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ジャズ・サックス界の巨匠であり偉大なる即興演奏家、ソニー・ロリンズ死去

ソニー・ロリンズ『ソニー・ロリンズ Vol. 2』(Blue Note:1957)
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ジャズ・サックス奏者、ソニー・ロリンズが亡くなりました。享年95。公式の訃報の言葉を借りれば「20世紀以降のアメリカ音楽界において、最も尊敬され、影響力のある人物の一人」であり、またジャズ界のみならず、ザ・ローリング・ストーンズとの活動を通してロック・ファンにも知られた彼は、文字通りのジャズ・サックスの巨匠でした。彼は2014年に肺線維症により事実上演奏活動からの引退を示唆していましたが、直接の死因は現時点では明らかにされていません。
1930年、ニューヨーク州ハーレムで生まれたロリンズは、幼い頃からジャズに親しみ、最初はピアノを弾いていましたが、途中でサックスに転向しました。「7歳の時に母が初めてのサキソフォン、アルト・サックスを買い与えてくれたんだ。サックスを手にして自分の部屋に入り、演奏し始めたら、もうすっかり夢中になってね」と、ロリンズは『ジャズ・タイムズ』誌に語っていました。「まるで天国の最上階にいるようだった。母に『晩ご飯の時間だよ、出ておいで』と呼ばれなければ、永遠に演奏し続けていたかも知れない。独りでプレイするのはいまだに好きだよ。練習をしているのと当時に、音楽の女神と対話をしてるんだ」

彼はまだハイスクールに通っていた頃から、同じハーレム出身だった同級生のジャッキー・マクリーンやアート・テイラーと共にテナー・サックスの腕を磨き、卒業後すぐにトランペット奏者のファッツ・ナヴァロやピアニストのバド・パウエルといったビバップ界の大物たちが率いるバンドに加わります。ロリンズの初期のレコーディング作品の一つは、1951年のアルバム『ジ・アメイジング・バド・パウエル』で、これはロリンズが後に開拓するハードバップというジャンルの試金石となりました。

ロリンズの成長曲線は、武装強盗による服役とヘロイン中毒によって一時途絶しましたが、1950年代半ばには何とかドラッグから足を洗うことができました。またその苦闘のさなかにあっても、マイルス・デイヴィスのアルバム『Dig』を生み出した歴史的な1951年のセッションには参加することができたのです。デイヴィスと重ねられた更なるセッションは、アルバム『Collectors’ Items』と『Bags Groove』に結実し、中でも後者にはロリンズが書いた代表曲「オレオ」が収録されました。この曲はジャズのスタンダードとなり、デイヴィス、コルトレーン、エリック・ドルフィーをはじめとする数多くのミュージシャンによって演奏されることとなりました。
Un Poco Loco
Dig (1951)
1940年代後半から2014年の事実上の引退まで、数十年にわたる彼のキャリアの中でも、1950年代は恐らく充実していたと言えるのではないでしょうか。この時期、彼はバンド・リーダーとして最も重要な一連のアルバムを制作しただけでなく、セロニアス・モンク(『モンク』『ブリリアント・コーナーズ』)、ディジー・ガレスピー、マックス・ローチ、そしてデイヴィスらのジャズの名盤にサイドマンとして参加していました。

1950年代半ば、ボブ・ワインストックのプレスティッジ・レコード所属のレコーディング・アーティストとなったロリンズは、『Sonny Rollins With the Modern Jazz Quartet』『Moving Out』『Work Time』『Sonny Rollins Plus 4』、そして『Tenor Madness』(タイトル曲ではロリンズが新進気鋭のジョン・コルトレーンと共演)といったアルバムを次々に世に送り出した後、バンドリーダーとしての彼の最高傑作とされる1957年の『Saxophone Colossus』を録音します。「僅か5曲、40分未満という短いアルバムだが、その音楽の質の高さは、60年以上にわたりジャズ・ファンの間で高く評価されてきた。ドラマーのマックス・ローチ、ベーシストのダグ・ワトキンス、ピアニストのトミー・フラナガンという強力なリズムセクションに支えられ、ロリンズは力強く、優雅に、そしてユーモアを交えながらソロを披露している」とは、このアルバムが米国議会図書館に登録された際に添えられた紹介文の一部です。

更にこの『Saxophone Colossus』セッション から1年も経たないうちに、ロリンズはそれまで一緒に演奏したことのない2人のミュージシャン、ベーシストのレイ・ブラウンとドラマーのシェリー・マンと共にロサンジェルスのスタジオに集まり、深夜のセッションを行ないます。そこで生まれたのが、こちらもまたジャズの傑作と名高い『Way Out West』 です。このアルバムで採用された、ピアノ奏者を入れないシンプルな編成(ジャズ界では最初期の編成の一つ)について、ロリンズは「正直、もし思い通りにできるなら、自分としてはサックス、ドラム、ベースの編成が好みなんだ」と語っていました。「それがアーティストに最も大きな影響力と創造の自由を与えてくれると思う」
Tenor Madness by Sonny Rollins from 'The Complete Prestige Recordings' Disc 5
Sonny Rollins - St. Thomas (Official Audio) from Saxophone Colossus
しかしながら、スターダムにのし上がろうとしていたまさにその矢先、ロリンズは1959年から1962年までの3年間、レコーディングと公の場でのライヴ活動を休止します。彼としては自身の演奏に満足がいかなかったことが動機でしたが、この行動は彼の才能に対する人々の興味をなお一層かき立てる結果となりました。彼は1961年に華々しい復帰を果たし、そこから更に革新的で強い影響力を放ち続けるキャリアを築き上げていったのです。

その60年以上のキャリアで、100枚以上のアルバムに参加しているロリンズは、1981年には、ロック界を代表するバンド、ローリング・ストーンズとも共演を果たしています。きっかけはドラマーのチャーリー・ワッツがバンドメンバーに彼を推薦したことでした。

ワッツは2010年にロリンズについてこう語っています。

「世の中にはカッと一瞬燃えるように輝いて、すぐに消えてしまう人もいれば、いつまでも燃え尽きることなくあかあかと輝き続ける人もいる。そういう人には誰もが敬意を払うべきだ。ソニーはこれまで一度も駄作を作ったことがないんだ──ただ、他の作品よりも優れたものがあるだけでね」

「彼が立ち上がってプレイすれば、サキソフォン奏者は一人残らず畏怖のまなざしで彼を見つめるんだよ。彼は今もステージに立ち続ける最後の勇者であり、当時と変わらず素晴らしい演奏を今も続けている。彼は今もなお、その道の頂点にいるんだ。時間制限なんてないに等しいっていうのは素晴らしい刺激だが、あのレベルで演奏できる人はごくわずかだ」

ミック・ジャガーはニューヨークで共通の友人を介してロリンズと知り合い、1981年のアルバム『Tatoo You』への参加を彼に依頼しましたが、内心は半信半疑でした。ロリンズの方も決して最初から乗り気だったわけではなく、最終的に承諾したのは、彼の妻の強い勧めによるものでした。
 
ロリンズは2020年に『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材でこう振り返っています。

「『おいおい、ローリング・ストーンズだってさ。ローリング・ストーンズなんて、絶対に一緒にレコードを作りたくないよ』って言ったんだ。彼らのことは──これは誤解だったんだけど──ジャズのレベルには達していないと思っていたんでね。でも妻が『ダメダメ、絶対にやるべきよ』って言うから、『よし、じゃあ彼らのやっていることに共感できるかどうか、できる限り良いサウンドにできるかどうか、試してみようじゃないか』って言ったんだ」

ロリンズは最終的に同作の3曲に参加──「Slave」「Neighbours」、そして彼の貢献が最も顕著な「Waiting on a Friend」です。この曲元を辿ればジャガーが長年完成させようと苦心していた古いアイデアでしたが、ロリンズの参加は魔法のような効果を生み出しました。

ミック・ジャガーは、自身のパートを録音するためにスタジオに姿を現わしたロリンズに尋ねた時のことをこう回想します。「『俺、このままスタジオに残ってた方がいいですか?』って訊いたんだよ。そしたら、『そうだね、どこで俺にプレイして欲しいのか箇所を指定して、ダンスでそのパートを表現してみてくれよ』って言われたんだ」

ロリンズのエモーショナルな演奏は、「Waiting on a Friend」の中で最も印象的な要素の一つとなり、この曲はラジオでヒットし、「ビルボード・ホット100」でも最高13位を記録しました。
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コラボレーションは成功したにもかかわらず、ローリンズはストーンズからのツアー参加の誘いを断りました。彼は後に、ロック・ミュージシャンたちとは精神的な部分でどうしても絆を感じることができなかったのだと認めています。

「彼らに共感できなかったのは、彼らのやってる音楽はあくまでブラック・ブルーズの模倣だとしか思えなかったからなんだ」と彼は述べましたが、それに続けて次のような逸話を語りました。「でもね、今でも覚えてるんだけど、ある時ニューヨーク州ハドソンのスーパーマーケットで買い物をしてたら、店内にトップ40レコードが流れていたんだ。で、ある曲が聴こえて来た時に、『これは誰だ?』って思った。そのプレイが心の琴線に触れる感覚があったんだ。しばらくして気づいた、『待てよ、これ俺だ!』。あのローリング・ストーンズのレコードでプレイした、自分の演奏だったってわけさ」

ロリンズはこれまでに様々な栄誉にも輝いています。グラミー賞を2度受賞し、2004年には生涯功労賞も受賞しました。デューク大学、ウェズリアン大学、ジュリアード音楽院、バークリー音楽大学など、10以上の大学から名誉博士号を授与されており、2011年にはケネディ・センター名誉賞も受賞しています。

彼が21世紀に発表した注目すべき作品の一つは、2001年9月11日のわずか数日後にリリースされたものです。当時、ワールド・トレード・センタービルから数ブロックの場所に住んでいたロリンズは、文字通りサックスだけを抱えてアパートからの避難を余儀なくされました。それから数日後の9月15日、ボストンでコンサートを開催したロリンズは、その時の音源を『Without a Song:The 9/11 Concert』としてリリースし、このアルバムは後に傷ついた多くの人々の心を浄化する作品として高く評価されました。

2020年、90歳を目前にして『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材を受けたロリンズは、ニューヨーク州ウッドストックの自宅に静かに暮らしながら、自身のキャリアの避けられない終焉について思いを馳せていると語っていました。

「死ぬって、おかしなものだよね」と言うのが、輪廻転生を信じるロリンズの言葉です。「誰もが死ぬことを恐れる。なぜなら、それは未知のことだからだ。でも、私の母も死んだ。父も死んだ。兄も死んだ。妹も死んだ。叔父も死んだ。祖母も死んだ。みんな素晴らしい人たちだった。彼らが死ぬのに、私は死なないなんて誰が言える? 自分は彼らより優れているって? そんなの馬鹿げた考えだよ。『ああ、神様、 私は死んではいけない人間なんです』なんて思うのはね。私の身体はやがて塵になる。でも、私の魂は永遠に生き続けるんだ」

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