをはじめとする多くのミュージシャンに使用されています。
その後も数々のアーティストたちとの共演を続けた彼は、1990年代にはミック・フリートウッドの誘いでリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが脱退した後のフリートウッド・マックに迎えられ、ツアーやアルバム『タイム』のレコーディングにも参加しています(ただし、クリスティン・マクヴィーは生前、メイスンとの仕事上の関係を「非常に険悪だった」と述べていました)。
長年様々な出来事が積み重なった結果、彼には “扱いにくい” 人物という評判がつきまとうことになりましたが、「俺に言わせれば、扱いにくいのは向こうだよ」と彼は反論しています。「俺にとっては自分のアーティストとしての信念だけが頼りなんだ。こいつは俺の生業なんだからさ。『不用意に手ェ出すんじゃねえ!』ってことだよ」
しかし、彼がそうした姿勢を貫く中、一度こじれた関係は容易に修復しませんでした。2003年、トラフィックがロックの殿堂入りを果たした際、パフォーマンスのコーナーで、メイスンは自分たちが音楽界初のジャム・バンドの代表格であることを強調するため、ウィンウッドと「Dear Mr. Fantasy」でギター対決をすることを提案します。が、ウィンウッドは自分ひとりでギターを担当することを主張、メイスンにベースを担当するよう言い渡し、メイスンはこれをきっぱりと拒否して、ステージにも上がりませんでした。「あれじゃまるでスティーヴ・ウィンウッドのショーみたいじゃないか」とメイスンは語っていたと伝えられています。
険悪な関係はなんとメンバーの死後も続きました。2017年、キャパルディが亡くなってしばらく経ってから、メイスンは雪解けの兆しを感じ取り、トラフィック名義でウィンウッドとツアーを行うことを提案します。しかしウィンウッドは、キャパルディが臨終の際、二度とバンド名義でツアーをしないと約束させたとして、これを却下しました。「臨終の際にそんな約束をさせるなんて、どうかしてるとしか言いようがないだろ」メイスンはキャパルディの要求について、「まるでマキャベリの世界じゃないか」と語っています。
2024年、彼は自身の往年のバンドへの復帰を力業で実現させ、「トラフィック・ジャム」名義でバンドの往年の楽曲を再構築し全米ツアーを敢行、同年に回顧録『Only You Know & I Know』を出版していました。しかしツアー半ばで受けた定期検診で深刻な心臓疾患が見つかったため、その年のツアーの残りの日程をキャンセル。2025年3月には「深刻な感染症が急速に悪化した」ことを理由に入院し、秋にはツアーからの引退を発表していました。
なお、今回の訃報を受け、スティーヴ・ウィンウッドは以下のようなお悔やみのコメントを出しています。「デイヴ・メイスンの訃報に接し、深い悲しみに沈んでいます。デイヴはトラフィックの最初期からのメンバーであり、当時のバンドのサウンドとアイデンティティの形成に重要な役割を果たしました。彼のソングライティング、演奏技術、そして独特の精神性は、時代を超えて長く愛され、世界中のリスナーにとって今もなお大きな意味を持つ音楽を生み出すのに貢献しました」
「彼と共に過ごしたあの時代はバンドの歴史の中でも特別な時期であり、デイヴの貢献は決して忘れられることはないでしょう。彼の存在はバンドの歴史の中で永遠に記憶され、音楽を通して彼という存在は生き続けます。この悲しみの時に、彼の家族、友人、そして彼と彼の音楽を愛したすべての人々に心からお悔やみを申し上げます」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
その後も数々のアーティストたちとの共演を続けた彼は、1990年代にはミック・フリートウッドの誘いでリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが脱退した後のフリートウッド・マックに迎えられ、ツアーやアルバム『タイム』のレコーディングにも参加しています(ただし、クリスティン・マクヴィーは生前、メイスンとの仕事上の関係を「非常に険悪だった」と述べていました)。
長年様々な出来事が積み重なった結果、彼には “扱いにくい” 人物という評判がつきまとうことになりましたが、「俺に言わせれば、扱いにくいのは向こうだよ」と彼は反論しています。「俺にとっては自分のアーティストとしての信念だけが頼りなんだ。こいつは俺の生業なんだからさ。『不用意に手ェ出すんじゃねえ!』ってことだよ」
しかし、彼がそうした姿勢を貫く中、一度こじれた関係は容易に修復しませんでした。2003年、トラフィックがロックの殿堂入りを果たした際、パフォーマンスのコーナーで、メイスンは自分たちが音楽界初のジャム・バンドの代表格であることを強調するため、ウィンウッドと「Dear Mr. Fantasy」でギター対決をすることを提案します。が、ウィンウッドは自分ひとりでギターを担当することを主張、メイスンにベースを担当するよう言い渡し、メイスンはこれをきっぱりと拒否して、ステージにも上がりませんでした。「あれじゃまるでスティーヴ・ウィンウッドのショーみたいじゃないか」とメイスンは語っていたと伝えられています。
険悪な関係はなんとメンバーの死後も続きました。2017年、キャパルディが亡くなってしばらく経ってから、メイスンは雪解けの兆しを感じ取り、トラフィック名義でウィンウッドとツアーを行うことを提案します。しかしウィンウッドは、キャパルディが臨終の際、二度とバンド名義でツアーをしないと約束させたとして、これを却下しました。「臨終の際にそんな約束をさせるなんて、どうかしてるとしか言いようがないだろ」メイスンはキャパルディの要求について、「まるでマキャベリの世界じゃないか」と語っています。
2024年、彼は自身の往年のバンドへの復帰を力業で実現させ、「トラフィック・ジャム」名義でバンドの往年の楽曲を再構築し全米ツアーを敢行、同年に回顧録『Only You Know & I Know』を出版していました。しかしツアー半ばで受けた定期検診で深刻な心臓疾患が見つかったため、その年のツアーの残りの日程をキャンセル。2025年3月には「深刻な感染症が急速に悪化した」ことを理由に入院し、秋にはツアーからの引退を発表していました。
なお、今回の訃報を受け、スティーヴ・ウィンウッドは以下のようなお悔やみのコメントを出しています。「デイヴ・メイスンの訃報に接し、深い悲しみに沈んでいます。デイヴはトラフィックの最初期からのメンバーであり、当時のバンドのサウンドとアイデンティティの形成に重要な役割を果たしました。彼のソングライティング、演奏技術、そして独特の精神性は、時代を超えて長く愛され、世界中のリスナーにとって今もなお大きな意味を持つ音楽を生み出すのに貢献しました」
「彼と共に過ごしたあの時代はバンドの歴史の中でも特別な時期であり、デイヴの貢献は決して忘れられることはないでしょう。彼の存在はバンドの歴史の中で永遠に記憶され、音楽を通して彼という存在は生き続けます。この悲しみの時に、彼の家族、友人、そして彼と彼の音楽を愛したすべての人々に心からお悔やみを申し上げます」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
Dave Mason
『A Shade of Blues』
・Amazon Music(MAR 21 2025)
・Amazon(2025/3/21)輸入盤CD
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商品詳細
トラフィック
『Traffic』
Amazon(2000/1/11)輸入盤CD
トラフィック
『Traffic』
Amazon(2000/1/11)輸入盤CD
商品詳細
デイヴ・メイスン
『マリポーサ・デ・オロ/オールド・クレスト・オン・ア・ニュー・ウェイヴ 』
Amazon(2026/4/18)¥4,180
デイヴ・メイスン
『マリポーサ・デ・オロ/オールド・クレスト・オン・ア・ニュー・ウェイヴ 』
Amazon(2026/4/18)¥4,180
商品詳細
デイヴ・メイスン
『デイヴ・メイソン/スプリット・ココナッツ』
Amazon(2026/4/18)¥4,180
デイヴ・メイスン
『デイヴ・メイソン/スプリット・ココナッツ』
Amazon(2026/4/18)¥4,180
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