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ジミー・バーンズ、アイスハウス等とも共演のコールド・チゼル・サックス奏者、アンディ・ビッカーズ死去
7月10日、オーストラリアを代表する往年の人気バンド、コールド・チゼルでサックス奏者を務めていたアンディ・ビッカーズが亡くなりました。享年56。彼の訃報はコールド・チゼルの公式SNSで確認されました。彼らのインスタグラムには、「30年以上にわたって我々のサックス奏者を務めた愛すべき男、アンディ・ビッカーズが、癌との勇敢なる闘いの末、今朝この世を去りました」と綴られています。
「アンディは我々にとって兄弟同然だった。素晴らしいミュージシャンであり、オン・ザ・ロードでもオフでも、一緒に過ごしていてとにかく楽しい人物だった。ステージにおける “Rising Sun” “Saturday Nigh” “My Baby” といった楽曲で、彼が果たしてきた誰にも代え難い役割は、これからずっと惜しまれることだろう。彼の妻リサと息子ルディのことを思うと、その悲しみはいかばかりかと思う」
コールド・チゼルのフロントマンであるジミー・バーンズ──元々は彼のソロ・ツアーのバンドへの参加が、ビッカーズをオーストラリアン・ロックのトップ・レベルへと導くことになった──は、バンドとは別に個人として哀悼の意を表しました。「アンディとは俺は何度も一緒にツアーを行ない、ソウルやロックのショウをこなしてきた。単にプレイヤーとして素晴らしかっただけでなく、ユーモアがあって、頭が良くて、そして何よりも、彼が人として善良だったからこそ、俺たちは友達でいられたんだ。リサとルディに心からのお悔やみを伝えたい。アンディ、本当に寂しくなるよ」
アイスハウスのアイヴァ・デイヴィスも自身のバンドの公式SNSでメッセージを共有し、ビッカーズに敬意を表しています。「アンディ・ビッカーズの訃報を聞き、大変悲しく、残念に思っている。彼とはほんの数週間前に会って、一緒に演奏したばかりだった」
「彼と共演やコラボレーションを行なったことのある数多くのミュージシャン、そして彼が指導し、刺激を与えた多くのミュージシャンたちを見れば分かる通り、アンディは実に卓越したミュージシャンだった。アイスハウス・チームのメンバー全員、そしてオーストラリアの音楽コミュニティ全体が、彼を喪ったことを心から惜しむに違いない。彼のご家族の悲しみを思うといたたまれない気持ちだ」
コールド・チゼルのフロントマンであるジミー・バーンズ──元々は彼のソロ・ツアーのバンドへの参加が、ビッカーズをオーストラリアン・ロックのトップ・レベルへと導くことになった──は、バンドとは別に個人として哀悼の意を表しました。「アンディとは俺は何度も一緒にツアーを行ない、ソウルやロックのショウをこなしてきた。単にプレイヤーとして素晴らしかっただけでなく、ユーモアがあって、頭が良くて、そして何よりも、彼が人として善良だったからこそ、俺たちは友達でいられたんだ。リサとルディに心からのお悔やみを伝えたい。アンディ、本当に寂しくなるよ」
アイスハウスのアイヴァ・デイヴィスも自身のバンドの公式SNSでメッセージを共有し、ビッカーズに敬意を表しています。「アンディ・ビッカーズの訃報を聞き、大変悲しく、残念に思っている。彼とはほんの数週間前に会って、一緒に演奏したばかりだった」
「彼と共演やコラボレーションを行なったことのある数多くのミュージシャン、そして彼が指導し、刺激を与えた多くのミュージシャンたちを見れば分かる通り、アンディは実に卓越したミュージシャンだった。アイスハウス・チームのメンバー全員、そしてオーストラリアの音楽コミュニティ全体が、彼を喪ったことを心から惜しむに違いない。彼のご家族の悲しみを思うといたたまれない気持ちだ」
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ニュージーランドのウェリントン生まれのビッカーズは、1980年代に地元のロック・シーンでミュージシャンとして活動を開始し、後にオーストラリアに移住。最初はメルボルン、次にシドニーへと拠点を移しながら、テナー及びバリトン・サックスとサックスの演奏で、国内屈指のセッション・ミュージシャン、ツアー・ミュージシャンとしての地位を確立していきました。ブレイクのきっかけとなったのは、バーンズのツアー・バンドへの参加で、2000年代初頭にはコールド・チゼルのライヴ・メンバーとして欠かせない存在となったのです。
1973年にアデレードで結成されたコールド・チゼルは、オーストラリア音楽史上最も商業的に成功したバンドの一つであり、ARIA(オーストラリア・レコード産業協会)アルバム・チャートで数々のナンバーワン・アルバムを生み出してきました。ビッカーズのサックスは、バンドの代表曲のライヴ演奏において中心的な役割を果たしており、バンドの数千回に及ぶコンサートやレコーディング・セッションでの活躍により、彼はオーストラリアのロック界において、最も静かに、けれど幅広く知られたミュージシャンと言えるひとりだったのです。
彼の経歴はチゼルにとどまらず、ミッドナイト・オイル、シルヴァーチェアー、イーグルス、ドン・ヘンリー、ディーゼルといったアーティストやバンドたちとツアーを行なっており、ユー・アム・アイ、プリセッツ、フードゥー・グールーズ、トニー・ハドリー、ヴィカ&リンダといったアーティストたちともレコーディングや演奏を行ないました。
ミッドナイト・オイルもソーシャルメディアで追悼の意を表し、彼の最後のパフォーマンスの一つが、2026年のAPRAアワードで行なわれた彼らのドラマー、ロブ・ハーストへの追悼演奏でブラス・セクションを率いた時のことだったと言及しています。
オーストラリアのシンガー・ソングライター、リチャード・クラプトンもまた、次のようなメッセージで彼の死を悼んでいます。「大変残念なお知らせですが、私たちの大好きなサックス奏者、アンディ・ビッカーズが昨日亡くなりました。私はステート・シアターで16回公演しましたが、アンディはそのほぼ全てのコンサートに参加し、『Wintertime In Amsterdam』をショウの歴史の中でも特別な時間にしてくれました。今年はきっと、この曲はこれまでとは少し違ったものになってしまうことでしょう」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
1973年にアデレードで結成されたコールド・チゼルは、オーストラリア音楽史上最も商業的に成功したバンドの一つであり、ARIA(オーストラリア・レコード産業協会)アルバム・チャートで数々のナンバーワン・アルバムを生み出してきました。ビッカーズのサックスは、バンドの代表曲のライヴ演奏において中心的な役割を果たしており、バンドの数千回に及ぶコンサートやレコーディング・セッションでの活躍により、彼はオーストラリアのロック界において、最も静かに、けれど幅広く知られたミュージシャンと言えるひとりだったのです。
彼の経歴はチゼルにとどまらず、ミッドナイト・オイル、シルヴァーチェアー、イーグルス、ドン・ヘンリー、ディーゼルといったアーティストやバンドたちとツアーを行なっており、ユー・アム・アイ、プリセッツ、フードゥー・グールーズ、トニー・ハドリー、ヴィカ&リンダといったアーティストたちともレコーディングや演奏を行ないました。
ミッドナイト・オイルもソーシャルメディアで追悼の意を表し、彼の最後のパフォーマンスの一つが、2026年のAPRAアワードで行なわれた彼らのドラマー、ロブ・ハーストへの追悼演奏でブラス・セクションを率いた時のことだったと言及しています。
オーストラリアのシンガー・ソングライター、リチャード・クラプトンもまた、次のようなメッセージで彼の死を悼んでいます。「大変残念なお知らせですが、私たちの大好きなサックス奏者、アンディ・ビッカーズが昨日亡くなりました。私はステート・シアターで16回公演しましたが、アンディはそのほぼ全てのコンサートに参加し、『Wintertime In Amsterdam』をショウの歴史の中でも特別な時間にしてくれました。今年はきっと、この曲はこれまでとは少し違ったものになってしまうことでしょう」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
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